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                 事を終えた間男は先ほど帰っていった。  ユンファさんと関係している男たちはみな、はじめのほうこそ彼の夫である俺に対して遠慮がちであった。――はじめは俺になかば哀れみのような目を向けてくる者も少なくはない。ユンファさんと蜜月の関係をもっているくせに、何か俺を可哀想な男だと慰めるような態度をとるような者さえいた。しかしまさしく加害者のくせに、加害対象の被害者を慰めるとは噴飯物(ふんぱんもの)の話である。    とはいえ……それというのは、いつもはじめばかりのことであった。ユンファさんは関係する男たちに「夫公認だから」と言っていた。彼は俺が書斎で仕事をしているときに男を連れ込むこともよくあった。それだから彼らの情交を俺が目にするのはいつものことだったのである。    人は慣れというものにやがて安息を見出すものだ。  はじめのほうこそ美人局(つつもたせ)の可能性を予測して恐る恐る、はじめのほうこそ彼の夫である俺の存在にそれでも申し訳なさを感じて遠慮がち、はじめのほうこそ俺に最中を目撃されれば慌てて事を中断していた男たちも、やがて彼の言う「夫公認」が真実とわかるなりそれにあぐらをかきはじめる。  一般にしてみればまこと(いびつ)な関係性である俺たち夫々(ふうふ)のその取り決めを、はじめのほうこそ訝っていた男たちも、今では俺に対する遠慮もなしに「シャワー借りますね〜」と俺の目をもはばからず全裸でこの部屋の浴室へと向かい、シャワーを浴びてすっきりしたなり服を着込んで「んじゃあまた〜」と帰ってゆく。今回の間男もそうだった。  ――俺は以前、彼と関係する男の一人にこう聞かれたことがある。   「いいんですか? 貴方あの人の旦那さんなんでしょ」    俺は目を伏せて「いいんです、彼が幸せなら」と答えた。  そうしたあたかも(あわ)れな夫である俺を、男たちははじめこそ哀れそうな目で見てきたが、それも回数を重ねるごと彼の夫である俺の存在など空気、悪ければ夫をもつ彼とのセックスだからこそ虜になっている男や、むしろ俺に彼と自分とのセックスを見せつけたがる男までいる。    それどころか、今や俺は男たちの目に「お人好しの馬鹿な旦那」や「間抜けな男」や「腑抜(ふぬ)けた負け犬」とさえ映っている。  男たちは俺が寝室の隣のリビングにいることをわかっていて、しばしば俺を侮辱するようなことを俺によく聞こえる声で言った。    それはたとえば「もうあんな旦那捨てちゃえば? 別れて俺と一緒になろうよ」だ、「あの人馬鹿だよねー、あんなののどこがいいの。それとも旦那のほうにもそういう趣味があんの? もしかして二人して変態なんだ?」だ、果てには「旦那さんもしかして粗チンだったりして。旦那のちんぽじゃイけなくて欲求不満なんだろ、だからこうやって浮気してるんでしょ」などというようなものである。明らかに俺を見下し、明らかに俺を侮辱する目的のあざ笑いである。  そしてユンファさんもまたその侮蔑の言葉が俺に聞こえていることを知っていた。ところが、彼は仮にも俺の夫でありながら、いつも男たちのそれらに同調するような「それもいいね」だとか、「そうだよ」だとかと笑いながら返した。彼は夫である俺のことを一切擁護することはなかったし、男たちの俺への侮辱の言葉を否定することもなかった。  事なかれ主義というのが俺なのかユンファさんのほうなのか、あるいはどちらもそうなのかはわからなかったが、俺は常日ごろから夫であるユンファさんから、そして彼と関係する男たちからそうした汚辱の羽目に合わされていた。――しかし俺は彼を愛するあまり、これまではそれらの汚辱にもただひたすら耐えしのんでいるだけだった。  つまり俺は他の男を俺の了解なしに家にあがらせ、あまつさえ夫々(ふうふ)の寝室のベッドで自分を間男に抱かせるユンファさんに対しても、また我が物顔で我が家を(おか)すように闊歩(かっぽ)するそのいけ図々しい男たちにも、何も文句を言うようなことはなかった。鍵はかけない。それが俺が守るべき、愛するユンファさんとの「約束」だったからである。    しかし――今日という日の俺はついに決心を固めていた。    ……俺はリビングの出入り口すぐでユンファさんを待ち構えている。これまでは彼の我儘(わがまま)放題にも目を(つむ)ってきたが、いよいよ今日という日の俺は限界であった。    ユンファさんはシャワーからあがった間男を玄関まで見送ったあと、その流れで自分もシャワーを浴びようと浴室へ向かったらしい。――そして今しがたキュッと蛇口を閉める音が聞こえ、そこまで聞こえていた窓外の雨音のようなザーーというシャワーの音がやんだ。    思ったとおりそう間を開けず、ガチャリと俺の目の前にある扉が開く。――ユンファさんは立ちはだかる俺を見て少し驚いた顔をした。彼はまったく色気のない部屋着のうぐいす色のTシャツに黒い半パン、肩から白いタオルをかけている。  俺は開口一番からこのような詰問を開始した。   「今日がなんの日かご存知ですか」   「何? 入れないんだけど」    としかしユンファさんは悪びれた様子もなく、質問より先に早くそこから退けよ、というような傲岸な態度で、いけしゃあしゃあと俺を迷惑がった。   「今日がなんの日か、ご存知ですか。」    俺は繰り返した。それに答えるまでここを退く気はないと彼を威圧したのである。  彼は目の前の俺から目線をはずして面倒そうに視線をただよわせたが、やがて彼の薄紫色の瞳がダイニングテーブルの上を見た。そこには愛らしくラッピングの成された黄色い二本の薔薇が置かれている。彼はその薔薇をぼんやり面倒そうに眺めながら「結婚記念日だっけ」と気だるげに答える。   「そうです。初めての結婚記念日」   「……で。だから何」    ユンファさんは高飛車な切れ長の目で俺を圧すると、「まさか君」と俺を鼻で笑った。   「僕を馬鹿にしているのか。黄色い薔薇ね、なんだっけ…“薄れゆく愛”だっけ? ――あぁありがとうソンジュ。まさか結婚記念日に僕と別れようとしてくれるだなんて、僕は本当に嬉しいよ。」   「違う。別れるつもりはない。…もうやめてくれませんか。こちらこそ、まさか結婚記念日にまで他の男と寝るとは思いませんでした。もう限界だ、もうこれ以上俺以外の男と寝ないで」    俺は彼に初めて詰め寄った。こうしたことは交際をはじめてから結婚に至った今まで、初めてのことであった。俺のこれは、自分のテリトリーをこれ以上(おか)すことは許さないと威嚇する雀蜂(スズメバチ)さながらの警告だった。  しかしユンファさんはなんら臆することもなく、その切れ長の両目を鋭く細めて俺をあざ笑う。   「…無理だよ、今更もう無理だ。…大体、僕は君と付き合うときにちゃんと言ったはずだろ、僕は君だけじゃ満足出来ないって。…ソンジュもそれをわかっていて僕と付き合ったんだろ? そしてそれをわかっていて僕と結婚までした。誰とでも自由にセックスしていいって約束があったから、僕はソンジュと付き合ってあげたし、結婚もしてあげたんだ。――ふっ…それなのに今更なんだよ。…いいよ。じゃあ別れる?」    ユンファさんは俺がそれでも別れないことをわかっていて、しばしば俺を脅すために「別れる?」と軽々しく言った。俺はいつも通り「だから、別れはしないけれど…」と弱気になった。彼は「あっそ。じゃあ我慢しなよ」とぞんざいな態度で俺をあしらうなり、肩で風を切ってずかずかとソファへ向けて歩いた。  そして彼はそれにドカッと座り、尊大な態度で脚を組んだ。   「てか聞いてよソンジュ、さっきの人物凄い絶倫でさぁ…もう何回もイかされちゃった、ほんとしつこいくらい…――まだナカにあの人の感覚が残ってる…」   「…………」    俺はその場に立ちすくんだまま動かない。  ユンファさんはほとんど毎日俺以外の男と寝ている。そして他の男とのセックスの内容をこうして俺に聞かせるのも、ほとんど毎日のことであった。ほとんど習慣とさえなった歪な日課、このようにあたかも日常会話のように軽々と、なんら悪びれた様子もなく、ユンファさんは俺に間男との行為をつまびらかに明かした。   「朝ソンジュが出かけてすぐ電話がきてさ、朝からさっきまでずーーっとセックスしてたんだ。はは、あの人いっつも僕のこと肉便器扱いするんだよね、サドだから。体中噛み跡だらけ…スパンキングも好きだし、首締められながらこの公衆肉便器、なんて罵られて…僕、そのままイッちゃった。…はは…――“ごめんなさいソンジュさん、僕は今夫以外のちんぽにイかされてます”、“僕は誰でもいい肉便器です”って何度も言わされたんだよ。酷くない?」   「…………」    ユンファさんはまるで楽しげな愚痴を言うようにそう語る。しかし「酷くない?」とは言いながら、彼は少しも傷ついた様子がない。――俺が聞く限りでも、今回のあの男とのプレイはいつもそのような加虐性をともなっていた。彼と関係するサディストはあの男ばかりのことではないが、彼の体を傷つけて楽しむようなセックスにはさすがに耐えかねる俺は、愛する夫への心配から何度か「そういう乱暴なセックスだけはやめて」と忠告をしてきた。  しかしユンファさんは俺の忠告を物ともせず、サディストたちとの関係を続けている。彼にもまた加虐を悦とする被虐的な性的嗜好があったのである。   「公衆肉便器は事実だろって? ふふ、確かにね。あー気持ち良かったなぁ…しばらくあの人だけリピートしようかな…?」   「…好きにしたら」    俺はいつになく冷たい声でそう彼を突き放す。  しかし彼はなんら響いた様子もなく「うん、まあ明日には気分が変わるかもしれないけど」と事もなげに答える。   「ねえソンジュ、疲れちゃった。マッサージして」    またユンファさんはいつも通り俺にそう命じた。  ユンファさんは他の男との事のあと、ほぼ必ず俺にその全身をじっくりとマッサージさせた。もちろん彼はそのまま(あがな)いのように俺に抱かれるのである。  ところが彼は俺の指が精液に(ひた)ると、とたんに恋人らしい媚びた目をして「僕が本当に愛しているのはソンジュだけだよ…?♡」と妖艶に微笑む。  彼は「ソンジュは変態だから、僕のナカにある他の男のザーメン舐めたいんでしょ」と、俺にそれを舐めとることを強要することもあった。  実際は贖いなどとんでもなかった。つい先ほどまで男に加虐されて悦に浸っていた彼は、今度は言いなりの夫である俺を加虐するために、いつもわざと他の男の種をその体に残しているのである。    しかし俺は、夫であるユンファさんに完全に軽んじられ、のみならず彼が俺をそうして(はずかし)めることで楽しんでいるとはわかっていても――。   「ソンジュ? 早くしてよ」   「…………」    俺は今日においてもいつも通り、従順な犬が主人に呼びつけられて尻尾を振りながら主人の足下へ駆け寄ってゆくようにソファへ行き、その場所でユンファさんに丹念なマッサージをほどこした。    俺は四人がけのソファの上に寝そべるユンファさんの体に、そっと覆いかぶさる。  彼はやや横へ顔を向け、とろんとした遠い目でどこかを眺めていた。何も載っていないローテーブルの上あたりだろうか。とても儚げな虚ろな顔である。  しかし俺の顔が上にくるなり、彼は俺を見上げてニヤリとした。 「へえ、それでも僕とセックスしたいんだ」   「…………」    俺は何も言わずに少し目を下げた。  ユンファさんの白い首筋には()()赤いキスマークが何ヶ所か浮かんでいる。   「キスマーク見て嫉妬してるだろ」    俺の目線が自分の首筋にあることを察した彼は、そうして俺をからかう。   「していないよ」    俺はこうして強がった。俺の「嫉妬していない」というセリフはいつものことである。  ユンファさんの白い肌にキスマークがつけられているのもまたそう珍しいことではなかった。しかし、だからといって俺が嫉妬しないわけではない。本当はいつも嫉妬していた。今もしている。   「ははは、そうだね。今さら嫉妬なんかしないか」    ユンファさんは顔を横へ向けながら可笑(おか)しそうに笑った。  俺たちはいつもこういった会話をしていた。俺はユンファさんのキスマークをしげしげと眺める。青白い肌に浮かんだ鮮血の色はよく映えてとても美しい。   「むしろ貴方は肌が白いから…キスマークの赤がよく映えていて、とても綺麗だよ」   「はっ…他の男につけられたキスマークなのに、よくそんなこと言えたな? どこまで優しいんだか、ソンジュ君は。」    彼はそうして苦笑しながら俺に嫌味をいう。  むしろ最近は他の男に「キスマークつけて」とねだっているくせに、いや、むしろ彼は俺を嫉妬させるために男たちにキスマークをつけさせているのだ。   「俺にはこれ以外のことは何も言えないよ。貴方との約束を破ってしまうことになるじゃないか」   「じゃあ」とユンファさんはローテーブルの上あたりを遠く眺めながら、俺を見下している嘲笑の声でこう切り出す。   「またキスマークの上からキスしていいよ。それなら約束は…」   「ふっ…何故そんなことをする必要があるの?」    ところが俺のこの反発したセリフはいつも通りではなかった。これまでの俺はユンファさんにこう言われると、「じゃあ…」とその通り彼のキスマーク一つ一つに丁寧なキスをしてきたのである。   「いや、別に。嫌ならしなくていいけど」    するとユンファさんはローテーブルのあたりを眺めながらも、明らかに冷ややかな不機嫌そうな表情を浮かべる。   「ソンジュは僕にキスマークなんかつけないから、いつもそうすることで君がつけたキスマークってことにしているのかと思ってた。だからソンジュの精神衛生上、そっちのほうがいいかなと思っただけだし」    とユンファさんは鼻で冷笑する。  俺は付き合い立ての数回しかユンファさんの肉体に目合(まぐわ)いの印を残さなかった。俺が独占欲を出してキスマークをつけることで、結果として彼との「約束」を破ることとなるかと、すなわち彼と他の男との邪魔をする結果になるかと考えてのことだった。   「俺は今更他の男がつけたキスマークくらいで何を思うわけでもないよ」    これもまた俺の強がりであった。  俺はそっぽを向いているユンファさんの片頬をつつんで、やさしく上――俺のほう――を向かせた。彼は虚ろな()わった群青色の瞳で俺の目をしばらく眺めると、ふっとその瞳を斜め下へ逸らす。   「今は君とキスなんかしたくない」    とユンファさんはすげなく俺のキスを拒絶した。  俺がユンファさんの顔を自分のほうへ向けるときは、大概の場合はそれが彼にキスをする合図だったからである。俺は「わかった」といつも通り彼に従う。  すると彼は俺の目をキッと睨みあげたが、その唇だけは憎らしく笑っていた。   「さっきまで僕はあの人とならキスをしていたんだ。ちんぽだってしゃぶってあげていたよ、君とは違ってあの人、無理やり僕の喉奥にちんぽ突っ込んで腰を振ってくるんだ。」   「……そう。それで」    だから何だと俺は冷静にユンファさんへ問いかける。彼はそれだけで瞬時に威勢を失い、「別に…」と興醒めしたようまた顔を横へ向けた。  ……俺はソファの上に寝そべるユンファさんのTシャツをたくしあげた。首筋や唇へのキスができない以上、早速ここへいくしかほとんど選択肢はなかった。  俺がふと見下ろした彼の真っ白いわき腹に赤い歯型がある。もちろん俺がつけたものではない。先ほど彼自身も「体中噛み跡だらけ」と言っていたが、その通り先ほどの男につけられたものだろう。  なにも言わない俺の指先がその歯型を優しくなぞると、ひくんとした彼はこう問わず語りをはじめた。   「僕優しいのは物足りないんだよね、つまり君がするみたいなセックスのことなんだが…だから、今日もとびっきり酷くしてもらった…。今度、乗馬(むち)持ってくるって……」   「……そう…よかったね」   「…ぅ…うん…、…多分…もっと傷だらけにしてもらえると思う、今から楽しみだな……」    ローテーブルの上を遠く眺めているユンファさんは「今更」落ち込んでいるような声を出した。いつもならばこういうとき、俺が彼のことを心配してあげるからである。  それこそ俺はユンファさんの体に傷を見つけるなり、優しい心配の言葉を彼にかけながらその人の傷の手当をしたあと、しばしば「乱暴なセックスをするのだけはもうやめて。貴方の綺麗な体に傷をつけられることだけは、俺はとても()えられないから」というようなことを言っていた。  しかし今日という日の俺は、ユンファさんにさらなる嫌味を言った。   「じゃあ俺とのセックスは物足りないでしょうね」   「……うん……」    ユンファさんは蚊の鳴くような声で肯定する。  俺はこれ以上の会話を拒むように、ユンファさんの乳首を唇で食みはじめる。もう片方は小さな乳輪をばかり指先で(まる)くなぞる。真っ白な胸板についているその薄桃色の乳首は、俺の目に晒されただけでその先端をぷくりとわずかに膨らませはじめていたが、そう優しい刺激を与えるとよりきゅっと引き締まって弾力が出てくる。――「…ぁ…」と小さい嬌声が聞こえてくる。   「……ね…噛んで……」    とユンファさんがつぶやくように言う。しかし俺はやわらかい唇のみを使って、その小さい(しこ)りをしごく。「ねえ、噛んでよ…」とユンファさんは再度俺に言う。俺は仕方無しに軽く前歯の先で挟むようにだけその乳頭を甘噛みした。   「……んっ…♡ っち、違う、違うよソンジュ、痛いくらい噛んで、…思いっきり、ガリッて噛んでよ……」    ぴくんっと軽く胸を反らせたユンファさんは、しかしそれじゃ足りないと苛立った声を出す。俺は粒だったその先端をちゅ…ちゅ…とやさしく吸いながらしごく。もう片方は親指の腹でころがす。  俺はこれまでこの乳首はおろか、ユンファさんが痛いと感じるほど彼の体に思いっきり噛み付いたことなど一度たりともなかった。それは俺が怖気づいていたのではない。――はぁ…とユンファさんは艶やかな吐息をもらしながら腰から上を軽く反らせ、俺の部屋着の肩部分をきゅうっと握った。   「……ん…♡ ……ん…♡ ……は…♡ …んん…♡」    ちろちろと舌先で先端をこすり、もう片方は親指と人差し指の間で潰さない加減でこすりあわせる。  すると悩ましいか細い声をもらすユンファさんは、むしろこうした優しい愛撫をじっくりとしてあげたほうがその体をしっとりとよく濡らすのである。   「…ねえ…ソンジュ…」としかし、突然しおらしい声で呼びかけてくるユンファさんは、俺の後ろ頭をそっと片手でゆっくりと撫でてくる。   「…たまには、その…いいよ…。ソンジュも僕のこと、乱暴に犯して……」   「…………」    俺は彼の乳首から口を離した。  ぷっくりと一センチほどまで勃起した桃色の乳頭が、俺の唾液に濡れて光沢をやどし艶めかしい。   「……いや…まあ…君は、そういう変態的なプレイ、好きじゃないんだろうけど…はは、――別にそうじゃなくても…たまに、というか…毎日でも、ソンジュも僕のこと、性欲処理に使っていいんだよ。ただのオナホ扱いで全然いいから…ほら、他の人も僕のことそう扱ってくるし、何なら僕はそういうセックスのほうが興奮するから、痛いくらいのほうが気持ちいいし」   「…………」    俺は今度は反対側の、ユンファさんの乳頭を舌先でころころとねぶり回す。そして俺の親指の腹は、俺の唾液に濡れているもう片方の乳首の先端を極小さな力でこね回し、あくまでも優しい愛撫を無言で続けてゆく。――「ん、♡ …んぅ……♡」ピクンッと彼の腰の裏が少し上がる。   「……、…、…そ…それこそ今だって、君は僕に腹を立てているくせに…それなのに、よく僕なんかにそこまで優しくできるね君、馬鹿じゃない…」   「……、知らなかったの…?」と俺は唇を離していった。   「俺が馬鹿で間抜けで負け犬の、腑抜けたお人好しの旦那だって」    俺はするりとユンファさんの股間を撫でる。  乱暴なほうがよっぽど興奮するとはよく言えたものである。彼は俺の優しい愛撫に(いちじる)しく勃起していた。この()()()の手触りはまるで硬質な熱い骨を思わせるほどである。――さわさわとその男の硬質を撫でまわすと、彼は顕著に腰をビクッ……ビクッ…と間をあけて跳ねさせながら、明らかには…は…と荒い短い呼吸となり、しばしば「ぁ…っ♡」と短い吐息とともに嬌声をもらしている。   「……は…、し…知ってたよ…」    と遅れてユンファさんは強がる。   「でも、君がそうやって意地になってまで僕に優しくするから、僕が他の男と寝るんだっていい加減わからないのか? 正直、ソンジュのセックスはいつもつまらないんだよ。物足りない、味気ないし、刺激もないし、ほんと退屈だ…」   「…………」    俺はユンファさんの半パンと下着の中へ手を忍び込ませながら、ユンファさんの白いみぞおちに口付ける。ちゅ…ちゅ…と小さな音を立てながら、俺の唇はゆっくりと彼の白い引き締まった肌を下がってゆく。  そのなめらかなあたたかい白い肌がぞわぞわと粟立(あわだ)ちざらつくのを俺は唇で感じている。その皮膚の下でぴくんと小さく波打つ硬い筋肉を感じている。「ん…♡」と聞こえてくる秘めやかな声が俺の耳を感じさせる――その一方、彼の下着の中に入れた俺の手の肌には、湿気(しっけ)た熱気がまとわりついていた。  勃起の裏筋を先端のカリ下からつー…と中指の先だけで下がり、たわんだやわらかい皮の付け根、それから小ぶりながらもたっぷりと水を孕んだ求肥の水風船のような膨らみの形を撫でまわす。   「……、…」    ゴクンとユンファさんが喉を鳴らした。  やがて俺の指は彼の膣口に触れる。ビクンッとその人の腰が跳ねた。熱い。ぬるぬると彼の愛液が俺の中指の先にからみついてくる。やわらかなそのみずみずしい粘膜をぬめりにまかせて指先でじっくりとこする。――やがて俺は中指と薬指を二本、ひくついているその口にゆっくりと挿入してゆく。  朝から享楽男の気まぐれな逍遥(しょうよう)を許していたらしい彼の私有地は、今さら俺の指二本くらいのものを(とが)め立てるような気色(けしき)はない。そもそも門からして鍵などかけられていないのである。    もちろんここを空き地というには勿体無い、みっちりと詰まっている粘膜からしてたっぷりと瑞々(みずみず)しいやわらかさがある。熱いほどの体温がある。蜜を取ろうと飛んできた働き蜂が、(かえ)ってこの華のおびただしい蜜の量に溺れて享楽的に、堕落的に野垂れ死にするほどの潤沢な蜜がある。  月下美人の花蜜は並の花よりも分泌が多い。虫ではなく小型の蝙蝠(こうもり)にその蜜を啜らせることで受粉する華だからだ。  先ほどの男にもこうして応えていたのだろうと思うと、俺はまた嫉妬した。  しかしその割に――ゆっくりと、つぷぷ…と俺が自分の二本の指を彼の奥へ進ませてゆくさなか、その人は「は…」と息を詰め、たった二本の指が入ったくらいのことでこわばる腰の裏を少し浮かせながら、俺の二本の指が容易に開けないほど締めつけてくる。    (うぶ)すぎるほどよく感じている愛らしい彼のこの華は、もとよりそれほど狭い魅惑的な華なのである。そして早く俺の雄しべをこの蜜まみれの柱頭にあてがえと、受粉を誘うようその蜜を俺の指ににゅるにゅると絡ませてくる。    受粉にいたり、この華の花粉管(かふんかん)に雄しべを差し込む空想を、その誘惑的な空想を、俺の本能にチラつかせて誘う。厳密には月下美人は食虫植物ではないが、この華の中に落ちればまず這い上がってはこられまい。もはや彼のここに堕ちた者は、ここで果てる他に道はないのである。   「…ねえ、どうして……?」    ユンファさんが泣きそうな声でそう言った。  俺はくち…くちと二本の指をあさく押し引きする。  彼はビクビクと小さく震えると、「…はぁ……」と上ずった吐息を口からこぼしながら、腰を揺らしはじめる。くち…くち…くち…俺の指が動いているというより、ユンファさんの腰が動いて、むしろ俺の指を抱擁する蜜まみれの花びらでしごいているかのようである。   「どうして…――君のほうこそ…どうして僕なんかと、別れないの……」    切ないかすれ声で俺にそう尋ねてくるユンファさんは、その柳腰を艶かしくくねらせている。  俺は答えない。彼の愛らしい丸い()()にむしゃぶりつきながら、くちゅくちゅくちゅと彼の華の中を蜜とともに激しく撹拌(かくはん)する。あるいはここで果てた男の死骸がこの蜜に溶けこんでいるかもしれなかったが、いつだって俺はそれで構わなかった。   「……あっ…!♡ ぁ…♡ ぁ…♡ ぁ…♡」    クククとぎこちなく彼のお尻がソファに沈む。  反対にビクンッとその腰が反れて浮き、平たい筋っぽい真っ白な下腹部が突き出される。俺は浮いたその腰の裏にもう片手を差し込んで抱きあげる。へその奥を舌先でくすぐる。彼の陰茎の根本を体内からこすり続ける。くちゅくちゅくちゅくちゅ、ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅと淫らな音を俺の舌が、指が能動的に立てる。  ――早急に開かれてゆく純白の月下美人の白い花びらは、俺が思っていたよりも早く満開の時を迎えた。   「…あぁっ♡ イく、……ッ!♡♡」    突き出されたその人の下腹部が、ツーンとした開花のよろこびにビクンッ…ビクッ…と痙攣している。  ――ユンファさんはあまりにも容易くイッた。この通り、事実彼はむしろ俺に優しくじっくりと愛されたほうが、よっぽどその華を桃色に充血させて開かせる人なのである。   「何故別れないかって……今日が結婚記念日だからですよ」    と俺はやっとユンファさんの質問に回答した。  それから俺はふと目を上げる。彼は両腕を目元に重ねて顔を隠していた。   「……は、…はぁ…――じゃ、じゃあ……」    とすんと腰を落とし、ユンファさんの余韻に濡れているか細い震え声が、俺にこう問いかけてくる。   「…じゃあ…明日が来たら、僕と…別れるのか…?」   「いいえ」    まさか。俺は即答だった。   「……、ああ…そう」    俺の返事を聞いたなり、彼はまた高慢な態度にもどった。彼はその顔から自分の両腕を退かした。そして自分の胸もとまでまくれ上がったTシャツの裾を下へ引っ張りながら、   「残念。むしろ早く別れてほしいんだけど。」    と言うユンファさんは頬を紅潮させたまま、むすっとした顔でローテーブルの上あたりを眺めている。彼の切れ長の目は涙に濡れている。   「最近凄く思うんだ。結婚しているとほんと面倒なことが多いなって…。それこそソンジュが僕と離婚してくれたら、僕はもっと自由に色んな人とセックスできるのに……結婚してるというだけで、いくら“夫公認”だと本当のことを言っても、トラブルになりたくないからって避けられちゃうんだよ」   「…そう」 「そうだよ。だからいつも別れるかって僕は君に聞いているんじゃないか。何故そう君は(かたく)なに僕と別れないんだ? 早く僕と別れてくれないかな、僕の幸せのために」    ユンファさんはキッと俺を睨みあげた。彼の潤んでいるその瞳は強い意思が冴え冴えと光っている。   「嫌だよ、別れない。」と俺は断言する。   「貴方を愛しているから、別れない。」   「へえ」    ユンファさんは俺に呆れたような蔑視を向けてくる。   「結婚記念日に、赤い薔薇じゃなくて、黄色い薔薇を買ってきたくせに」   「そう。もちろん次には赤い薔薇を贈りたいけれどね」   「…ふぅん……次があるかな。やっぱり馬鹿なんじゃないの、君。――ねえ、どうせならソンジュも他の人とセックスしてみれば。」    ツンとユンファさんは俺から顔を背けた。   「いや、僕の知らないところでもう既に他の人とセックスしているのかもしれないが、その人と結婚すればいいじゃないか。…そもそも不倫だとか浮気だとか僕が言えたことではないし、離婚になっても慰謝料なんて一円も求めるつもりはないから、安心して――早く僕と別れてよ」    俺はユンファさんの頬に口付けた。  そして彼の耳元でこう囁く。   「嫌だ。貴方と離婚なんか絶対にしないよ……そもそも俺が他の人と浮気なんてしているわけがないでしょう…? 貴方以外の人には興味も無いし、何より…貴方もご存知だとは思うけれど、俺はずっと家で仕事をしているのだから……――ねえ、別れないからね。何があっても、俺はユンファさんとは絶対に別れないから。」    俺はそうユンファさんの耳元で断言する。  しかしユンファさんは遠くを眺めたまま、これ以上この件で何を言うわけでもなかった。       

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