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第77話 虎ニ

 人の気持ちは、変えることは出来ない。とおるは葛藤の中で彼女と別れられない。 「帰る所はとおるの胸だけ。」 その言葉にまた、ヨリが戻る。  貴也はあれ以来何も言ってこない龍一を、待ってしまう自分が悔しい。 「我慢比べか。それとも龍一にとって俺はもう、 過去、なのか。会いたいよ、龍一。」  そんな日々を過ごしてしばらくすると、 「貴也、ここで働いてたんだね。」 虎ニが来た。いつも虎ニはメッセンジャーの役回りだ。 「前にも兄貴に頼まれて、 貴也の居場所を見つけたね。 これで2度目。」 「あれから何年も経つ。 もういい加減にしてくれ。 俺を探さないで。」  虎ニがグッと近寄ってきて 「兄貴は後悔してるよ。 ほんの一瞬、魔が刺したんだって。 今は論文に集中している。」  龍一の論文の一部を見せてくれた。 ーー精神病理学が自分の学問的課題に忠実であろうとするなら、否応なしに自分の哲学的立場に立たなくてはならない。  「世界」と「自我」 自我の存在を問う、哲学的思索ーー 一部分、抜粋してプリントした荒いものだったが、精神医学の龍一が哲学専攻の貴也に歩み寄ろうとしているようだった。忘れていたアカデミズム。 「龍一は俺の先生だった。」  懐かしさと共に、学生時代の教養主義が甦る。 「俺は忘れていた。あの学究の日々。」 佐波氏に憧れたあの頃。思い出せ、と論文の行間から滲み出すものがあった。  あの詩音は最近注目されてきたモデルだった。 よくテレビで見かける。渋谷や銀座で巨大なビルの壁面一杯に詩音が映し出されている。  物凄く綺麗な男。ユニセックスで男女どちらにもファンが多い。安売りはしないタイプの謎めいた男。  一時、龍一の大学病院に入院していたらしい。 ちょうど貴也が見かけた頃だ。  ずっと龍一のストーカーのようになっていた。 龍一に抱かれて聞き分け良くなったらしい。龍一の言う事しか聞かない、とスタッフが困っている。 「すごく綺麗な人だったよ。」 「別れたんだよ、あの後すぐに。」 「両極性障害は治まったの?」 「完治とは違うって。今は落ち着いてるみたい。 龍一は、貴也に帰ってきて欲しいって。」 「うん、俺はまだ吹っ切れていないんだ。 なんで龍一本人が来ないんだよ。」 貴也はまた怒りが再燃した。 「俺、怒ってるって伝えて。」

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