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4 ※微

                 明くる日の昼下がり――俺は家の書斎からリビングへ従容(しょうよう)とやって来た。  昨晩からダイニングテーブルの上に放置されている黄色い薔薇の花びらが(しお)れはじめている。しかしその二本の薔薇を包みこむチョコレートブラウンの包装紙や、くびれたそれの根本にまかれている水色と薄紫色のリボンばかりが昨夜と何も変わらず、色褪(いろあ)せもしないでそこにある。  外側だけを見れば何も変わらない。ところが綺麗な包装紙の中では薔薇が二輪、水をくれる手も無しでは少しずつ萎れはじめている。    ――さて、ではそろそろユンファさんの様子を見に行こうか。  俺は昨晩から今に至るまで――翌日の昼下がりの今になるまで――ユンファさんのいる寝室には一切立ち入らなかった。昨夜のあのあと、俺はリビングのソファで眠った。四人がけのソファでの睡眠は容易ではないにしろ不可能でもない。ベッドに比べれば固くせまいソファでの睡眠は、(いこ)いとまではとてもいえないが、必要最低限の休息を取るという意味でいうならば可能であった。    そして俺はそのソファの上、今日も朝八時ごろ自然と目を覚ました。日頃から(つと)めて規則正しく整えている俺の体内時計通りの起床時刻である。  ただし俺の186センチの体格には狭くかたいソファの上での起床は、とても爽やかな目覚めとはいえなかった。起きてすぐ「今日は何がなんでもベッドで眠ろう」と思ったほどである。    起きてからは朝のニュース番組を観ながら朝食代わりのコーヒーを飲んだ。そのあとは書斎に行っていつも通り少し仕事をした。  ――やがて昼休憩のその頃になって、ようやっと俺はユンファさんの様子を見に行こうという気になった。    俺はミネラルウォーターの600ミリペットボトルを片手に、寝室の扉をそっと開けて中の様子を(うかが)う。  寝室は昨晩から室内灯をつけていない。また部屋の窓辺につけている遮光カーテンが閉め切られているということもあり、実際には昼下がりの今でも、その部屋の中だけは昨晩から真夜中が続いているかのように妖しい薄暗さが充満している。――しかし、ベッドサイドテーブルにあるサイドランプだけは灯したままであった。  そのランプの夕陽のような橙色のやわらかい光は、昼間の陽光ほどすみずみまでを照らす澄明なまばゆさこそないが、日暮れの夜に制圧されかけている薄明の程度にはこの部屋を照らしている。    そうしてベッドサイドからの薄明かりに照らされているユンファさんの裸体は、昨晩とおなじようにベッドのうえで全身を拘束されている。当然である。まさか彼本人にその全身の拘束を解けるような自由はない。   「……は…、…ぁ…――ソンジュ…」    寝室の扉からそっと中を窺う俺の気配に気がついたユンファさんは、疲労した枯れた声で俺の名を呼びながら、疲れきったうつろな目を部屋の出入り口にいる俺のほうへ向けた。   「おはようございます、ユンファさん…――。」    俺はあえておもむろに寝室の扉を大きく開け、さらに悠長な足取りで寝室へと入り、ゆっくりと彼の待つベッドへ歩みよってゆく――。  ユンファさんは昨晩から変わらず、この寝室の中央に置かれたキングサイズのベッドの上でその全身を拘束されている。黒革の手枷をはめられている彼の両手首は、彼の頭上にあるベッドヘッドに手枷と手枷のあいだのチェーンを絡められて固定されており、その人の白い引き締まった二の腕は、俺にその無毛の脇の下からあらわにするようにその両方が上がっている。    そしてその首にはめられている黒い首輪と、彼の両腿のベルトはやや短めの銀のチェーンで繋げられている。  その拘束具によって否が応にも彼は股をおおきくひらき、両膝を曲げ、いわばその両脚をM字に開くことを強いられている。またそのチェーンによって、彼は無理にその白い長細い太ももを両方首輪のほうへ引き上げられているため、その男らしい筋ばった白い足はベッドに着いていないで、力なくしなだれている。    そうして全身を拘束されているユンファさんの股間でいまだうごめいて尻を振るバイブは、黒革の固定バンドによって一晩中抜けないように押さえつけられていたばかりか、そのバイブの電源はコンセントから取っているため、いまだに息絶えることなく彼の膣内を撹拌しつづけていた。  ……ただしさすがに乾電池式のローター、彼の陰茎の裏筋にマスキングテープで貼り付けたそれや、充電式の彼の乳首に取り付けたローターは動きを止めている。――というよりか、彼の汗と身じろぎのせいか、それら三つは乱れて(ひだ)の多くなっている白いベッドシーツに息絶えて落ちている。    ユンファさんの側に来るとわかる。  おそらくもう何時間も前にそれらは彼の体から離れていったのであろう。彼の桜色に染まって脂汗の照りが艶めかしい胸板やその乳首の周りに、吸引されていた肌の鬱血は見られない。――ただし彼のその乳首は、彼の肌が白いばかりに赤と見えるほどいまだやや青みかがった濃いピンク色に染まっており、その膨らみ方もきもち普段よりぷっくりとして見えるようだ。  また彼の陰茎のほうもいまやぐったりとして力ないが、普段よりかは赤らんで薄桃色よりもっと鮮明な桃色と見える。ことその先端の鮮やかな濃いピンク色の先には、淫らな精液の白が濃いピンクに映えてにじんでいる。    俺は手にもつペットボトルをベッドサイドテーブルへと置き、ベッドに片膝を着いてそこに乗りかかると、べっとりとユンファさんの頬に張り付いた黒髪をつまんで彼の耳のほうへならす。  (のり)が乾いたようにパリパリとして、細い鋭利な牙のような束の形で固まっているその前髪は、なるほど俺が昨晩彼の顔にかけた精液が乾いて、このかたちで固まってしまったのだろう。  ――ところが精液らしいあの独特な青臭い臭気は今はない。何かうっとりとするような甘ったるい砂糖菓子のような、ユンファさんの甘い桃の香のほうがよほど濃厚に、香炉から立ちのぼる香煙(こうえん)を直接()いだかのごとく俺の鼻腔に張りつくほど香っている。    それどころかあれほどたっぷりと、それこそ彼がその目を開けるのさえ(はばか)るほどその美貌にたっぷりと射精したはずの俺の精液は、不思議といまや見る影もない。その頬に乾いた透明な糊状のかけらが(うろこ)のように残っているように見えるところもあるが、もしかあれからユンファさんがだらだらと汗を流していたからなのか、今もなおうす赤い彼の顔はなめらかな真珠のような艶を宿していてすっかりと綺麗になっている。    俺はゆっくりとユンファさんの汗ばんだ赤い耳元へ唇を寄せる。あわや息を止めそうになるほど完熟した桃の香りがなお濃い。   「それで…あれから何回イけたの…?」    と俺はささやき声で彼に尋ねてみた。  ひく、としたユンファさんはそれに弱々しく「わ…わからない…覚えてない…」と首をゆるく振る。   「…ふ…数え切れない(ほど)にイけたのですね。…だけれど、まだ足りないのでしょう…?」   「…いや…もう、…もういい……ぁ、♡」    俺は大きく舌を出し、舌先からふっくらとした舌の腹までをつかって、彼の片頬をぺろぉ…とゆっくり舐めあげる。もはや彼の汗で流れてしまったものと思われていた俺の精液の味が、その桃の甘い果汁の中にわずかに(くど)い塩味となってのこっている。   「っやめ、……やめろ…!」    ユンファさんは俺からバッと顔をそむけてそれを嫌がった。「美味しいよ、ユンファさん」と彼の耳に囁く。ぞくりとしたか、彼はふる…と小さく震えると、はぁ…とうんざりしたような感じたようなやや重たいため息をつく。   「…拘束を()いてとは言わないのですね…?」    と俺はユンファさんの赤くなった乳首の先をカリカリと爪先で優しく引っ掻いた。   「…あ゛っ♡ ぁ、♡ いっ…」    ユンファさんは顔を顰めながらそれを嫌がって身をよじり、「痛い、…」と俺を睨みつけてきた。   「っやめろ、…」   「…痛いという割に甘い声を出したじゃないか…?」    俺は手をぱっと上げながら彼をそうせせら笑った。ユンファさんはむすっとして俺から顔をそむける。   「…何故痛いの…?」    俺は含み笑いながら尋ねる。   「…馬鹿じゃないのか君。自分の胸に聞いてみろよ」    やはりユンファさんはにべもない態度を貫く。  では、()()()()()()()()()()()()()()()()()とはこうである。  ――まず昨晩例の乳首用の吸引ローターをユンファさんの乳首に装着する際に俺は、彼の乳首全体に揮発(きはつ)性の低いローションを塗った。  それはローションなどの水気があるほうが吸盤はより長く彼の乳首に張り付いて離れないという理由もあったが、何より、俺ははじめからそれを装着させたまま彼を長時間放置するつもりだったためである。    しかしもはやそうした潤滑性のあるないに関わりはなく、長時間それだけで乳輪からぷっくりと隆起するほど吸い上げられていた上に、やわいシリコンとはいえ、長時間先端をばかり細かい粒の突起がある舌にねぶられていて、ことデリケートな乳首が炎症を起こさぬはずがなかった。  要するに、それでなくとも皮膚がうすく柔らかい乳首という部位に、強力な吸引によって強制的に血液を集められていた上、その血が集まってより敏感になった場所を長時間(なぶ)られた末では、当然ユンファさんの乳首は今ヒリヒリとまるで火傷(やけど)でも負ったかのように炎症しているに違いなかった。    しかしその状態をあえて淫猥に言い換えれば、より乳首の性感が鋭敏になっている状態ともいえる。火傷を負った箇所に息を吹きかけるとそれだけでヒリヒリとするようなものである。  ましてや多少なら痛いくらいでも快感とするユンファさんの体は、今むしろ「整っている状態」とも言えるか。    俺は「教えてくださらないのなら」と彼の乳首の先を指の腹でぴんぴんと軽くはじく。「ん゛っ…♡ やめ、…」とユンファさんはビクンッと腰を浮かせてやはり嫌がったが、俺はその蠱惑的な赤い乳首に唇を寄せ、優しくはむはむとやわらかい唇で愛撫する。   「…あぁっ♡ …ぁ…っ♡ ん、ん…♡」    俺はいつも通りやわらかい唇の表面でその乳首を愛撫しているだけである。しかしユンファさんはビクッ…ビクンッと上体を跳ねさせながらくねらせ、   「…ん…っ♡ …んんっ…♡ っいや、ぁ…っ♡ ぁぁ…♡」    と普段より乳首への愛撫であられもなく切ない声をもらしながら()がり、いやに感じている。俺はその粒だった乳頭に、たっぷりの熱い唾液にぬるつく舌先をねっとりと絡める。   「…あっ…!♡ ぁぁ…っ♡ ぁ…っ♡ ぁ…っ♡ やっ…いや、…いやだ、ソンジュ、…ねえやめ、…ァ、♡」    ともすれば泣きそうなほど濡れた声であえぐ彼は、やはりその背筋をビクッ…ビクッとさせながらガチャガチャと拘束の鎖を鳴らして身じろぎ、俺がその弾力のある乳首の先を舌先でちろちろくすぐりながら触れた彼の陰茎は――俺の手の中でひく、ひくとしながら、徐々にハリをもたせはじめている。  ……俺は彼の乳首から口を離した。   「……、本当に嫌なの…?」   「…はァ…ッ!♡」    ユンファさんは俺の吐息が乳首にかかっただけでビクンッと腰を浮かせた。俺は彼の勃起しつつある陰茎の先端を親指の腹で円く撫でながら、片肘をベッドに着いてその拘束された体に寄り添うよう寝そべる。  ……ユンファさんの陰茎の先は熱くつるつるとしているが、どんどんと滲みでてくる粘液にぬるぬるとして撫でやすい。   「…ん、♡ …ん…♡ …はぁ……はぁ……」    ときおり腹筋やみぞおちをへこませるようにひくっ…ひくっとしながら、こてんとユンファさんは隣の俺へ顔を向けた。――普段は凛々しい角のある彼の端整な黒眉はいま弱々しく力がゆるまり、その眉尻はなお切なげに下がっている。はぁ…はぁ…とうすいあわい呼吸をくり返す半開きの赤い肉厚な唇は何か物言いたげにふるえ、そして、その潤んだ半目開きの赤紫の瞳は俺の目をじっと見つめてくる。  ……彼のこの虚ろな恍惚とした表情をひと言で表現するならば、「物欲しそうな顔」といったところであろうか。   「…そんな物欲しそうな可愛い顔をして……俺が欲しいの…? ふふ…“抱いてソンジュ”と言ってくださるなら、抱いてあげるけれど……」   「……、…別に…」    としかしユンファさんは目を伏せ、ふいと俺から顔をそむけた。   「そう。」    俺はユンファさんの勃起から手を離した。  いつもの俺ならばここで「いや、でも俺が貴方を抱きたいから」と言って、ユンファさんのことを組み敷いたことだろう。――俺は、俺から顔をそむけているユンファさんの、そのしっとりとしたうす赤い頬を撫でる。   「昨晩はお一人で何を考えてらっしゃったの」   「……別に何も。」   「…そう。この拘束具、外してほしい…?」    俺は片腕を立て、ユンファさんの不機嫌あらわな横顔を見下ろす。そしておもむろに、ユンファさんの胸板の中央においた手をつー…と下へ向かわせる。   「…当たり前だろ、もういい加減にしろよソンジュ、…っこんな……」    俺の手のひらの感触に触発されて俺を睨みあげてくる鋭い切れ長の目、なおも意思の強い薄紫色の瞳――俺は彼に微笑みかける。  汗に濡れている高めの体温、弾力のあるゆたかな筋肉を浮かび上がらせている薄いなめらかな皮膚、くぼむ丸いへそ、硬い下腹部、……俺の手はいまだうごめくバイブの尻を掴み――押し込む、押し込む、押し込む。   「んっ…♡ んぁ、♡ やっ…やめっ…♡ やめ、…っ!♡ やめろ、……――っ♡♡」    するとユンファさんは苦悶の表情を浮かべてぎゅっと目を瞑ると、いやいやとかぶりを振りながら腰を浮かせ、暴れるように激しく身をよじって逃れようとする。彼のその動きにガチャガチャと鎖が軋轢の不穏な音を立てる。俺の手首はより苛烈に動かされて痛烈な熱をもちはじめる。   「…ねえユンファさん…? 残念ながら、俺しか貴方のこの拘束を解ける人はいないのですよ…。ですから、ご自分の立場をきちんとご理解いただかないと……」   「…んっ…♡ ぁ、♡ ぃ…〜〜っや、…やめて、お願い…っ!」    やがてユンファさんは自分の不利な立場をやっと理解すると、悲しいことで泣いているような顔を左右にふりながら、俺に「やめて、お願い」と頼んできた。  そして彼は何とか薄目を開けて俺を見上げる。   「や、やめてソンジュ…っ! もうやめて…っやめて、やめてよお願い、僕が悪かった、悪かったから、…」   「……許してほしいのなら、俺と“新たな約束”をしてください。――これからは俺の言うこと全てに従いますか…? そうしてくださるのなら…」    俺はユンファさんのその悲痛げな表情の上で自若とそう持ちかける。彼は俺が最後まで言いきらないうちにコクコクと必死に頷いた。   「…わっわかった、従う、…っ従うから…!」    俺はバイブの尻から手をはなし、それの電源をカチリと切った。   「今、確かに約束しましたからね、ユンファさん…」    そして俺はユンファさんを組み敷いた。  彼を見下ろす俺の目元には重たい、重たい、重たすぎるほどの嫉妬の重圧がかかり、そうした俺の瞳にのしかかられて逃げ場もないユンファさんの薄紫色の瞳は、ただじっと俺の水色の嫉妬を見上げて動けないでいる。       「俺はこれまで…貴方との約束をしっかりと厳守してきました…――ですから今度は、貴方が俺との約束を守る番です……そうでしょう、ユンファ」             

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