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第52話 元本の無明
「元本の無明」とは人間の苦しみや悩みの根源となる状態。仏教の「無明」を指す。
宗教団体の上辺だけの教え、では語れない深い所の寂しさである。
貴也は信心深かったばあちゃんのこの言葉だけを覚えている。
時として、形而上の見えないものはこの事ではないか、と思ったりした。
「無明」の響きは恐ろしい。根源的で、一人きりで戦うしかない葛藤だ、と感じている。
人は一人ぼっちで生まれて、一人ぼっちで死んで行く。根源的な部分で孤独なのだ。
「寂しくてたまらない。」
龍一が肩を抱いてくれた。
「だから、愛し合うんだよ。
一瞬でも、一人じゃないって思いたいんだ。」
心が弱っている。甘えが出ている。
貴也は自分が一番嫌いな,弱い自分を晒してしまったと恥じた。
「哲学科では何も答えを見つけられなかった。
宗教に逃げ込むのは絶対に嫌だった。
龍一は他人の精神に踏み込んで怖くなかったの?」
ソファに並んで座る。
「怖くなる時もある。患者と向き合って話を聞いていると、引き摺り込まれそうになる時がある。
その人の持っている世界に。
時として凄いパワーの人がいるんだ。
目に見えない力を持つ。あのジョーさんがそうだった。向こうの世界に引き摺り込まれそうになった。」
人の潜在的なパワーは、時として物凄い力があるという。
「精神科の医者は、また、これも精神を病んでいる、という俗説があるけど、毎日、負のエネルギーを浴び続けると凄く疲弊するよ。」
意外な龍一の弱音みたいなものに驚いた。
「だから、正気を保つために愛する人が必要なんだよ。誰でもいいわけじゃなかった。
貴也を必死で探したのはそのためだった。」
龍一の本音のようなものを受け取って、今までの疑問が解けた気がした。
トラウマを抱えて生きて来た龍一。結婚生活も龍一を癒してはくれなかった。
貴也は切なくなった。男っぽい龍一の本音を知る。女を抱けない孤独な男。
「俺にもトラウマがある。」
貴也は甘えたくなった。そして甘えさせたくなった。抱きしめて、ただ、座っていた。
セックスもいいけど、何もしないでただ抱き合っているのも落ち着く。
見つめあって深いくちづけを交わした。
「愛してる。おまえが必要だ。」
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