76 / 179

第76話 また振り出し

 また、一人になった。一文無しで一人。 取り敢えず、『暖家』に行った。店のあるマンションの上の階にマスター夫妻が住んでいる。 「あのぅ、お休みの所すみません。 貴也です。ご相談があるんですが。」  今住んでいるのは恋人の親の家だ、と説明した。ヤクザなのは黙っていた。 「恋人と別れたんで、住む所がないんです。 どこか紹介してくれませんか?」  新しく借りる金も持っていない。図々しい頼みだ。こんな胡散臭い俺をマスターは信用してくれた。 「確か、3階に空き部屋があると思うから不動産屋に聞いてみよう。今日から住みたいんだろ。」 「はい、少ない荷物を取りに行きます。」 「必要な物、揃えないとね。布団とか。」 「ああ、はい、お給料の前借り、お願い出来ませんか?」  マスターは快く手配してくれた。マスターの部屋で少し寝かせて貰った。昨夜から一睡もしていない。辛い事も忘れて泥のように眠った。  目が覚めると奥さんが食事の用意をしてくれた。泣きながら食べた。 (俺はこの味を一生忘れないだろう。)  ふと、一人になるといろんな事を考えてしまう。龍一が迎えに来てくれる事を夢見る馬鹿な俺。 (こんなに人は簡単に別れてしまうのか。) 何か方法はなかったか、と考えてしまう。  自分が我慢すればあのいつもの生活に戻れるんじゃないか、と反省したり。 (俺の何が足りなかったのか。 龍一の望むものをあげられなかった。) 自省の沼に落ち込む。 (あの頃の龍一が戻るなら、俺は他に何もいらない。後悔ばかりだ。龍一を責める気になれない。 ただの浮気だったら、もう帰って来て欲しい。 俺の元に。) どんな事でも許す気になっている。  とおるに話した。この頃は話ができる友達は彼だけだ。彼とマスター夫妻。  とおるも話出した。 「貴也とはケースが違うかもしれないけど、 俺の彼女の事だ。」  いつも試すように浮気される。苦しんで、のたうち回って、やがて何もかも譲歩する。彼女を失いたくないから。  3年の付き合いはそれなりにお互いの中に絆が生まれている。  浮気を泣いて反省する彼女にほだされて,一旦は許した、と思っても、日常の中にふとした瞬間嫌な気持ちが蘇る。  キスする時に目を閉じる彼女を見て、他の奴にもこんな顔するんだな、と思ったらもう耐えられない。気がつくと彼女を殴っている。そして死ぬほど後悔して謝る。それの繰り返し。

ともだちにシェアしよう!