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55(あとがき追記)

               ――あのあとユンファさんは抑制薬を飲んだ。        それはどういうことかというと――()()()()()()()()()のである。  ……ああした尻切れトンボの事のあと――俺はベッドから下り、黒いかけ布団のなかで立てた膝を抱えているユンファさんを見下ろしながら微笑して、彼にこう声をかけた。   「……まあとりあえず、…俺は一旦家に帰りますね。一週間分の着替えを取りに行かないと。……」    そして俺は腰をかがめ、ベッド下に放置されていた自分の黒革のショルダーバッグを拾い上げた。このバッグの中には自分のスマートフォンが入っていたので、それを用いてタクシーを呼ぼうとしたのである。  なおバッグのジッパーは開けられたままだった。しかし俺がそれのなかを覗きこんだその瞬間、…ユンファさんはぼそりとこう言った。   「いや、もう帰っていいよ」     「……え、……」    俺ははたとバッグから顔を上げてユンファさんを見下ろした。彼はやはり黒いかけ布団のなかで山形(やまなり)に立てた膝をかかえてうつむいている。また彼のその端整なうす赤い横顔には、何かしら諦観めいた寂しげな微笑が浮かべられている。   「…だから、もう帰っていいよ…」    とユンファさんは俺を見ないまま繰り返した。   「…えっで、ですが、…」    さすがにこの状況では本当の意味では帰れない――この状況でユンファさんを一人にはできない――と俺はうろたえた。  ――ともすれば危険な男がこの家、このユンファさんの家に押しかけてくるかもしれない。ましてや抑制薬や避妊薬が彼の手もとにない今、悪ければ彼はその楽天思考から無鉄砲な危険な行動に出てしまうかもしれない。   「……、…」    俺は判断に困ってバッグに片手の指をかるく突っ込んだまま固まり、ただベッドの側で立ちすくんでいる。すると俺の困惑を察したか、ベッドの上に座っているままのユンファさんは「君って可愛いね」と、諦念のなかにもなかば呆れたような笑みを俺へ向けた。       「ねえ――全部嘘だよ」       「……、……は…? う、嘘って…」    俺は目を見開いた。  ――彼は黒いかけ布団をかけた自分の膝をもっと抱きよせ、その膝のうえに顎を乗せて、寂しげな横顔で笑う。   「…はは…だからさ、全部嘘…。嘘に決まっているじゃないか、馬鹿だなぁソンジュ…――抑制薬捨てられたとか避妊薬捨てられたとか、変なおじさんが僕の家に押し掛けてくるかもしれないだとか、…そんなの全部、僕の嘘だから……」   「……、…ほ、本当に…?」    にわかには信じられなかった。俺がそうして念入りに確かめると、ユンファさんは「うん…」と何か観念したようなその微笑を、膝のうえにおもむろに重ねた両腕の中に伏せて隠した。   「……だからもう帰って…。もういいから……」   「……ど、どうして…」と俺はいまだ動揺しながら彼に尋ねる。   「いえ、本当に嘘だったとして……どうしてそんな、…何故そんな嘘を()いたんです…?」    俺のこの質問を受けたなり、膝もとに顔を伏せたままのユンファさんが、強いて強気に笑いながらこう答える。   「……はは、別に? ちょっと自分勝手な夢が見たかっただけ。今日くらい幸せな夢が見たかったの。…別にさ、僕だってちょっとくらい幸せになってもいいかなと思って、今日くらい。――ごめんね、こんな馬鹿馬鹿しいことに付き合わせて。」   「……、……」    きっとユンファさんはこれで俺に「何て自分勝手なんだ」と思われたいのだろう。このセリフを言う彼の声にはなかば自暴自棄のような、居直ったような感じがあったばかりか、締めくくりの「ごめんね」においても悪びれているというよりあきらかに嫌味の調子だった。  しかし、普段の彼が演出しているいかにもな嫌味ったらしさや、あたかも高飛車で、誰のことをもおもんばからないような倨傲(きょごう)さ、…それは今の彼の声の調子にしかあらわれていなかった。――まさか俺を「威嚇」しようとして、ユンファさんが「今日くらい幸せな夢が見たかった」というだなんて、……   「……、…貴方は馬鹿だな……」    いや、ユンファさんは気がついていないのだ。  ……彼はこれで自己肯定感が低いのだろう。つまりユンファさんの認識上の彼という「最低な人」には――自分はもとより、俺が見ても、誰が見ても――幸せになる権利などない。  彼はそのことを信じて疑わない。だから「僕だってちょっとくらい幸せになってもいいでしょ?」というのが嫌味になるなどと思ったのである。…彼は気がついていない。  まさか俺が「貴方のような人が何を言っているの」だなんて、そのセリフを(わら)うわけもないことを。   「……貴方は馬鹿だ…。本当に馬鹿……」    言いながら俺はショルダーバッグの中から頓服薬を取り出し、それからそのバッグを床にそっと置きなおしながら、ゆっくりとベッドのふちに腰かけた。しかしあえてユンファさんには背を向けたままである。   「何故ご自分が幸せになってはいけないと思っているの。…今日くらいですって…? ユンファさんはこれから幾らでも幸せになっていいんです。――それに…やっぱり貴方、本当は俺と付き合いたいんじゃないですか」    ユンファさんが今日に見たかったというその「幸せな夢」――それはたとえ「今日だけ」であったとしても――俺の恋人になった自分の夢、…となれば本当は、彼は俺の恋人になりたいのだ。  ――俺がそう考えて何がおかしいだろう? 「お願いですから、ねえ…俺と付き合ってよ。…ユンファさん、俺の恋人になってください。」    俺はあえてユンファさんに背を向けたまま、そのように何度目かもわからない愛の告白をした。本当なら彼の顔を見ながら誠情(せいじょう)を示して言うことだろうが、といってもちろん軽い気持ちで申し込んでいることでもない。ただ、今俺はまだ彼の姿を見てはならないのだ。――頓服薬が切れかけている兆候が俺の身にあらわれはじめているからである。  まあこれだけ(じか)にユンファさんのフェロモンを嗅いでいてこれはむしろ持ったほうだとは思うが、その実俺はいまだ完全には勃起がおさまりきっていない上に、俺の心臓は今、精神のほうは平静さを保っているというのになおもドクドクとした動悸が止まらない。また、さほど気にならなくなっていた彼のフェロモンの匂いが今はやけに濃く感じられている。    ――これはまずい。  ……ひとまずは今に頓服薬を飲んだが、…それもあって、俺は先ほど「一旦家に帰る」と言ったのである。今手もとにある、いや、あった頓服薬はこれで最後だったからだ。   「…………」    なお俺が頓服薬を飲む()もあったとおり、ユンファさんは俺の愛の告白には何も答えなかった。しかし当然俺は諦めない。ユンファさんは本当は俺の恋人になりたいという推察には、俺はかなりの自信をもっているので、今押せばあるいはわからないと思える。   「俺は何度でも言いますよ。――ユンファさん、どうか俺と付き合って。…俺の恋人になってください。」 「……、…ねえ、勘違いしないでよ……」    すると彼が寂しげな吐息っぽい声で俺に釘を刺す。   「僕は別に、今日自分の彼氏にするのは誰でもよかったんだ…。別にソンジュじゃなくても、誰でも…――ちょっと…優しくされたかったというか、心配されてみたくて…、誰かに……」   「……そうですか…、……――。」    ……俺は目を伏せ、垂れたこのまなじりと目頭へ二つの瞳を寄せた。  さてユンファさんはどうも本当に俺に嘘をついていたらしい。しかし率直にいって――俺はいささか判断が難しいと思っている。……ただし怒ってはいない。    要するにユンファさんに嘘をつかれたということへの怒りは、今の俺の中にはまったく無かった。不愉快とは思わない。失望なんかもしていない。  もちろんユンファさんがついたその嘘は、人によれば「可愛い嘘」という範疇におさまらないものかもわからない。――それこそ人の心配を得たいがために嘘をついた、という彼のその嘘の動機は、いうなれば自分を満足させるためだけに人の心をもてあそんだ、ともいえなくはない。    確かに酷いといえば酷い。  ユンファさんは自分でも自分のそれを「自分勝手」だと言っていたが、確かに「人騒がせな」と怒りを覚えるような人も少なからずいることだろう。あるいは自己顕示(けんじ)欲や自己承認欲求、他者の賛美をもちいて自己肯定感を得るというのが(うと)まれがちなこの昨今、「構ってちゃん」だとか「(いや)しい人」だとか、そのように鬱陶(うっとう)しがって眉をひそめる人も少なくはないのかもしれない。    しかしこの件で――すなわちユンファさんがこのような嘘をついたことに関して――俺が彼に怒りを覚えていない理由は四つある。    まず一つ、「実害」という側面から見るに、俺には自分が(こうむ)ったらしいそれといえるものが大して思いつかない。…そもそも俺がこの家に来たはじめの目的というのは、いつも通りユンファさんとのセックスであった。そして彼を抱く以前の俺には多少の葛藤があったものの、とはいえ結果として俺は今しがたまで彼を抱いていたので、その目的というのは結局は果たされている。――まあ確かに事の終わりは「ああだった」が、しかしそれというのは、むしろ俺がその終わり方を望んだからこそそうなったことである(かえってユンファさんは俺を気遣って「最後までしよう」と言ってくれていたくらいである)。    つまり俺はその点における期待を裏切られた、というような心理的な損はしていない。また例えば俺が金銭的な損をしただとか、労力的な損をしただとかというのももちろん全くしていない。――何なら今その「損」をしかかったところで、俺は彼に「(全部嘘だから)もう帰っていいよ」と言われたくらいである。    といったわけで、この件において自分が何かしらの実害を被ったかといえば、俺にはとりわけてそれといえるものが思いつかないくらいであり、また思いつかないくらいなのだから、仮にそれが生じていたとしても大したものではないことは確かだ。    さて、ではこの件を客観視した上で強いて俺が「損をした」といえるもの――それというのはほとんど俺の心理的なものに限られる。    ところが俺の心理的にも「損をした」という不快感や怒りなどはない。  ……理由の二つ目、これはひょっとすると惚れた弱味というやつなのかもしれないが――ユンファさんは「別に誰でもよかった」とは言っていたものの、「(誰かに)優しくされたかった、心配されたかった」というのはある意味で、彼が俺に「甘えてくれた」という風にも捉えられる。    少なくとも彼の中で、そういった「甘え」を許すだろう男のうちに俺が入っていたということである。俺ならば自分に優しくしてくれるだろう、心配してくれるだろうと彼は俺を信じてくれていた、あるいは俺にそういった期待してくれていたということである。  ――ましてや普段はそういった弱味やら甘えやらをおくびにも出さないユンファさんが、オメガ排卵期をある種の好機として、そうして俺に甘えてくれた。  ……かなり良く言ってしまえば、これというのも一つ彼からの「好意」といったって間違いではないのかもわからない。    よって、むしろ俺は嬉しくすらあった。    そして理由の三つ目、…「全部嘘だった、だからもう帰って」という唐突なユンファさんのその告白と拒絶は、先ほどにも思うとおりやはり彼の「威嚇」なのではないか。――ユンファさんは普段から、俺との関係性が恋愛の方面に進展する気配を感じ取ると、あたかもそれを危ぶむように、しばしば俺に「威嚇」をする。    今もそうである。  俺は事の終わりに「(彼と)付き合えるまではもうセックスはしない」と豪語した。その上で彼とするだろうデートに甘い展望を繰り広げ、好きな人とのデートを心から楽しみにしている浮かれきった男の態度で彼を口説いていた。――すると、現にユンファさんは俺のその態度を見て取るなり、とたんに表情を曇らせた。    なお嘘をついていたとはいえこればかりは本当に、ユンファさんは「今日だけ」、俺と恋人同士という甘い関係性になることを望んでいたのだろう。実際今日の彼には折々「今日だけ」と割りきったところが感じられた。――おそらく「今日だけ」ならば、彼が想定している何かしらの「リスク」が生じない(にくい)からである。  ……つまりユンファさんは「全部嘘だった」と俺に打ち明けることで、そして「もう帰って」と身勝手に振る舞うことで、また俺に嫌われようとしているのだろう。その「リスク」を生じさせないためだ。    ――しかし、ならばなお俺は彼に怒りを覚えるだ、不愉快だと眉をひそめるだというようにはなれない。むしろそうなるわけにはいかない。これもある意味では愛を試されているようなものだからである。    さて、俺が嘘をついていたというユンファさんに眉をひそめない理由、その最後の四つ目――。    むしろあれら全てが本当にユンファさんの嘘であったとするのならば、俺は安堵さえもできるからである。  あれらが彼のついた嘘ならば、危険な男がこれからこの家に訪ねてくる(かもしれない)という危機的状況はそもそも起こりようがない。また本当は抑制薬や避妊薬がこの家にあるというのなら、すなわちそれを彼に飲ませさえすれば、彼がオメガ排卵期の作用で楽観的になりすぎるあまり自滅的な行動に出る、というような危険もほとんどなくなる。…なお「ほとんど」というのは、そもそも彼には普段からなにか自滅的な、ある種(マゾというの以前に)自虐的なところがあるからである。    とにかく……つまりあれらが本当にユンファさんの嘘ならば、俺の愛するユンファさんが危険な目に合ってしまう、という危機的状況はほとんど起こりようもなくなる――ということである。  ……なにせ今日の俺の懸念とは(はな)からそれであり、だからこそ排卵期中の彼の家に躊躇しながらも上がった俺が、その懸念を払拭されて安堵しないはずもない。    とはいえ……俺が判断が難しいと悩んでいる原因というのは、もちろんそんな俺の感情がどうだとかではない。――別段俺としてはそれがユンファさんの嘘だろうが真実だろうが、どちらにしても彼に眉をひそめるようなことはない。  ……しかし一つの可能性として、仮にユンファさんが「全部嘘だ」という嘘をついていた場合、俺はとてもじゃないが心穏やかではいられない。――その場合これで俺が帰ってしまえば、ともすると俺が想定している「最悪の事態」が現実に起こってしまうかもしれないからである。     「……、…」    ――その場合は、いくらユンファさんに「もう帰っていいよ」と言われたところで俺は帰れない。…と俺が目を伏せたまま判断に迷っていると、彼が俺の背中になかば呆れた笑いを含ませた質問をこのようにかける。   「君…どうせ本当に嘘かどうかを疑っているんだろ…?」   「……、…」    俺はなかば腰をひねってユンファさんに振り向いた。彼は自分の膝のうえに顎を置いて俺に顔を向けている。――儚げな、諦めきったような微笑を浮かべて俺を見るその人の切れ長の目は弱々しく潤んでいる。そして彼は「はぁ…」と熱にうかされた吐息のような、呆れたため息のような息をその赤い半開きの唇から吐き、まるで何もかもを諦めて罪を自白する人のような、ある種の穏やかさをもってふと目を伏せる。   「全部ベッドの下にあるから、見てみなよ……」   「……、…」    要するにユンファさんは、抑制薬や避妊薬はこのベッド下の収納――先ほど彼が銀の手錠を取り出した、チェスト式の収納――に入っているから、そんなに疑わしいのならば自分で見てみろ、というのであろう。  ……そこまで言う彼が「全部嘘だ」という嘘をついているはずもない、つまり「全部嘘だ」というのが真実なのだと俺はそれだけでも確信を得たが、しかし俺は言われたままベッドにかけている自分の両脚、その隣にある収納の取っ手を掴んだ。  ガラリと引き出す。するとチェストの一段のようになっているその収納のなかには、……正直見てしまってよかったものかどうか、と複雑な思いにさせられたが、……種類さまざまなバイブやディルドやアナルプラグ、その他にもSMグッズらしき赤い麻縄や、あきらかに使いかけの溶けて減った赤い蝋燭(ろうそく)(おそらくは低温蝋燭)、あらゆる拘束具などがやけに律儀に整然と並べられ、仕切り板に区画を分けられて入っていた。    しかし――まあ確かに、一番奥まったその拘束具の区画、その黒革や銀のアルミやらの下には、薬の袋らしい白い紙が垣間見えている。  俺は拘束具の下からそれを取り上げた。  ……二袋あった。俺は手にもったそれを見下ろす。    確かに『内用薬』と題されたこれらは、医師の処方箋でもって薬局でもらえる薬の袋であった。もちろん処方された患者の名前の欄には『ツキシタ・ヤガキ・ユンファ さま』と書かれている。『一日一回 十日分 ・ 朝 ・ 食後 ・ 一回に カプセル一錠 ずつ服用』とも書かれている。――こちらはおそらく抑制薬だろう。避妊薬のほうはもう一つの袋だと思われるが、そちらは確認するまでもない。   「……、…」    むしろ俺はその確認を差し置いても気になる()()を直感して、今やけに胸さわぎがしている。   「……何なら今すぐ飲んであげようか」    とユンファさんが悠々とした笑みをふくませて、俺の背後で言った。が、   「……、…」    ひとまずはユンファさんを無視して、俺は、おそらく避妊薬が入っているのだろう袋を一旦自分の腿の横に置き、手に持っている袋の折り目をなおして、それの中身を手のひらの上にすべり落として取り出す。 「ねえソンジュ…? 聞いてる…?」   「……ええ…、…………」    確かにこのアルミの光沢のある黄色い薬のシートは抑制薬であり、またその中におさめられた黄色と白の二色のカプセルは一錠も減っていない。   「……、…そうですね…是非今すぐに抑制薬は飲んでください。…」    と俺はその薬のシートを眺めながら言った。     「…だけれど俺――帰りませんから。」      帰れない。これではとても――ユンファさんを一人にすることはできない。   「…はは…どうして…? もう心配要らないことはわかっただろ。だって全部僕の嘘だったん…」   「()()()()()()です。」    俺はなかば彼を責めるような強い調子でそう言う。  ……()()()()のである。   「え? はっ…何言ってるんだよ、ちゃんと一週間分……」   「ええ仰言る通り、この抑制薬…確かに七日分はあるが――しかし三日分足りません。」    俺の手の上にのっている薬のシートは確かに一錠も飲まれていない。しかし――七日分しかない。    もちろん俺はオメガ属ではない。  ただし俺の片方の父はオメガ属である。  そのために俺は、ほとんどのオメガ属がオメガ排卵期に常用している抑制薬の姿形や、それの名前を知っている。――そして抑制薬は一般的に十日分ほど処方されるものらしい。  もちろんオメガ排卵期の期間の長短というのは人や年齢、またそのときの体調によってばらつきはあるそうだが、一般的には一週間ほどとされている。そして、彼らはその期間中にはある意味では危険なフェロモンを放ってしまう特性があるため、医師は間違いが起こらないようにと念には念を入れて多めに十日分ほどの抑制薬を処方する。――また抑制薬は一般的にワンシート十錠であるため、十日分の処方は医師や薬局側の便宜(べんぎ)にも(かな)っているのだろう。    なお俺のオメガ属の父はオメガ排卵期の期間が短いほうで、いわく五日、短ければ四日ですべての症状が落ち着くと言っていた。父は俺の将来のパートナーがオメガ属となる可能性を見越し、そういったオメガ属のあらゆる特性などを俺が物心つくまえから少しずつ教えてくれていたのである。  ……そして五日やよければ四日でその期間を終える父でさえ、抑制薬は多めの十日分での処方をされていた。それこそ普段は五日で終わるところが、体調によってまれに長引くこともあれば、予期しないタイミングでそれが来てしまうこともあるため、いわくスペアが手もとに残るくらいでちょうどよい、無ければ困るが、多少あまるほど有っても困るものではないから、とのことだ。    また現に彼がそれを処方されている期間は「十日分」だ。薬の袋にそう明記されている。  ……ところが二錠ずつで切り取れるこの薬のシートは、十錠でワンシートであるにもかかわらず、二錠ずつがかける三、その六錠の下に一錠、つまり一錠分がハサミで切り取られた形をしている。もちろん数えても七錠しかない。    ということは――やはりユンファさんは客と過ごす三日間に、三日分だけ抑制薬と避妊薬を持って行ったのである。   「あと三日分はどこにあるんですか」   「…バッグの中。まだ荷解きしていないから」    と俺の追求に即答するユンファさんだが、俺はなおも追求の手をゆるめない。   「じゃあ出して見せてください」   「…勝手に見ていいよ。向こうの部屋にあるから」    ユンファさんの言う「向こうの部屋」というのはおそらく例のブランド物で溢れかえった――この浮き世らしからぬ寂寞(せきばく)のただよう家のうち、あらゆる浮き世らしい俗っぽいものを閉じこめている――あの部屋のことを指しているのだろう。…いや、しかし俺はそこを確かめるまでもないと思っている。  ……たとえばこれで俺が、その部屋にある荷解きのされていないというバッグの中からそれら薬が見つけられなかったとして、それを指摘しようが彼はまたのらりくらりと(かわ)すに違いない。たとえそこに「無い」という事実があり、そして俺がその「事実」を突きつけたところで、彼は「あぁ、じゃあ旅館に置き忘れてきてしまったのかも」とでも更なる嘘を重ねることだろう。    したがって俺は彼に背を向けたまま結論を急いだ。   「こんな探偵ごっこをしていても(らち)が開かない。――本当に捨てられたんでしょう。」    ユンファさんは嘘をついている。  ――確かにこの家には避妊薬や抑制薬はあったが、…彼はおそらく本当に、三日分のそれらを客の男に捨てられている。   「……君は見もしないで何を言っているんだかね…」とユンファさんはなかば俺をあざ笑うように言った。   「というか別に、七日分もあれば十分だろ。…一週間で治まるんだから」    そしてそう続けてユンファさんはあたかも事も無げに言ったが、「本当は捨てられたんだろう」という俺の追求ははぐらかしている。いや、むしろその返答は「捨てられた」ということへの肯定と見てよかった。  ……ひいては、ユンファさんがその客の男に「明日家に行くから(排卵期の君を犯しに行くから)」と脅迫されたこともまた――事実、なのかもしれなかった。   「…それに、抑制薬さえ飲めば僕はいつも通りなんだから…」   「だから何です」   「…だから…何だ、って…?」    その若干わずらわしそうな低い反問に、俺はまたなかば腰をひねって彼に振りかえった。――彼は自分の両方の足首のうえあたりで両手を組み、立てた膝のうえに顎をのせて、やはり気だるげに目を伏せている。   「…貴方と三日間を共にしたその客の男が、悪ければこの家に押し掛けてくるかもしれない。…それも本当のことなんじゃないですか」    俺は真剣な思い、まっすぐな心配をもってそうユンファさんに言った。事実俺のその声には優しく(いさ)めるような冷静な低さがあった。――しかし、今度は彼が目を伏せたまま「だから何…」とつぶやくように言う。   「…だから何って、本当に来たらどうするんです。」   「……別に、どうもしないよ…」    せせら笑うようでありながら、ユンファさんは静かに苦しそうに喘ぎながらぼそりとそう言った。   「……、…」    しかし、やはり俺は到底その返答では心穏やかにはなれない。  そもそも彼の言う「どうもしない」というのは具体的には何を意味しているのか、例えばそれの意味が男が来てもこの家には入れない、居留守を使うなりなんなりして男を無視する、拒む――というその意味ならばよいが――たとえ犯されても、何をされても「何も抵抗しない」という意味だったなら……?  普通であれば当然前者と見てほとんど間違いはないのだが、何せ自己防衛に関わる事柄には懈怠(けたい)の態度を取ってばかりのユンファさんである。それを知っている俺にはとてもじゃないが「後者の意味ではない」とは言い切れない。   「……、まあ、何にしても…、……」    と俺は言いながら、おもむろにベッドから立ち上がった。  ――まずはこの家のキッチンに行って、コップに水を汲んでこようと思ったのである。     「俺が心配なんです。だから帰りません。…とりあえず水を持ってきますね、とにかく貴方には少しでも早く抑制薬を飲んでもらわなければ。……――。」        ……俺はそのあとユンファさんに抑制薬を飲んでもらった。もちろん俺の目の前で、である。  ――そしてその様子を見届けてから、俺は泊まり込みのための着替え、それと頓服薬を取りに、改めて一旦家に帰った。           ×××   ×××   ×××      いつもお読みいただき&応援ありがとうございます…!♡  先ほどアップしたときにはちょっと言わなかったことがあるのであとがきを追記します。  まずはアップがちょっと遅くなってしまってすみません(´;ω;`) ひそかにそ〜っとやさし〜くお待ちくださっていた皆さま、ありがとうございます…!    実は私生活がめちゃくちゃ変化の連続で忙しかったのもあるんですが、改めて自分の夢(商業デビュー)について考えてしまったらまああた性懲りもなく迷宮入りしちまい、「少しずつだけど皆さまから応援のリアクションはいただけてる(ありがとうございます)、でもこのペースでいって本当に夢叶うんか…?」となってしまい、…というのも実は小説家になろう(ムーンライトノベルズ)のほうでランキング入り!やった〜〜!→下の方に入って終わり、それっきり、みたいなことがありまして……。    いやとはいいますがね、実は我が迷宮入りしているあいだにまたランキング入ってたみたいなんすけど……(じゃあおれなんで迷宮入りしてたの…?)。  そんなこんなでなんやかんやあって我メンタルめしょめしょ(ほんとザコメンタルすぎあたしっていっつもそうよ!!)、かつどシンプル私生活の多忙のせいで我ひ〜んひ〜ん♡♡ みたいになっており、我書けるだけのタイムえんパワーがありませんでした…ちんち…陳謝……謝謝…!    というかですね、ふつ〜〜に杞憂オブ杞憂だったなぁお〜〜このザァコ♡♡♡ と思ったのが、「どぉせぼくの夢なんて叶わないの…もぅむり…この真夜中に禁断のスーパーカップ豚骨味むさぼってやるぅ……っ(※にんにくアレルギーの癖に)(※やけ食いのために薬飲む暴挙)」とかなんやかんやメソメソやらかしているあいだに、なんと皆さまが僕にいっぱいリアクションをプレゼントしつつ待っていてくださっていたっつーことで、…ほ〜〜〜んとにくだらねぇ杞憂ぶちかまして申し訳!!謝謝!!    なんつ〜かあたい、なんなんだあたい…?  うわ〜なんだこいつ〜〜!!って指さしあざ笑ってください゛、快感なんです゛、お願いします゛!!    まあということで多分なんかこの鹿そのうち夢叶えると思います! い〜〜や僕は絶対に夢かなえるね!  もちろん皆さまのおかげでね…𝓛𝓸𝓿𝓮 𝓕𝓸𝓻𝓮𝓿𝓮𝓻…  あと多分なんだけどさ、僕に足りてないのって運kだと思うんです!! 神様運kください!  ちなみに僕ってすぐめしょめしょするけどふっ切れも馬鹿みてーに早いため、こんな感じでふっ切れ居直り丸をいたしましたので、多分今日からはまた(執筆に詰まらなければ)なんとか早めに上げられると思います! 多分ね! ぼくの遅筆が火を吹かなければね! 僕の右腕(遅筆)が火を吹かないように祈っといて!    さて改めて皆さま、いつも本当にありがとうありがとうありがとうございます!♡♡♡  こんな話をしてうざったかったらごめんなさい、皆さまのためにがんばりますしか!パワーッ    みんな幸せにしかっ!    あずま!

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