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第32話

 部活の終わる時間になっても、須田は美術室に来ない。片付けを済ませて美術室を出た。  バスケ部は過酷だ。長引いているのだろう。  体育館まで歩いたら、須田がまた告白されていた。デジャビュだ。  暗くなった体育館の前。電柱の下で女子生徒が須田に縋っている。 「好きなの。須田くんが好き」 「ごめん」 「お願い」  何度断られても、少女は諦めない。とうとう須田に抱きついた。胸に縋られる須田は迷惑そうにしている。  俺が告白して、あんな顔をされたら、生きていけない。  ぼうっとみていた。グレイの瞳が見開かれる。俺をみつけた須田は、少女の肩を掴み自分から引き剥がした。 「智也!」  頬を風が撫でる。風に撫でられて、自分が泣いているとわかった。  こんな顔みせられない。  須田に背を向けて走った。バスケ部のエースに足で勝てるわけない。でも、あのまま、あの場所に、立ってはいられない。  下駄箱で須田に捕まった。腕を引かれる。抵抗したら、背中を下駄箱に押しつけられた。 「みないで」  顔をうつむける。うつむいたら、涙がぼろぼろ落ちた。 「智也」 「やめろ!」  抱きしめてくる腕から逃れようと身をよじった。抵抗すればするほどに強く抱きしめられる。須田に本気で抱きしめられたら、逃げられない。筋力と体格の差に負けた。 「はなせよ」  シャツに涙が染みる。シャツの下に着たTシャツにも染みていく。 「はなして」  腕を突っ張る。分厚い胸板を押した。押しても、押しても、押しても。須田は腕のちからをゆるめてはくれない。びくともしなかった。 「智也が泣いてるの、ほっとけない」  須田の声が鼓膜を揺らす。優しさが苦しい。優しくされればされるほど、俺は狂っていく。  そのまま、俺はずるずると座りこんだ。須田も一緒に座りこんで、俺を抱きしめた。  土曜日。  おじいさんの退院を三人で祝った。須田がひとりでは心細いというので、金曜日からおじいさんの家に泊まった。 「退院おめでと!」  たったの一週間。でも、須田には長い一週間だった。平日は面会時間に間に合わないから、日曜日を最後に面会にも行けなかった。毎日の電話だけでは、須田の不安は拭えなかった。  おじいさんは、須田の手料理に喜んだ。病院食は和食中心。甘いモノもない。毎日のコンビニスウィーツが癒しだった。  鮭とじゃがいものグラタン。ごろごろ野菜のミネストローネ。カルパッチョ風サラダ。豚肉の香草焼き。  おじいさんを迎えに行く前。朝早くからキッチンに立った須田は、黙々と料理をしていた。 「いっぱい食べて」 「食事指導されたばかりなのに、いいのかな」  須田はおじいさんの好きなウィスキーをグラスについだ。丸い氷がくるりとまわる。琥珀色の液体を、おじいさんはゆっくりと揺らした。 「デザートにチェリーパイも焼いた。じいちゃん、好きだろ」  この一週間。須田は空元気を振り絞っていた。毎日学校に通い、部活にも参加していた。俺が須田の立場だったら、学校を休んでいた。遅刻もした。  須田にとってのおじいさんは、親に近い。須田の父親は母親との確執ができて以来、須田とも関わりが薄くなった。母親との折り合いも悪いいま、おじいさんは須田の支えだ。  そんな人が入院した。須田の心労は、ぬくぬくと育つ俺には想像もつかない。  ふたりが話す姿をみるうちに、身体のちからが抜けた。無意識のうちにこわばっていた。  ずっと、このままの日々が続けばいい。  おじいさんが元気で、長生きをして、須田は笑顔を浮かべていてほしい。  昨日。須田は俺に抱きついて眠った。同じベッドでくっついて眠った。友人がひとりしかいない俺にもわかる。俺たちの距離は、友人の距離じゃない。  須田は俺を、どう思っているのだろう。  気の置けない友人?  その他大勢と同じ友人?  都合のいい友人?  それとも、友人以上の感情を抱いている?  須田に聞かなければ、一生わからない。 「智也も、食べろよ」  鮭とじゃがいものグラタンを取り分けてくれた皿を受け取った。焼きたてのグラタンのチーズがのびる。長くのびたチーズが切れた。  細く長い縁も、いつかはこんな風に切れるのかもしれない。長くのびたチーズが切れるように、須田との付かず離れずの縁を望んだら、俺たちの縁はどんどん細くなって、切れる日がくる?  じゃがいもにフォークを刺した。くちに入れる。熱いじゃがいもを一気に頬張ったせいで涙目になった。  須田は俺に気を許してくれている。それでいいじゃないか。どうなるかわからない告白をするより、いまの距離感でいるほうがずっといい。おじいさんの家に泊まらせてもらって、団らんの席をともにして、うちにも遊びにきてもらって。すごしていけばいい。  もし、告白をして。須田が俺に「ごめん」といったら。  今度こそ、二度と、いまの距離感ではいられない。  須田が俺を抱きしめて眠るのは、子供が親を求めるのと同じ。不安を紛らわせるために、近くにいる俺に甘える。近くにいるのが俺だから。たまたま、俺が近くにいたから抱きしめられた。  キスをした夜の須田は、憔悴しきっていた。おじいさんが入院したと知って、連絡も入れずに雨のなかでバイクを走らせるほど、憔悴していた。 おじいさんの死を想像していた。玄関で雨に濡れる俺に、おじいさんの死をなぞらえた。  憔悴した須田にまともな判断は望めない。もし、もし、もしーー。本当に俺が「好き」だったら、あの夜のキスに触れる。キスをしたあとの俺たちの関係は色を変える。  須田は、キスについてなにもいってこない。キスをしたのも、覚えていないのかもしれない。それほどに、あの夜の須田は憔悴していた。子供みたいに俺に縋ってきた。  いいじゃないか。  須田にとって、俺は、甘えられる相手なんだ。いくら須田でも、誰彼かまわずは甘えない。甘えられる相手と思ってもらえるだけで、満足しろ。  ごちそうが並んだダイニングテーブル。楽しそうに話すふたり。席につくのを許される「友人」でいられる幸せを噛みしめた。

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