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                「……はぁ、はぁ……」    ユンファさんは脱力したように俺の太ももの上にお尻をおろして斜め下へ顎を引き、そのはぁ、はぁと荒々しい呼吸をくり返している半開きの赤い唇に、ゆるく握られた拳の人差し指の側面をあてがって、その黒眉をややひそめながらきゅっと目をつむっている。  また彼の黒いハイネックの裾は今やずり落ち、かろうじてその人の赤らんだ乳首の真上でとどまっている。そして彼の細長い白い両脚はゆるやかな山形(やまなり)に立ち、力なくその両膝の側面をあわせているために、その人の汗がつたう(すね)は八の字形となっている。   「……はぁ、は……はぁ……」   「……、…」    ユンファさんは俺がむくりと身を起こしたことに気がついているのかいないのか、その立てた両膝を俺の腹筋の浮き彫りになった硬い腹に押されてもなお、ただはぁはぁと荒々しい呼吸をその赤い唇でくり返しているばかりである。――俺は彼のお尻の下から力強く両脚を抜きとりつつ、少々手荒な勢いで彼の肩を押し倒した。   「……っ? え、…あ…っ?」    どさりと俺に押し倒されたユンファさんは、獣が飛びかかってきたような俺のその勢いにその目を白黒させて俺を見上げた。が、すぐに彼は――両肘を着いて彼を見下ろしている俺を――冗談半分なじとっとした薄目で、甘く睨みあげる。   「…あーあ、結局こうなっちゃうのか……」    とそうぼやくユンファさんは、どうも俺に組み敷かれる――言い換えれば俺の体の下になり、俺に見下ろされる――と制圧された感じがするらしく、悦んでいるような恍惚のもうなかばやはりどこか悔しそうでもある。  ……俺はユンファさんの唇に唇を寄せ、ちゅ…と一度だけ軽い口づけをしたのちににやりと笑う。   「…今日のような感じもなかなか楽しかったですよ…。…ねえところで…――もしかしてユンファさん、もう俺のじゃないとイけなくなっていたりしませんか…?」   「……、…」    ユンファさんは俺の目を甘い涙目で見上げ、少しだけその赤い肉厚な唇を尖らせるばかりで何も言わない。――しかしややあってその唇の端をニヤと上げた彼は、おもむろに俺のうなじに両腕を回しながら、   「調子に乗っちゃって…可愛い…♡」    と俺を小馬鹿にした。   「……、…」    俺はなかば無理やりの獰猛な動きで、斜めからの唇で彼の生意気な笑みをたたえるその赤い唇をふさいだ。   「……んっ…、ぁ……んん…♡」  するとユンファさんが鼻からやや苦しげな甘い声をもらす。  ……俺は自分の唾液ににゅるりとよくぬめる舌を彼の甘い熱い舌にからめながら、その人の片方の膝をつかんでぐっと外側へ開く。――それと同時にぐ、と俺のうなじを抱き寄せたユンファさんは、俺の舌にされるがままだった自分の舌を伸ばし、俺の舌にその甘い舌をにゅるにゅると這い(まつ)わる。  ……そうしてお互いに舌を()り合わせながら、お互いに斜めから唇をはみ合うさなか――俺は彼の膝にあった片手で、スキンを着用したままの亀頭の先端を彼の膣口にあてがい、ずぷ…とまずはその亀頭を彼のなかに押しこむ。   「……っんぅ、♡」    するとぐうっと腰の裏を浮かせたユンファさんだったが、彼の体は俺の勃起を受け容れるに服従してじっと静止し――ずぷぷぷ…と俺が推し進むにもたやすく、みるみると俺のことをその熱い膣内におさめてゆく。……俺は自分の恥骨が彼の臀部に密着したなり、その人の唇をまったりと食みながら、恥骨を何度も浅く押しだす。  くちゅくちゅと小さい音がなる。すなわち俺はそうして彼の子宮口を突きはじめたのだが、俺のそれは突くというよりかはコツコツコツと優しく「つつく」ようである。   「ンっ♡ …ん…っ♡ ん…っ♡ ん…っ♡ ん…っ♡」    すると悩ましい鼻声をもらすユンファさんが、はぁ…っと自分の口をふさぐ俺の唇から逃れるよう斜め下へ顎を引く。彼は困ったような潤んだ横目で俺を見る。   「……は、ぁ…♡ ぁ…♡ ぁ…♡ ぁ…子宮、♡ 君に、やさしく…こつこつ、…されるの…だめ……♡」    だめ、とユンファさんはきゅっと目をつむった。  俺は「何が駄目なんですか…?」とやさしい低声(こごえ)で尋ねる。  すると閉ざしていたまぶたを少し上げてまた斜めから俺の目を見たユンファさんは、その恍惚とゆるまった切れ長のまぶたの下、目近(まぢか)にある俺の瞳を泣き出しそうな切愛(せつあい)の赤紫の瞳で見つめ、そしてそのうら悲しい瞳を小刻みに揺らしては涙の光沢を儚くまたたかせながら、弱々しくその眉尻を下げる。   「……ぁ…♡ あん…♡ あ…甘や、かさないで…、じ、じわぁって広がるの…はぁ…♡ ぼくの子宮、ぜんぶ…幸せに…なっちゃう……」    こう言うユンファさんは「可愛い顔」をしていた。  普段から彼は俺に抱かれると、ときおりこの弱々しい泣きそうな顔を俺に見せる。  その表情はたとえば俺という恋人を欲しているような、しかし、恋人という関係性に踏み切れないある種の恐れに身を焦がされているような――ある意味では俺との恋を「禁断の恋」として、今の肉体関係以上に踏みこむことを躊躇しているような――、たとえばここで一つでも選択を間違えれば俺との恋に、俺に溺れてしまい、ともすると自分が自分ではなくなってしまう……だからこれ以上は駄目だ、これ以上は駄目、……そう自分の恋心を押し留めようとしてもなお、それを押し留める自分の理性に責められてしまう本心、つまり俺への恋心が、悲しみの涙をこぼしている…というような、――あの最初の夜からときおり俺が見てきたユンファさんのこの顔、もの悲しいが俺にとってはたまらなく愛おしいこの表情は、ある意味では魔性のそれである。    彼はこの顔でいつも俺の恋心を期待させた。  その困惑と自制と悲哀の(かげ)りの内側からは、蜜のような官能と心酔と切愛の甘美ななまめかしさがにじみ出していた。――普段の酷薄(こくはく)なまでに冷淡な美男子のこのあえかな表情には、普段の彼らしくなくもしかし人らしい愛しいなまめかしさがある。…だから俺はユンファさんのこの表情をいつも「可愛い顔」だと言った。   「……ふふ…ユンファさん、そんな可愛い顔をして…そんな可愛いことを言ってしまうんですか…?」    俺がこう言うと、いつもユンファさんは「別に僕はそんな顔はしていない」とムッとした。  ……しかし今日の彼は違った。彼はその切ない泣き出しそうなとろんとした表情を、コク…と極わずかな幅で縦に振った。――俺はドキリとした。  俺は何かやけに素直で愛らしい彼をからかうなり何なり返答をしようと思ったが、そう思いながら言葉より先に激しく腰を動かしていた。――その愛おしさに我慢の効かなくなった俺のこの衝動は、その人の子房(しぼう)の中に俺の種を宿させることだけを目的としている。   「んっ…!♡」    とユンファさんの眉が悩ましげに寄る。  ばちゅばちゅばちゅばちゅばちゅと俺の恥骨と彼の濡れた膣口とが荒々しい音を立てる。   「……っは、あっ♡ あっ♡ あっ♡ あっ♡ あんっそ、♡ ソンジュ、…ソンジュ、お願い、…」    ユンファさんはその眉目(びもく)を苦悶げに翳らせながらも、しかし俺の目を潤んだ赤紫の切ない瞳で見つめながら、   「…お願い、ソンジュ…ソンジュ、は、♡ ぼっ僕のなかにいっぱい出して、…なかに欲しい、君の精液、いっぱいなかに欲しい、お願い、――お願い、…今日だけ…お願い……」   「……、…」    俺は止まった。  ……確かに俺は今、ようやっと自分も天上へ登りつめようという目的ありきで激しく動いていた。なおそれは俺が「そろそろ出そうかな」と意識的に決めたことではなく、俺の肉体が「もう限界だ」とその放出へ向けて駆け出したのである。  しかし切ない泣き出しそうな顔と声で、あたかも切望というようにユンファさんに「お願い、なかに出して」と言われたとたん――先ほどまではすっかり忘れていたというのに――俺の頭の中にはふと隔たり(スキン)の存在が思い出され、そのためらいから俺は動きを止めてしまった。    ユンファさんのその言葉の真意は何だ?    今この瞬間にそのスキンを外し、本当に腟内射精をしてもよい、ということなのか――彼を妊娠させれば否応なしにこの美男子は俺だけのものになる…どこかでいけないとはわかっていても、射精を控えている俺にはそれが彼の本心とわかったならもはや拒むことなどできない――あるいは俺の昇天をより快いものにしようという、彼の単なるリップサービスなのか――その言葉とは果たして彼の本心なのか、それとも単なるこの場限りの阿諛(あゆ)なのか?   「……はぁ、はぁ……」    俺は息を切らしながら硬直した。今の俺には我ながら正常な判断ができるとは思えない。…カッターシャツの布の下、俺の背中から熱い汗がつーとわき腹へ伝ってゆくのがこそばゆい。  ……しばし俺のその戸惑いを眺めていたユンファさんは「はは…」と眉尻を下げて寂しそうに笑うと、俺の垂れ下がった金の横髪をこの片耳にそっとかける。   「…言っただろ…? 君のそういうところも好きだって…だから気分だけ…、気分だけ、僕に中出しして…」   「……、…」    ユンファさんのその笑顔の寂しさは――媚びた人のそれではない。   「……俺、でも……本当にそ、…んっ…」    俺の「本当にそれでいいんですか」と言いかけた唇を、ユンファさんの唇がふさいだ。彼は俺の疑問の発露をその唇でもみ消そうと俺の唇を食むが、しかし俺の胸中で今もなお(くす)ぶりつづけている疑問の火種がそれで消火されるはずもなく、むしろ俺のこの胸からもくもくと喉へまでこみ上げてきたその煙は、()せそうなほど俺の喉を刺激してくる。  ふ、と彼の唇が離れたその瞬間――俺は再度「本当にそれでいいんですか」とその疑問の煙を口から吐き出そうとしたが――ユンファさんは悲しげな半目開きのまなじりから涙をつーとこめかみへ伝わせ、その涙に濡れた赤紫の瞳で俺の目を見つめながら、   「……好き……」    と――あえかな吐息で俺に切ない愛を囁いた。 「……、……」    俺は驚いて目を見開いた。とてもじゃないが、俺にはもう胸中の疑問など彼には吐きかけられない。  ユンファさんは眉尻を下げて笑う。   「……はは、そんなに驚かなくても…、別にいいじゃないか…。今は僕、一応ソンジュの彼氏なんだし…」   「……今は、だとか…一応だなんて言わないで…」    と俺はぼそり呟くように言った。それから腕を立ててもう一度確かに、なかば泣きそうになりながらこう言った。   「い、今だけだとか一応だとかなんて言わないで、…俺、俺は、どうしたらユンファさんの、…俺のこと、どうかユンファさんの本当の彼氏にしてください、…」  俺は哀願しながら眉をひそめる。  この高ぶった切実な愛には、放出されるべき俺の欲望も多少鎮まった。もはやそれどころではない。   「何が足りないんですか、俺、…ユンファさんが望むのならば何だってするし、貴方にならば何だって捧げるよ、俺どんな男にだってなります、貴方が理想とする男になってみせます、だから、…」   「…いや…」とユンファさんは眉尻を下げた眉を寄せ、そのまま儚げに微笑する。   「ねえ…無理だよ」   「…無理って、? 何故?」   「だって僕ら、セックスという目的が無ければまず会わないだろ…?」    ユンファさんは微笑したままふと諦めたように目を伏せる。   「出逢いだってそうだった…、今だってそう。何なら真っ最中じゃないか…――今更恋人だの何だのって、今更デートなんかするつもり…? ふふ…無理だよ…、多分僕たち、このままの関係性でいたほうがまだ長続き…」   「俺の恋人になってください」    と俺は彼の言葉を真剣な愛の告白で遮った。  俺のこの愛の告白にはある確固たる決意が秘められている。――ユンファさんは「はは…またそれかよ」とその眉をひそめて呆れた笑顔を浮かべると、つと俺の目を見た。彼のその紫の瞳は俺のことを(あなど)っている。   「…じゃあ君は、僕とセックス無しでも会えるの?」   「勿論。勿論会えますよ。」    俺は即答した。そう…これは俺の決意の内の一つだ。  ――俺は決意した。()()()()()にしようと。  おそらくユンファさんは俺が自分の肉体に耽溺(たんでき)していることを知っており、であるので、こうとでも言えば十中八九俺が引くに違いないと確信していたようだが、…俺はユンファさんと正式に付き合えるまではもう彼を抱かない。  そう決めた。いや、思えばそういった正統な順序あってこそ、誠に真剣交際を望んでいるとの俺の「誠実な恋心」を彼に示せるところを、今まではつい彼の肉体の魅力に負けてそこにまで踏み切れなかった俺にとって、これはよいきっかけ、いわば巻き返しのチャンスだといっても差し支えない。   「……、はあ…?」    と目を丸くして俺の目を見ていたユンファさんが、やがて(いぶか)しげにその目を細める。   「ねえソンジュ、言っている意味わかっているのか…? それ、僕とセックス抜きで会うって…」   「勿論わかっていますよ。…俺はさっきもそのつもりで“俺の恋人になってください”と貴方に言ったんです。ということで、一先(ひとま)ずはこれっきりにしましょう。」   「……は?」    ユンファさんがなかば俺を睨みつけてくる。  しかし俺は彼のその懐疑(かいぎ)的な切れ長の目を見据えながら、断固とした真顔でこう続ける。   「ですから…俺はもうこれっきり、ユンファさんときちんと正式にお付き合いが出来るまではもう、貴方のことを抱きません。勿論キスもしません。…だってこれからはセフレじゃなくて、貴方の“恋人候補”にランクアップするんですから。」   「……、はは…それ、本当にランクアップか…?」    ユンファさんが俺を馬鹿にしてせせら笑う。   「…いや、どちらかというとランクダウンだろ…、というか馬鹿馬鹿しいと思わないの…。それこそ今だって最中だっていうのに、セックス無しで僕と会う…? ふふふ…――会ったらどうせ僕のことを抱く癖に……」    と妖艶に微笑したユンファさんだが、…俺は「なるほど、それはごもっともな意見です」と真顔でうんうん頷くと――後ろへ腰を引いてゆき、彼の膣内から抜けでた。   「……っ? ……な、何して……」    ユンファさんは慌てて身を起こした。俺がベッドにあぐらをかいて座り、それこそ射精間近の極盛(きょくせい)たるそり返った勃起からスキンを外したからである。   「俺はやっとユンファさんの“恋人候補”にランクアップしたんですから、そうともなれば、今日ももうこれで終わりにしなければ。」   「……え…? は? いやっね、ねえソンジュ、怒ったのか? 別に、なあだって君、そろそろ…」    とさすがのユンファさんも困惑しているが、俺は先ほど脱がされた自分の下着を探して周囲を見回す。…ベッドの下にスラックスと共に捨てられていた。 「いいえ、別に怒ったんじゃないですよ。今俺は全然怒ってなんかいません。…」    言いながら俺はベッドから下り、…当然男としてはこの我慢というのはなかなかの苦しみがあるが、…ベッドにいるユンファさんに横半身を向け、ここは大きなチャンスを掴むためにと自分の下着を拾い上げると、強い意志をもってそれを穿()いてゆく。   「俺にとっては一時的な、それこそ数秒の快感というチャンスなんかどうでもいいだけです。」    俺は立ったまま見下ろす手元、上手いこと下着におさまりきらない()り詰めたそれと格闘しながらも、口もとににっこりと笑みを浮かべる。   「――そんなものより、俺はユンファさんの恋人になれるという方がよっぽど嬉しいから。こんなに大きなチャンス、掴まない方がむしろ男としてどうかしていますよ。」    ……まあ時間とともに(しぼ)むだろう。俺はベッド――ユンファさんのいるベッド――に体の正面を向けると、腰をかがめて足もとに落ちているスラックスを拾い上げるが、それを手に背を正しながらチラとユンファさんを見やる。 「……、…」  ベッドの上に斜め座り――曲げた両脚を斜めに倒している座り方――をしているユンファさんは、俺を見上げてただ唖然としていた。  ……しかし俺と目が合うなり、彼は困惑にその端整な黒眉をひそめると、俺を見上げるその薄紫色の瞳をくらくらと揺らしながら、「だ、だって…」   「…だって君、やっと射精、ふぇ、フェロモンだって嗅いで、……怖い…いっそ怖いよ、…ねえ何でそんなことが言えるんだソンジュ、…あ、有り得ない…――ね、ねえ…いいから、あんなの冗談に決まっているじゃないか、興醒めしてしまったんなら悪かったよ、…ねえいいよ、ねえ…最後までしようよ……」    と言うユンファさんのそれは、彼自身が最後までしたいというよりか、射精間際にもそれを遂げられない男を(あわ)れんでいるというようだ。現にそういう彼の表情は可哀想なものを見ているかのような心配げなそれである。――ならばなお俺はこれで構わない。とそう示すために、俺は腰をかがめてスラックスに脚を通していきながら、   「…はは…別に俺を基準にした“最後まで”じゃなくてもいいんです。…ユンファさんは沢山イけましたでしょう。――それに…お互いにちょっと名残惜しいくらいの方が、きっとこの場合はいいと思うんです。…ほら、俺たちはこれからデートをするわけですが、この名残惜しさはきっと、今後の二人のロマンチックな気分を盛り上げるちょっとした良いスパイスにもなりますよ。」   「は…? で、デート…? な…なんで、そ…んなこと、言えるんだ、君…? この状況で…信じられないんだが……」   「…何でって…そりゃあ勿論、俺がユンファさんを愛しているからです。」  俺はスラックスのホックを締めながらそう断言し、ジーッとジッパーを上げる。――この一連の動作にはさすがの俺の体も諦めはじめており、まだふっくらと期待しているところはあるが、その期待も極限からは衰えつつある。   「…ソンジュ…僕、なんかと…デート、したいの…?」    とユンファさんが困惑気味に俺に尋ねてくる。  俺はカッターシャツのボタンを上から留めていきながら、「ええ、とても」と笑って答える。すると彼はなおも困惑気味にこうさらに俺に尋ねる。   「…そ、それは…その、…セックス…無しの…?」   「うん。はは…勿論付き合うまでは、という話ではありますけれど……そうだユンファさん、貴方はどこに行きたいですか?」 「え、ど…どこっ、て……?」    あまりにも動揺しているユンファさんに、俺は手元からつと瞳だけを動かして彼を見下ろす。彼はやはり困惑にその表情を曇らせていた。   「デート。…行きたいところは…? あるいは、貴方がお好きなところでも」   「ねえつ、つまらないよソンジュ、はは、僕とその…セックス無しの、デートなんかしても……」    とユンファさんは困り笑顔を浮かべるとうつむき、しかし俺が断固として示しつづけている「終わり」に、諦めたように胸板の(なか)ほどまで下りてきていたハイネックの裾をおもむろに下ろしてゆく。  俺は「そんなまさか」と明るい声で言う。   「つまらないなんてことは絶対に有り得ませんよ。はは、だって好きな人とのデートなんですから。…それで、どこに行きたいですか」   「…ラブホ」    無表情でうつむいている彼がぼそと低い声でそう言う。  俺はカッターシャツのボタンを見下ろし、それを留めてゆきながら、「はは…」と困って笑った。   「別に構いませんけれど…? 確かにラブホテルって面白いところも多いですし、場所によってはサービスにも独自性があって、案外テーマパークのようにロマンチックだったりもするから……ただ勿論、貴方が俺と付き合ってくださるまでは、ラブホに行っても何も起こりませんよ。それでも構わないのであれば。」   「……じゃあ…家…」    そう言うユンファさんの小声は何か暗かった。  ……俺はまた彼を見た。うつむいている彼は下半身に黒いかけ布団をかけて、その布団のなかで立てている膝を抱えていた。   「はは…家ね…」と俺はまた困って笑う。   「…まあそれでも構いませんけれど…その場合でも、俺の返答はラブホのそれと同じですよ。…他にはないんですか」   「……無い」   「……、…」    暗い顔をしているユンファさんに、俺は急いでカッターシャツの最後まで数個のボタンを留めてから、ギッとベッドに膝を着き、うつむいている彼のそばにあぐらをかいて座る。   「……それじゃあ…今までの彼氏たちとはどこに行きましたか。どこが楽しかったですか?」    俺はユンファさんの顔を覗き込みながら、努めて声を明るませてそう質問した。  本当は多少嫉妬していたからである。いくら過去の人らとはいえ、ユンファさんとデートをした彼の元カレたちに俺は嫉妬していた。――というのも、彼の元カレたちはおそらくはこんな強引な形ではなく、むしろ俺とのそれには嫌々な様子のこのユンファさんも、元カレたちとのデートには進んで行ったのだろうと思えたからだ。  ……しかしユンファさんはうつむいたまま、その表情を曇らせたままで「いや…」と元気のない声でいう。   「行ったことない…。あんまり、デートとか……だからデートの場所とか、よく知らない…」   「……え…?」    俺は意外な返答に目を丸くした。  するとユンファさんはさっと顔を上げ、俺を見て強いて笑った。   「…元カレたちとも、いつもラブホか家でセックスばっかりしていたんだよ。ふふ、たまにファミレスか牛丼屋で飯食ったりとか、そういうのはあったけどね。――ねえ、わかるだろ。…だからさっきは本当に、いつも通り(てい)よく断ろうとして、あんなこと言っただけだ。」   「……そうですか。」    しかし俺は平然と――むしろ内心この好機、デートによって愛する美男子を新鮮な気持ちで喜ばせられるというチャンスに喜びつつ――微笑んだ。   「では、俺が主にデートの場所を決めることにはなりそうですね。…だけれど、もしユンファさんに行きたい場所があったら、是非俺に聞かせてくださいね。絶対そこにも行きましょう。」   「……ねえ…別にいいから、本当にさっきは…」    とユンファさんがまた困惑にその表情を曇らせるが、俺は彼を見て満面の笑みを浮かべる。   「ははは、楽しみだな。…ところでセックスは勿論駄目だが…そうだな…さっきも言いましたけれど、キスも付き合うまでは駄目ですよね…? じゃあ手を繋ぐのはどうですか。有りですか、無しですか?」    俺のこの浮かれた質問をたしなめるように、ユンファさんが俺をなかば睨みつけてくる。   「なあ、別にセックスだってキスだってこれからも好きにすればいいだろ、わざわざ僕と付き合わなくたって、別にそんなのは今までも…」   「いいえ。そりゃあ俺だってユンファさんとはキスもセックスもしたいですけれど…」と俺は眉間を翳らせつつも微笑する。   「…それ以上に最優先するべき俺の目的というのは、“貴方と付き合う”、ということなんです。…それで…――付き合う前に手を繋ぐというのは、ユンファさん的には有りですか、無しですか?」    するとユンファさんが「は…?」と眉をひそめ、それからふと不機嫌そうな顔をうつむかせる。   「よ、よくわからない…、て、…手なんか繋ぐの…? 街中で僕と手を繋ぎたいってこと…? 恥ずかしくないの、君……」   「恥ずかしいだなんてとんでもない…! 手を繋ぐというのは、いわばデートの醍醐味じゃないですか。…それにむしろ、俺はこんなに美しい男性と手を繋いでデートしているんだぞって、俺、それによって街の人に自慢してやりたいくらいです。はは…」   「……ふぅ…、……」    とユンファさんはうつむいたまま鼻からため息をつき、ふいっと俺から顔をそむける。   「…じゃあ例えば…僕のウリ専の客がそれを見ていたら? 君、“あいつウリやってるビッチと手なんか繋いでデートしているよ、馬鹿だな”って見られるんだぞ。大体…男同士で手なんか繋いで街を歩いたら……」   「…それの何が問題なんですか。…職種で差別される方がおかしいですし、ゲイだからって人目を(ははか)らなければならないというのもおかしいですよ。――誰だって恋をしていいし、逆にしなくてもいいし…それこそ男同士の俺たちだって、別に男女のカップルのように、誰に何を思われても堂々としていたらいいんです。…」    と俺は暗い顔をしてうつむいているユンファさんに、明朗(めいろう)な調子で言う。   「…不愉快だなんだというのはその人の価値観によるもので、俺たちには変えようもないし、わざわざ変えようとする必要も、また変える必要もありません。…ただデートをしている俺たちだって、別に悪いことをしているわけでもないのだから、俺たちが恥じるべき点というのも何一つとしてないんです。まさか不倫をしているわけでもあるまいし、俺たちが他人に白い目で見られる道理なんかないですよ。」    俺がこう屈託のない明るい声で言うも、しかしユンファさんは「ああ、そう…」と諦めたように返事をして、それきり何も言わなかった。      

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