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第83話 きまぐれ
「僕、イタリアに行く。
クロードが来て欲しいっていうから。」
「人の言う事なんか聞かないんじゃなかったのか。」
「だって龍一の心に僕がいないんだ。」
詩音の敏感な洞察力。侮れない。
「詩音が好きだよ。それだけじゃダメなの?」
「ダメだよ。全部僕のものじゃないとダメ!」
この所、全ての時間を詩音に合わせている。
わがままな詩音に振り回されている。
(それが嬉しかったりする。)
それでも心のどこかに、帰る場所があるのが見える。帰らなくては、と急かす何か。
喪失感がいつも胸の中にあるのを、詩音は感じている。
「龍一はあの人の所に帰りなよ。
僕はクロードに抱かれるから。」
「嫌だ!詩音を誰にも渡したくない。」
「先生は嘘つきだね。僕をみんなと共有しても平気でしょ。売れる、ってそう言う事だよ。」
数日後、詩音はイタリア,ミラノへ旅立った。
カタカナのシオンになって世界へ出て行く。
たった一人で。
龍一は引き留めようとした。何回も。何回も。
これからは世界のシオンになる。誰のものでもない、美しい男。
ゲイである事が暴露されて、世界の著名人が、こぞって詩音をモノにしようと近づく。
誰とでも寝る男。それでも詩音を手に入れるためには巨万の富が必要だった。
「僕、安売りしないの。」
(詩音、くれぐれも病気に気をつけて。)
龍一の心配はいつもそこにあった。
短い間だったが、身体中全てを知っている。
「私は医者だ。詩音のことは誰よりも知っている。」
そんな龍一も知らなかった。
セックスの時の飾りの涙ではなく、出発の前の夜、身も世もなく一人号泣した詩音の事を。
顔が腫れ上がり、決して誰にも見せない素顔だった。こんな時には、誰かが優しく受け止めてあげなけれはいけないのに、詩音はひとりぼっちだった。
手に握った致死量の薬をトイレに流して涙を拭いた。そこには凛として美しいシオンがいた。
「貴也、お帰りって言ってくれ。」
龍一がカフェの上にある貴也の部屋を訪ねた。
「なんでここにいるの?
龍一はもう過去の人だよ。」
笑いながら部屋に招き入れる。
低いテーブルの前に座って、貴也はほうじ茶を淹れた。
(私は卑怯者だ。それでも貴也を取ったんだ。)
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