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第161話 何も出来ないの?

 貴也が泣いている。 龍一が気丈に診察をして対策を考えている間、この救いようの無い薬に涙を流す貴也。 「俺、そんなに甘ちゃんじゃないと思ってたんだけど、これはツラい。ツラ過ぎる。  人間の尊厳を踏みにじってる。」 「麻薬ってものは多かれ少なかれ、そういったものだよ。救いようが無いんだ。  人間の脳はすごくデリケートなんだよ。」  優しく抱きしめてくれる龍一に、救われるような気がする。 「きっと人類を救うのは、こういう温もり。 愛なんだ。他にすがるものはない。」 「痛みのない世界は怖いんだ。 痛みを取ってしまえば何でも出来る。 どんな残虐なことでも。  患者は自分自身に残虐な自傷行為をする。 医者なんて無力だ。」  特に精神科の医者の龍一は、自分自身の心が引き裂かれるようだ。 「龍一はなんでそんなツラい医者になろうと思ったの?」 「なら、貴也は何で哲学なんか専攻したんだ?」 「ああ、確かに。何でだろう? 深淵を覗きたかったのかもしれない。」 深淵を覗くものには、深淵もまたこちらを覗いている、とかなんとか、何の本だったかな。  生半可な学問が吹っ飛ぶ。人間の業の深さ。 龍一に抱きつく。 「生きるのは怖いことだね。 どうして、龍一は立ち向かえるの?」 抱きしめて髪を撫でられながら 「私も怖い時があった。貴也を失った時だ。」 「失ってないよ。」 「ああ、あの時は絶望の淵に立たされたよ。」  別れて、三年も離れていた過去があった。 頭の中で考えて、諦められるうちは大した事はないんだ、と今ならわかる。  クロードのショーが頓挫している。 「あの、おかしな麻薬でみんな潰れている。」 スタッフの何人かが病院送りになっている。  海浜病院はもういっぱいだ。大介医師一人では手が回らない。龍一が詰めている。貴也も臨時の助手だ。 「解毒剤は完全に治せるわけじゃない。 命が助かっても、廃人のままだ。」  入院患者も増加している。龍一と大介医師ではもういっぱいいっぱいだ。  日本人が華僑を見る目が冷たくなった。中国人が麻薬を持ち込んだ、みんな同じだ。そういう排外主義が蔓延り出した。

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