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「…思い出すのもお辛いようなお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。…しかし僭越ながら私、お二人にお聞きしたいことがあるんです。…お聞きしてもよろしいでしょうか…」
と俺は、対面に座るユンファさんのご両親を真剣な思いで見すえた。
お父さまはつと彼と同じ薄紫色の瞳で俺を見、その人の隣に姿勢よく上品に座っているお母さまも、ここまで暗い顔をしてうつむいていたが、俺の呼びかけにはふとその顔を上げ――真剣な面持ちの二人は各々俺を見て「ええ」と、「どうぞ」と、俺の質問を明確にお許しくださった。
俺はその夫妻の目を交互に見ながらこう尋ねる。
「ユンファさんは何故…罪に問われたのですか?」
「……罪?」
としかしお父さまが怪訝な顔をし、隣の同じような表情を浮かべた妻と顔を見合わせる。
それからまた二人同時に、俺の顔を見る。
「罪…ですか…? ええと、罪…」
お父さまは首をかしげて困惑し、いまいち思い当たるところのない様子であるので、お母さまが「ごめんなさいね…」と申し訳なさそうに、気遣わしげに助け舟を出す。
「私たちには…ちょっと…、聞いたことがないというか…、わからない、というか…、そうね…でも、あれよね? ですからその…ユンファくんに、なんて言えばいいのかしら、その……こう、逮捕された? とか…そういう過去がないのか、と…あなたはお聞きに…」
「ええ、仰言る通りです…」
……この反応からすると、…と俺はほとんどこの件における判断をくだしつつ、しかし念のためこう続けた。
「何か前科、と呼べるものが彼にはあるのかなと…、私もにわかには信じられなかったものですから…、またそうなら何故…とも思いまして…、……というのも…その実私は、お二人に会う前に、彼のその実母と会っていたのですが…――。」
そう…実は俺はここに来る前――ユンファさんの実母と、その女の彼氏(聞くに内縁の夫らしい)とに会っていた。
そしてその二人、こと実母に会ってみてから聞けばなるほど、今しがたお父さまが涙ながらに語った彼の過去の話は、――憤りさえおぼえるほど悲しいことだが、――非常に信ぴょう性の足るものと俺には判断された。が、それはまあ余談としても、である。
朝十時の約束で、その実母の家に俺は、ユンファさんと二人で行った。
そしてその家に向かう道中、俺の運転する車の助手席に座っていたユンファさんは――なお今日はあえてなのか何なのか、ブランド物とはいえ長袖の黒いジャージと長ズボン、そのジャージのセットアップと、どうも結婚挨拶にはいささかカジュアルすぎるほどの格好をしている彼は――、次第に青ざめてゆき、…もはやそれが気のせいとはいえなかったのが、彼の赤い唇さえあきらかに青味を帯びはじめ、それもカタカタと震えていた点である。
俺はそのただならぬ様子に、車を運転しながらも、「俺一人で行きますよ。…任せて。たとえ何か言われても、何とか丸めこんでみせますから」と声をかけたのだが、ユンファさんは何も言わず、ふるふる、と小さく首を横に振った。
だけれどそれじゃあ無理でしょう、と俺は食い下がったが、彼はかたくなに首を横にふり続けた。
そうこうしているうちに実母の家に着いてしまった。
俺は直前までユンファさんを案じていたが、すると彼は俺のそれを「大丈夫だから」などと俺を見ずに、どこか煩 わしそうに断りつつ、実母の住んでいる高級マンションのなかを先陣切ってずんずんと進み、やがて実母の住んでいる部屋の扉の前まできては、すぐにそこのインターフォンを押した。
そして俺たちを出迎えたのはその家の使用人である。
俺たちはその慇懃 な中年の男の使用人に案内されるまま、その家の成金趣味のリビングに通された。
そして、そこにあるリビングの十人がけほどのL字型ソファに、ユンファさんの実母とその人の彼氏が腰かけていた。
室内であるというのに着ていた、重たそうなほどボリュームのある毛皮のコートに、中はグレーのタイトなパーティードレスを着ていたその中年のアルファ女は、…非常に気の強そうな黒髪、かつスタイリッシュなベリーショートの色白の女であった。ちなみにユンファさんにはあまり似ていなかった。
……もっともその女は、いわゆるパーティーメイクというような濃いメイクをしていたため、正確に似ている似ていないを判断することはできなかったのだが。
ただ少なくとも彼とは違って、真っ赤な口紅のぬられた唇の厚さもふつうの程度であり、また、全体的な顔立ちの雰囲気(気の強そうな雰囲気)はどことなく面影があるようではあった――並べば親子と思わせるものはあった――が、…パーツパーツで見ると、あまり似ている感はなかった。
しかしやや面長の輪郭ばかりはかなりそっくりであった(とすると彼の唇の厚さは隔世遺伝か、少なくとも、ほとんど彼はお父さま似であったようだ)。
そしてその人の彼氏のほうは見るからに若い、どことなくチャラついた感じの男であった。男は黒に金の印字がされたスウェットのセットアップを着ていた。属性はわからない。少なくともオメガ属ではないことだろうが。
さて俺たちは、というよりか俺は、ふくれっ面で細い脚を組んで座っているその実母と、その人の隣に横柄な姿勢で腰かけている内縁の夫――鬼の女房に鬼神とでもいおうか、感じの悪い皮肉な笑みを浮かべながら、俺たちが来たとわかっていただろうに、咥えたたばこに火をつけようとしていた若い男――に、「おはようございます」とにこやかに挨拶した。
すると男のほうは何も言わずに、どこかうっとうしそうに俺たちを見やっただけであるが、実母のほうは俺の全身――上等なミッドナイトブルーのスーツに、高級腕時計をつけた俺の全身――を、すばやくその藍色の瞳でチラチラとチェックすると、とたんに目の色を変え、とたんに愛想のよい笑顔を浮かべながら「どうもー」とソファから立ち上がった。
またかつ、俺が礼儀正しい挨拶のうちに「(ユンファさんと婚約した)九条 ・玉 ・松樹 と申します」と名乗ったなり、彼氏のほうも萎縮した様子で立ち上がり、俺に「どうも…」とペコペコ頭を下げてきた。…それからその男は遠慮し、「俺ちょっと出とくわ」と退出した。
なるほど体裁だ社会的地位だ、それらをやたらと気にするカップルのようである、とはそのときも思った。
ましてや一瞬うかがえたあの感じの悪さ、何か悪い違和感というようなものも覚えていた俺は、――ましてやユンファさんからも言葉少なながら、「会ってから結婚を決めたほうが…」などと聞いていたというのもあって、――礼儀正しい態度のうらでかなり警戒をしていた。
なおその警戒というのは言うまでもなく、ユンファさんを護りたいゆえのものである。もし何かの拍子に「夫」を傷つけられそうになったら、すぐさま身を挺 してでも護ろうと気を張っていた。
しかしいずれにせよ、実際に接してみて判断するべきであると考えてもいたので、その場ではあくまでも愛想よくふるまった。
なお実母はほとんど一方的というほど、とにかく俺にしゃべりかけてきた。…俺は当たり障りのない応対をした。
「ユンファがこんな完璧な男性と結婚出来るなんて、ほんと、人生って何があるかわからないもんですよねー」
「いえそんな、まさか完璧では…、寧 ろユンファさんには助けられてばかりで…――ね、ユンファさん。」
俺はしかし、あまりにも実母が自分にばかり話しかけてくるので、ユンファさんを置いていけぼりにしたくないと、こうしてしばしば隣の彼をふりかえり見て話を振った。
「……、…」
しかしユンファさんは真っ青なうつろな顔をうつむかせ、ほとんど何も言わなかった。
「ねえユンファ…」と実母が彼を冷ややかに見て低い声を出す。
その女は俺には愛想がよかったが、こうしてユンファさんに対してはしばしば、面白くなさそうな、無情の眼差しを向けていた。
「さっきからさぁ、ソンジュさんが話しかけてくれてんのに無視すんなよお前。ほんっと感じ悪い…――ごめんなさいねーソンジュさん、この子いっつもこんな感じで。…」
と女はまた俺に笑いかける。そしてあくまでもにこやかに、こんなことを言い放った。
「何なら他の人紹介しましょうか?」
「……、…は…?」
俺は耳を疑った。が、まあ悪い風味があるとはいえ一種の冗談だろう、と、…苦笑いをしながら「いやいや…」
「はは…これでも私は、ユンファさんに…」
「違う違う、冗談なんかじゃないからね?」
女はうつむいているユンファさんを睨むように見ながら、しかしその真っ赤な唇を皮肉に笑わせて、こう続ける。
「ソンジュさんさぁ、絶対この子とじゃ幸せになれないと思うんだよね。この子を一番よく知ってる母としてそう思うわけ。――だから、ソンジュさんのために結婚はちょっと認めてあげられないっていうか。…せっかくこうやってご挨拶に来てくれてアレなんだけど、私いい人いっぱい知ってるよ? 全然紹介してあげるからさー、やめときなよーユンファなんて。…だってこいつ何にも取り柄なんか…」
「…お言葉ですが。…」
俺はあくまでも微笑みながら、その女を見すえてこう言う。
「これでも私はユンファさんにぞっこんなんです。何なら私の方から彼に一目惚れをし、猛アプローチをしかけて、やっと交際、やっとこうして結婚にまでこぎ着けたくらいなんですから、…他の方なんてとても考えられません。…私にとって彼は最愛の人です。――彼、私にとっては寧ろ取り柄しかないくらいなんですよ。…ですから、いくら貴女がユンファさんのお母さまとはいえ、愛する人をそのように言われては、僭越ながら大変不愉快です。…どうぞそれに関してはお控えくださいますよう。」
「……、…」
ふとユンファさんがここではじめて顔を上げた気配に、俺は振り向いた。彼は俺の目を、弱々しくふるえている薄紫色の瞳で見つめてくるので、…俺はふっと彼に微笑みかけた。――『大丈夫、俺が絶対に貴方を護ると約束したでしょう』と。
「……、…、…」
するとユンファさんは目に涙を浮かべながら、ほんの少しだけその青ざめた唇の端を上げてくれた。
……俺たちはそのまま少し見つめ合ってしまったが、…そろそろお暇 しようかとそれを女に切り出すため、俺は目を伏せた――少なくとも結婚を報告するという目的は果たされた、…俺も長居はしたくないが、何よりユンファさんがこの女といるのはもうつらいだろうと――。
しかし、
「よかったねーユンファ。」と女が明るい声で言う。ふと見ると、女はその顔に笑顔をうかべていたが、しかしユンファさんを見るその目は笑っていない。…恐ろしいことだが、俺には嫉妬の目と見えた。
「あんたには勿体無いくらいの旦那じゃん。…どうやってこの人捕まえたのあんた? ――あれだ。また〝ぼく可哀想な子なんでチュー、ぼくのこと見捨てないでー〟って可愛こぶったんでしょ。…ふ、…そうなんだ、じゃあ幸せになるんだねユンファ。ママより。」
「……、…、…」
は? 俺は今にも牙を剥きそうであった。
あんたママより幸せになるんだ? ――まるで親の自分を差し置いて、とでもいいたげではないか。
俺は本当にこの世にこんな親が存在したのかと、呆れはてて咄嗟には物も言えなかった。
「い…いいから、ソンジュ……」
とユンファさんが俺の膝に手をそえてきた。
俺の横顔が今にも吠 えそうなほど険しかったのだろう。俺が彼に振り向き目が合うなり、彼はまともに取り合っても無駄だ、というように、弱々しい顔をちいさく横に振る。――そして彼はふとうつろな顔をしてまたうつむき、諦観のうかがえる小さな声で、どもりながらこう言った。
「お…お母さん…、だい、大丈夫…、お母さんより幸せになんかなれないから、僕…僕は…――ど、どうせ…すぐ…またわ、別れる、から…、す、捨てられるから、すぐ……大丈夫、だから……」
「何が大丈夫なんですユンファさん、…捨てるだなんてそんな、物じゃないんですから。それに別れませんよ俺、何があっても。…貴方は幸せになるべき…」
「っい、いいから…そ…ソンジュ…大、丈夫…」
ユンファさんはうつむいたまま眉を寄せ、ふるふると首を横に振った。
「そんなのわざわざ言われなくてもわかってるから。」と女は嘲笑しながら言った。
「当たり前でしょ。ユンファはママやパパや、そればっかりか他にもたくさんの人を不幸にしてきたんだから。――ていうかあんたさあ、ちゃんとソンジュさんに言ったの? ――多額の借金があってー、前科持ちでー、セックス依存症でー、メンヘラでーー……」
「……、…」
前科? それ以外はまあおおむね知り及んではいるが、…と俺は女を見た。女は冷ややかな顔をしてユンファさんを見ている。
「ねえ、結婚してもちゃんと金は返してよ。絶対。もちろんしっかり自分で働いて。…旦那だからってソンジュさんに返してもらおうとか甘いこと考えるなよ。…ね、こんないい人に迷惑なんかかけらんないでしょあんた。さすがにそこまでクズだったら目も当てらんないよ。――あんたの借金なんだからあんたが全部返すんだよ。わかった?」
「……うん…」
横目に見ると、ユンファさんはうつろな表情、そのあまりにもか細い声で、そう答えた。俺は女の醜い笑顔にまた目をもどす。
すると女が俺の懐疑的な――何より人としてどうかしている、という意味の懐疑的な――視線に気がつき、鬼の首を取ったかのような笑顔でこう問わず語りをしてくる。
「あのねぇソンジュさん、この子母親の私に二千万も借金があって。しかもね、はっ…――男と駆け落ちした癖にその男に騙されて、…ねえユンファ? この子ほんと頭悪いから、闇金の連帯保証人になっちゃって、それでプラス一千万。…それで三千万も借金して。なのにその男にはゴミみたいにポイッて捨てられちゃってねー。…で闇金の奴らに風俗堕とされて、闇金の奴らにもなんかやらしい奉仕とかさせられながら、気持ち悪いおっさんたちともいろいろヤって、何とか金返してんの。――ほんとバカでしょーこの子。…しかも男とヤんないと生きていけないお股ゆるゆるのセックス依存症だし。…知ってました?」
「ああ、そうですか。」
と俺はあくまでもほほ笑んで答えた。
内心では青筋が立つどころか、鬼の形相となるほどの憤怒 を感じていたが。
「ほんとにいーの? ふふ、…いいよだから、今すぐもっといい人…」
「ええ勿論、私はユ ン フ ァ さ ん が 。いいんです。…借金につきましても、私がこの場で全額お返ししますよ。…残額がいくらであろうとも。」
「ね…やめてソンジュ…いい…、ぼ…僕…」
しかしユンファさんはそう、不安げなか細い声で止めてくる。彼としては事を荒立てたくないのだろうが、…
「僕が…じ、自分で返す、から…、ほ…本当に、お母さんの言う通り…君に迷惑…」
「やだーそうだよーソンジュさん、」と女が勝ち誇った顔で言う。
「この子が勝手に作った借金なんだから、貴方が返す義理なんかないでしょ?」
「いいえ。」俺はふっと微笑しながら颯爽とソファから立ちあがった。…ユンファさんには悪いが、俺はもう徹底抗戦の構えになってしまっている。
そしてスーツのジャケットの襟を掴んで正し、またネクタイを正しながら、女を見下ろす。
「義理といえば、私ほどその縁故がある立場の者もいないことでしょう。――何故なら、これから私とユンファさんとは家計も一緒になるからです。――さあ早く借金の残金を教えてください。…今すぐに。銀行へ行ってまいりますので。」
ちょうど良い手切れ金にもなろう。
確かに俺は、この女と家族になるなど絶対に無理だ。
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