55 / 179

第55話 自立

 大学に入って一人暮らしをした。以前の私塾のような、監視も強制も無い。俺は自由だ。  四谷のアパート。三丁目の本屋でアルバイトした。坂の下、若葉町の神社が経営しているアパート。シャワーが付いているだけの古びたアパート。向かいの部屋には、ノイローゼ気味の司法修習生が住んでいた。時々、窓を開けて叫ぶ。  風の音にも怒鳴る。怒鳴り声に、必ず2階の水商売の女の人が反応する。 「うるせーんだよ。黙れ!」 「ただの風の音だよ。 おまえの声のがよっぽどウルセェ!」 「黙れ女!また、男連れ込んでんだろ、 この売女!」  最初は驚いたが、慣れてくるとこの人たちの気晴らしのようだ、とわかった。  概ね平和な学生生活が続いた。俺が女性を受け付けない、とわかるまでは。  そしてガールフレンドとのあの出来事がある。女性がダメだ、と自覚したあの日。  いつもデートは海を見に行った。海岸を二人で歩く。俺の精一杯のロマンス。  そしてあの変人サークルにたどり着いた。彼らが尊敬の目を向ける准教授の佐波氏。  今ではかけがえの無い恋人、龍一。 もしも、龍一に話したら、興味を持ちそうな人間ばかりだ。俺の父親。妹。担当の教師。アパートの住人。興味深い症例。  世の中は気の触れた人ばかりだ。 俺は気付いた。妹は病んでいるのだろう。それに気付かないのは俺の両親。いや気付かないふりをしているだけだ。彼らも病んでいる。  学校という括りの中で、病んでいないものは稀有な存在か。  隣で眠る龍一を触る。少し伸びた髭が痛い。 「ふふ、俺の龍一は、生きてる。 髭が生きる事を主張してる。」  頬を撫でる指を噛まれた。 「あっ!」 「貴也はいたずらだな。」  腕の中にすっぽりと抱き込まれた。 「長い夢を見ていた。 龍一に話したら面白がるかな?」  妹がいる事を話したら興味を持ったらしい。 会わせろ、という。 「もし、妹と会ったら、きっと傷つくよ。 出会う者をみんな傷つける娘だよ。 怪物だ。」 「ますます興味をひかれるねぇ。 貴也が家族のことを話すのも初めてだ。」  親にも挨拶したい、とか言ってる。ヤバイヤバイ、あんな奴らに会わせたくはない。 「ヤクザの、龍一の親よりウチの親の方がめんどくさいよ。会わない方がいい。」 「嫁にもらいに行かなくちゃ、な。」 とんでもない事を言い出した。 「妹は俺のものを何でも欲しがるんだ。 龍一を取られる。」 「ははは、面白い。」

ともだちにシェアしよう!