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 さて、俺はユンファさんと正式に交際を開始してもなお、彼の膣内に直接射精するようなことは一度もなかった。すなわち必ずスキンを着けて彼を抱きつづけたのである。  もっとも「それでもなお」といったような物言いはおかしい。――そもそも膣内射精という行為はみだりに行ってよいものではなく、かえって恋人関係であればこそ、お互いに責任をもってその避妊具の着用をするべきだからである。  しかしその交際中も、俺は何度もユンファさんに避妊具をしないでセックスをしないか、と誘われた。  とはいえ――それは交際前のそれよりも、もう少し冗談っぽい感じであったが。  たとえば俺が正常位でもっての挿入前、スキンの封を切ったあたりで、 『ふぅん…一応僕の彼氏にまでなったってのに、君はまたゴムなんか着けるの。別になまでしていいのに』  と少々嫌味っぽい――しかしニヤニヤとした笑顔で、からかうように――言ってくるであるとか、…  あるいはもう少し誘惑的なそれであったにしても、 『なあ、こんなもん別に着けなくてもいいんだぞ…?』――と巧みに、その白い足の親指と人差し指で俺のつまんだスキンの袋をはさみ、それを取り上げたユンファさんが妖艶に微笑しながら、 『ほら…そのままなまで挿れなよ…、僕のここに…――挿れて…、ソンジュのなまちんぽ……♡』  と、濡れそぼったうす桃色の膣口をくぱぁ…と広げてみせてくる、であるとか…――しかし俺はいずれにせよ時に苦笑しながら、また時にやわらかく彼に微笑みかけながら、彼のその「誘い」を必ず断った。  するとユンファさんはほとんどいつもこうして、ふと微笑むのであった。 『ふ…、あっそ…。この馬鹿真面目くん……』  それも俺の彼氏となったユンファさんは、それ以上その件に関しては食い下がらないようになっていた。  いや、かえってユンファさんは満更でもないようにさえ見えた。――彼は次第に、自らも俺の愛用するスキンをもち歩くようになったり、また、ときどきそれを手ずから(あるいは口で)着用してくれるようなことまであった。  それはユンファさんも、さすがにもうわかっていたからというのもあろう。  つまり、ここまで自分のその誘惑に一度たりとも――馬鹿真面目なほど――負けたことのない俺をどれだけくり返し、それもどれだけ蠱惑的に誘おうとも、その「馬鹿真面目な」俺が、自分をある種不純にスキンなしで抱くことはない、と……彼はもうほとんど諦めまじりに、そのことを理解していたのである。  しかしそればかりか、ユンファさんは本当は内心、きっとそのことを喜ばしく思ってくれていた。  その日は日中デートをしたあと、俺がユンファさんの家に行き…――そしてその夜、彼を抱いたのちのことだった。  ユンファさんはあの黒いベッドの上でうつ伏せになり、また黒いまくらの上に片頬をあずけ、それの上に真っ白な骨ばった片手も置いていた。――彼は事後ともあってもちろん全裸であった。ただその青年らしい筋肉の丸みをおびた肩や、そのなまめかしい逆三角形の背中からほっそりとした腰まではあらわなままであったものの、豊艶なお尻から下は黒いかけ布団でおおい隠されていた。  そして俺はというと、白いカッターシャツをボタンも留めずにだらしなく着、また下半身も黒いボクサーパンツの上から、ホックやファスナーを外したままの紺のスラックスを穿()いて、ベッドの上に――枕を退かした枕もと、つまりユンファさんの隣に――あぐらをかいて座り、のんびりとたばこを吸っていた。  ……なお灰皿はあぐらをかいた自分の脚の前、すなわちベッドの上に置いていた。――彼の家にはソファがなかったため、俺は事後の気だるさにまかせて横着し、ベッド前のローテーブルにあったそのガラスの灰皿をそこまでもってきたのだった。  ただそうしてたばこを吸いながら、俺はうつ伏せで寝そべっているユンファさんの、その白い――しかしいまだほんのりとうす桃色がにじんだままの――頬にかかった黒髪を指先でいじくったり、やさしく撫でたりしていた。  そしてユンファさんはぽーっとした、事後らしい恍惚とした無表情をうかべ――なお、俺のほうに向けられている彼のその横顔の白皙(はくせき)は、今その人が片頬をあずけている黒いまくらによく映え、何か儚げな美しさがあった――、その潤んだ薄紫色の瞳で、どこか遠くをぼんやりとながめていた。 「ね……」と彼がか細い声で話しかけくる。 「はい…?」 「……今日…泊まってく……?」  俺は「ふふ…」と少々困って笑い、目を伏せる。  それからまた黒いたばこのフィルターをくわえ、それの甘いバニラの煙を軽く――しかし肺まで――吸いこむ。 「なあ、どうなの」とユンファさんがせっかちに、返答を急かしてくる。 「…ふーー…――そうですね……、……」  俺はぼんやりと――あいかわらず物の少ない、殺風景な白黒の――部屋を眺めながら、考える。  その実この日の翌朝には仕事の予定が入っていた。  それは打ち合わせであった。脳内で演算する。――ユンファさんの家からその打ち合わせ場所のカフェへ行くとして、タクシーで行けば一時間ほどだろうか…――だが俺の家からであれば三十分と少し、…合理的に考えれば今日はこれで帰るべきである。  しかし泊まっていきたい気持ちも強い。――最愛の美男子に寂しそうに宿泊をさそわれては、…まして俺にも、朝までその人と一緒にいたいという強い気持ちがあった。  まあもっとも、ふつうそう「離れがたい」と思わせるに足る、『次会えるのはいつになるのやらわからないのだから』といったわびしさがあったわけではない。あるはずがない。この日だって決して久しぶりに会ったというわけではなかったのだから。  それこそ俺たちは結婚するまで、少なくとも週に一回は必ず会ってデートをする(そして毎回セックスもする)ような、世のカップルと比べても、わりに頻繁に「愛を確かめあう」スタイルを維持しつづけたカップルだった。  しかしそのかわりメッセージのやり取りは必要最小限であり、かつ淡々と連絡事項を述べるような感じのものではあったし、またそれこそ待ち合わせ場所に相手が見つからない、はぐれてしまった、という緊急の場合でもない限り、電話というのもほとんどしないカップルでもあった。――つまり会わない日にはコミュニケーションを取らないカップルだった。  ……さて、 「……、…ふーー……」  ほんの軽くすぼめた唇から紫煙(しえん)を吹きだしながら、俺は決めあぐねていた。  理屈で考えれば帰るべきだが…――俺の気持ちのほうは、どうもこれで帰りたくない。 「…………」  俺がそうして無言で考えこみ、判断に迷っていると、ユンファさんが唐突にこんな話をしはじめる。 「…ねえソンジュ…――この前の排卵期…、ナマナカした……」 「……、…」  ……俺は胸が苦しくなり、それこそ心臓が止まりそうであった。――また性懲りもなく嫉妬したためである。  ユンファさんはしばしば、こうして俺に他の男との行為を話して聞かせた。俺はそのたびに嫉妬したが、あの「約束」がある以上、大概は黙って彼の話が尽きるまで聞いていた。――というよりかは、自己防衛のためになるべく聞き流していた。 「ていうか…勝手にナマちんぽ挿れられた…」  しかし続いたユンファさんのこの言葉には、俺は「えっ」とその人を心配して見下ろした。  彼はその気だるげな切れ長の目をゆっくりと閉ざし、またゆっくりと薄く開けた。そうして再び遠くを眺めやりながら、ささやくようにこう言った。 「そいつ、排卵期中にヤらせてって…、一番気持ちいい二日目に…、それも…ゴム絶対着けるから、抑制薬飲まないでって言ってきたから、その通りにしたら…――こっちは力入らなくてヘロヘロなのに…ほとんどレイプだよ、無理やりナマでちんぽ挿れてきて……」 「……、…」  それではいはいと、その男の提示してきた条件を呑んで会ったユンファさんもユンファさんだが…――たしかにオメガ排卵期中のオメガを抱くことは、世の男たちの一種の憧れとも化している。  それこそ性的興奮を誘う、いわば「()ぐ媚薬」のようなオメガ属のフェロモンを一度でいいから嗅いでみたい、というようなのもかなり多くいるのだが、何よりその期間中のオメガ属の膣内は、(抑制薬を飲まなければ)つねに独特な蠕動(ぜんどう)を起こしているため、もはや挿れているだけで射精できる、とさえいわれるほどの快感を陰茎にもたらすとされている。  ただそれは、ピークである二日目から三日目にひときわ(いちじる)しくあらわれ、そこからは徐々にその反応もおさまってゆく――また初日はそれほどその反応は激しくあらわれない――ともいわれているが、…その反応のひときわ強く出ている二日目に、それもその反応を抑える抑制薬も飲まずに……か。  無論それを承諾したユンファさんもユンファさんなのだが、彼の体を自分が快感を得るための道具としか思っていなさそうなその男には、呆れる以上に(いきどお)りをさえ覚える。  ……ましてやそこまでは合意の上とはいっても、その「合意」を越えた己れの恣意(しい)的な快楽を、彼に――俺の彼氏に――押し通したというのであるから、…俺は今にもその男へ向けて罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)を浴びせてやりたいような、ひどく腹立たしい気分であった。  ユンファさんはぼーっと遠くを眺めたまま、こうぼそぼそとつづける。 「駄目って言ってんのに、抜けよって、…でもそのまま腰振ってきて…――〝妊娠しろ、孕め、俺の子ども孕んじまえ〟とか言われながら体押さえつけられて…〝孕ませてくださいって言えよ〟とか…、…流石になかはほんとに駄目って言ったけど…――そのまんま中出しされた…。しかも、何回も、何回も……」 「……、…」  それは「ほとんど」ではない、まさに強姦ではないか。と俺は眉をひそめる。 「…あとで謝られたけど…今中出ししたら僕が絶対孕む、とか思ったら、興奮したんだってさ…。あと、僕がなかは駄目って言ったのが余計そそられたんだって…――オメガのフェロモンまともに嗅いじゃったんだからしょうがないじゃん、じゃねぇよ…、居直りやがって…――でも、何か…やばかった、僕も…正直……」  そう言いながらユンファさんは、黒いまくらに顔をうずめて隠した。 「今中出しされたら絶対妊娠するってわかってんのに、孕めって何度も言われながら無理やり中出しされんの、すごいゾッとした…。…ガクガク震え止まんなくて……いや、あとで避妊薬飲めばいいだけ…、それはわかっていたけど…――何か…多分本能的に、…すごく怖くて…ゾクゾクしたよ…――でも、気持ちよかった…それが……」 「……、あの…――いえ俺、勿論貴方との〝約束〟を破るつもりはないんですけれど……」  と切り出した俺はいよいよ耐えかね、――しかし言いにくいあまりのごまかしに、執拗にたばこの火をねじ消し、それを眺め下ろしながら――こう言う。 「そういう…なんというか、…そういった…――そういったご自分の体を無下にするようなのだけは、どうか()めて…――それ以外での楽しみなら、約束通り止めたりはしませんから、…お願いしますね……」 「……、ふふ…わかんない…。正直、気持ちよかったし…、別にそういうの、初めてでもないし…――またしちゃうかも……」  ユンファさんはそう気だるげな吐息っぽい声で言うなり、まくらに置いていた手を片頬の下に敷くようにして、また俺にそのうつろな横顔を見せた。…ただし俺を見るでもなく、彼のその長い黒のまつ毛は伏せられているが。 「…でも…、犯されてるとき…思ったんだよ…――もしこいつがソンジュだったら…って……」 「……え…?」  ユンファさんはやはり俺を見ず、その赤い肉厚な唇の端を少し上げる。 「はは…、でも、ソンジュは絶対こんなことしないんだよな…って…――そもそもソンジュなら、〝絶対ゴム着けるからヤらせて〟とか言わないだろうし…――前、僕の排卵期中にヤったときも君、そうだったけど……」  そして、ユンファさんはどこかうっとりとした微笑をその顔に浮かべたまま、ふと目をつむる。 「ソンジュだけは、絶対にゴム着けてくれるから…――ほんと…君って、馬鹿真面目くん……」 「…………」  ――ユンファさんは普段、「してくれた」だとか「してもらった」だとか、あまりそういったある種へりくだった物言いはしない人である。  ……しかしこのときの彼は珍しく、「(俺だけは)絶対にゴムを着けて()()()」と言ったのである。  そしてそれはきっと、以前俺がユンファさんにあることを言ったのが、奏功した結果であろう。

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