84 / 179

第84話 帰還

 龍一が帰って来た。貴也には、他人の男が座っているだけだ、と思える。 「何か、言う事はないの?」 「ああ、カフェの仕事はどう?」 「それ本当に聞きたい事?」 「厳しいなぁ。怒ってるんだね。」 「陳腐な事を言うんだね。」  よそよそしい。お互いに、心は求めているのに素直になれない。  龍一が貴也の手を取って抱き寄せようとする。 「つっ!」 思い切り突き飛ばしてしまった。 「触れられたくないよ。 自分を何だと思ってるんだよ。何様?」 「ごめん、今日は帰るよ。」 「俺、3時から仕事。もう来ないで。」  ドアの閉まる音がした。 本当は追いかけて抱きしめたい。  でもあの死ぬほど辛かった気持ちが収まらない。許せない。 (他の男を抱いた手で俺に触らないで!) 精一杯強がった。 (ささやかな、俺の矜持だ。)    その日の仕事は散々だった。ほうじ茶用の急須を割ってしまった。ほっこりする益子焼の柔らかいフォルム。手に馴染むお気に入りの茶器だった。 「ごめんなさい。」 「大丈夫よ。益子焼は割れやすいの。 気にしなくていいわ。」  マスターの奥さんの優しい言葉に、涙がこぼれてしまった。 「泣くほど、心配しなくていいよ。高いモノじゃない。」 マスターが笑っている。 「今日の貴也は変だな。何かあった? 話、聞こうか?」 「大丈夫です。あともう少し。頑張ります。」  とおるは何か感じたようだ。肩を叩いてくる。 「終わったら,飲みに行くか?」 「うん、今夜は女抜きで、なら。」 「え?ヤバい。俺、口説かれてるの?」 笑った。まだ、笑う事ができた。

ともだちにシェアしよう!