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第76話 また振り出し
また、一人になった。一文無しで一人。
取り敢えず、『暖家』に行った。店のあるマンションの上の階にマスター夫妻が住んでいる。
「あのぅ、お休みの所すみません。
貴也です。ご相談があるんですが。」
今住んでいるのは恋人の親の家だ、と説明した。ヤクザなのは黙っていた。
「恋人と別れたんで、住む所がないんです。
どこか紹介してくれませんか?」
新しく借りる金も持っていない。図々しい頼みだ。こんな胡散臭い俺をマスターは信用してくれた。
「確か、3階に空き部屋があると思うから不動産屋に聞いてみよう。今日から住みたいんだろ。」
「はい、少ない荷物を取りに行きます。」
「必要な物、揃えないとね。布団とか。」
「ああ、はい、お給料の前借り、お願い出来ませんか?」
マスターは快く手配してくれた。マスターの部屋で少し寝かせて貰った。昨夜から一睡もしていない。辛い事も忘れて泥のように眠った。
目が覚めると奥さんが食事の用意をしてくれた。泣きながら食べた。
(俺はこの味を一生忘れないだろう。)
ふと、一人になるといろんな事を考えてしまう。龍一が迎えに来てくれる事を夢見る馬鹿な俺。
(こんなに人は簡単に別れてしまうのか。)
何か方法はなかったか、と考えてしまう。
自分が我慢すればあのいつもの生活に戻れるんじゃないか、と反省したり。
(俺の何が足りなかったのか。
龍一の望むものをあげられなかった。)
自省の沼に落ち込む。
(あの頃の龍一が戻るなら、俺は他に何もいらない。後悔ばかりだ。龍一を責める気になれない。
ただの浮気だったら、もう帰って来て欲しい。
俺の元に。)
どんな事でも許す気になっている。
とおるに話した。この頃は話ができる友達は彼だけだ。彼とマスター夫妻。
とおるも話出した。
「貴也とはケースが違うかもしれないけど、
俺の彼女の事だ。」
いつも試すように浮気される。苦しんで、のたうち回って、やがて何もかも譲歩する。彼女を失いたくないから。
3年の付き合いはそれなりにお互いの中に絆が生まれている。
浮気を泣いて反省する彼女にほだされて,一旦は許した、と思っても、日常の中にふとした瞬間嫌な気持ちが蘇る。
キスする時に目を閉じる彼女を見て、他の奴にもこんな顔するんだな、と思ったらもう耐えられない。気がつくと彼女を殴っている。そして死ぬほど後悔して謝る。それの繰り返し。
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