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※いわゆる毒親の描写が濃いめです。万が一ご気分が悪くなられる等ございましたら読むのを中断するなど、ご自身のお気持ちに寄り添われた形で作品に接していただきますように、何とぞよろしくお願いいたします。※  ユンファさんが「もう母親とは縁を切る」と決心してくれたそのとき、俺はこみ上げる嬉しさから彼に微笑み返した。  そして俺は彼の肩をもう少し抱きよせながら、その人の白い片手を胸の前で握りこみ、彼の潤んだ薄紫色の瞳を見つめながら、 「ありがとう、ユンファさん…」と彼のその相当思いきったのだろう決意を、礼をもって称えた。が、 「ねえちょっと。」  そう嗤いながら話しかけてきた女も、ある意味では当然――この絶縁宣言に――黙ってはいなかった。 「ちょっと待ってよ、…」と女はユンファさんに馬鹿にした笑顔をむけて言う。 「ねえユンファ、あんた何言ってんの? ――あんたさぁ、まぁたそうやって男に依存して、好きな男の言いなりになってさぁ、…ほんっと成長しないよねーー。ねえ、」 「……、…」 「言いなり?」  俺は女にそう言われてうつむいたユンファさんの、その悲しげに目を伏せた顔、その人の頭を、自分の鎖骨のあたりに抱きよせる。  そして女を睨みつけはしながらも、あくまでも微笑は崩さない。 「そう仰言られるようならば是非お聞かせ願いたい…。一般的な倫理観において、息子の恋人を何度も寝取るような母親と彼が絶縁することの、一体どこに疑うべき点があるのですか? ――寧ろ一般的に見れば、未だ縁が保たれていることの方が不可思議とさえ思えますけれど。」 「…は? あたしが寝取ったわけじゃないから。」と女は俺を見てせせら笑う。 「その子の男がユンファよりあたしを選んだってだけ。…しょうがないでしょお? 人の心は変わるもんなんだから…」  俺は「はあ、なるほど…」と女に目を細め、微笑みかける。 「…しかし、それは一体どうしてだったのでしょうか…、…いやぁどうして……どうして……」  としげしげ…首をかしげ、わざとじろじろと、女の顔を観察してやり――ユンファさんの怯えたように目を伏せている顔を見下ろして、「あぁ、ところで今日も美しいなぁ俺のユンファは…」とつぶやいた。  するとユンファさんが、え…? と泣きそうな弱々しい目をして俺の目を見上げる。俺は微笑した。それから、また女をチラリ横目に見やる。 「…いやぁ…どうしてでしょう…? 私にはさっぱりわからない…。私は不思議で不思議でなりません……、んっふふふ…失礼。…あまりにも何故なのかわからないもので、思わず意味不明な嗤いが。」 「…何、何が。あんた何が言いたいの」――女がいら立った様子で威圧してくる。  俺の嫌味は十分に伝わったようである。 「何が、ですか。…ですからどうしてかわからない、と言いたいんですよ。…私は先ほどからずっとそう言っています。それだけです。ふっ…ククク……」 「あんたさぁ…あたしをそいつよりブスだとか言いたいわけ。」 「私はそんなことは一言も申しておりませんけれど。…しかしそう…」と俺はユンファさんのその伏せられた長いまつ毛を、愛おしく見下ろす。 「なるほど確かに…何か、あるいは誰かをきっかけにして、人の心は移ろうこともあるものだ…――だからもう貴女のような母親とは縁を切ると、彼は今に決心してくれたんでしょうね。」  つぅと横目に女を見やる。  女は眉をひそめながら、俺に顔を隠されているユンファさんを睨みつけ、「おいユンファ」と低い脅すような声を出す。 「お前結婚なんか絶対認めないからな。ていうかこの人とは絶対駄目。でもあんたの幸せのために言ってるんだよママは。ねえ、仮にも義母にこんなこと言う男、将来絶対あんたにモラハラ…」 「なるほどご存知ないようですけれど、」と俺は女に正面顔で微笑みかける。 「そもそもこの国には、〝婚姻するか否かは両人の意思でのみ決定されるべし〟といったような憲法があるんです。…すなわち、法的には一応彼の母親であるらしい貴女がこの結婚を認めようが認めまいが、私たちが結婚することには何ら問題はありません。――いえ…(かえ)って私と結婚をするのなら勘当だ、とまで仰言られるようであれば、こちらとしてはそれほど有り難い話もないのですが。」 「……、…」  女は一瞬悔しそうな顔をして黙り込んだが、ユンファさんを睨みつけたまま話を変える。 「ねえユンファ。本当にママと縁切るつもりなの。…それほんとにあんたの本心?」 「……、…」  するとキッと眉目をこわばらせたユンファさんは俺の肩を軽く押し、そして廊下のただなか、五歩ほど離れた位置にいる女に向かいあった。…そして彼は精いっぱい女を睨みつけ、震えた肉厚な唇でこう、たどたどしい小声でも言い切った。 「う、うん、…き、切る…。も…もうお母さんとは、縁、切る…」  しかし女はユンファさん相手であると、俺に対するときより優位にあると確信しているような、あからさまに見下した笑顔で「ああ? 何?」 「そうやってまたビクビクおどおど(しゃべ)って。あんたって昔っからそうね。それ可愛いとでも思ってんの?」 「…ち…ちが…違う、…か…可愛い、…可愛く…ない、僕は、」  とユンファさんは震え声でも精いっぱい対抗するが、女は嗤いながらも「はいはい!」と声を張る。 「可愛い可愛い。かわいーか弱いオメガちゃん。…見てくればっかりアルファっぽくてもねえ。ほんとかわいーオメガだよねユンファ、あんた。そうやってれば男はみーんなカワイソーってあんたのこと気にかけてくれるもんね。」 「ちが…、…違う…、僕…」 「なーにー?」――女が嘲弄(ちょうろう)するよう、わざとらしくそばだてた耳をユンファさんに向ける。 「聞こえなーい。なんですかー?」 「っも、…もう…とに、かく、…か、関わらない、で…」 「何? ねえーもっとはっきり言ってよ、全然聞こえないんだけどー。」  女はそうあざけったなり両腕を組み、勝ちほこった顔をして彼を見すえた。 「言いたいことがあるならはっきり言えよほら、言えるもんなら言ってみな? 聞いてやるから。」 「……っ、…、…、…」  ユンファさんはガタガタ震えながら、両ももの側面でぎゅっと拳を作り、…ふとうつむきかけた顔を、しかし女に向けなおす。そして彼は精いっぱい声を振り絞った。 「っもう縁を切ってください、…」 「はあ? だからさぁ、もっと大きな声で…」  俺は固くにぎられたユンファさんの拳、その手首をそっと取りながら、女を呆れた気持ちで眺めやる。 「どうもおかしいですね…、貴女、狼並の聴力を持つアルファ属では…? ――現に私には、はじめから彼の言葉は全て聞こえていましたけれど…、それで何故聞こえなかったんです。」  声が出ていなかったのならばともかく――ましてや他のことに意識が向いていただとか、この場がうるさいだとかだったならばともかく――。 「いやだから、」と女がきまり悪そうに、ユンファさんを睨みつけながら言う。 「こいつがおどおど情けなく(ども)ってるから、何言ってんのか全然わかんないって話。」 「はあ。…しかし今さっきは吃りもせず、彼は〝縁を切ってください〟と、はっきり申しておりましたけれど…――まあ、…とすると聴力ではなく、貴女の認知能力の問題だということですね。」 「…はーー…っ」  女が眉をひそめながら威圧的なため息をつき、うす笑いをその顔にうかべる。なお女の目はユンファさんと睨み合ったままだ。 「悪いんだけど、ソンジュくんは黙っててくんないかな。あんた関係ないでしょ? ――この子とあたしの問題なんだから。」 「…彼と結婚する以上関係ないとは言えませんけれど、(もっと)もそう仰言られるようなら、真面目にユンファさんと話をしてくださいよ。――貴女がふざけているせいで一向話が前に進まないから、私は見兼ねて口を出したんです。」  すると女は不服げながら、またユンファさんを侮蔑の冷ややかなまなざしで眺めながらも、「はいはい」 「で? あんたどうすんの。ほんとにママと縁切りたいの?」 「……ぅ、うん…」  ユンファさんは女を睨むように見てコクとうなずく。と、女は「ふーん…」とそのそり返った黒いまつ毛を伏せる。 「そうやってあんたまでママのこと捨てるんだぁーユンファ…――あんたのせいでパパに別れられたのに、ママから息子っていう唯一の家族まで奪うの。息子本人のあんたが。へー。…あんたどんだけあたしを不幸にしたいの。ねえ、どんだけあたしを不幸にしたら気が済むの。」 「……、…」  そう言われると、女を見るユンファさんの顔に揺らぐような弱気がただよった。――すると女は突然眉尻を下げ、泣きそうな顔をする。 「ねえ…っ、あたしからもうこれ以上何も奪わないでよユンファ、――もうあの時あんたのことほんとに殺しちゃえばよかったね、あんたと二人で天国行っちゃえば、こんな(つら)いことも起こらなかったんだもんね、」 「……ぉ、お母さ…」 「ね、あの時一緒に死んじゃえばよかったねユンファ、母親が息子に縁切られるって、どんだけ辛いことかあんたわかる、…死ぬくらい辛いことなんだよ、ねえユンファ…っ」 「…ふーー…」――そうため息をついたのは俺である。ここはユンファさんに返答させないように。 「…なるほど、そうしてこれまで縁を繋ぎとめてきたんですね。――息子である彼の弱味につけこんで。…ご立派な母親ですよ、貴女。本当に。」 「…なんでそんな酷いこと、そんなんじゃないからあぁ…っ」しかし女は涙声を荒らげ、そのメイクの濃い顔をもっと弱々しくしかめると、両手でその顔をおおい隠す。 「それはあんたが親になってないから、親じゃないからそんなこと言えるんだよ、――息子に絶縁するとか言われて、あたしが今どんだけ寂しくて悲しいか、あんたになんかわかんないでしょ、」 「……ぉ、お…お母さん…僕…、ご、ごめ…」  俺は駄目、とふり返り、ユンファさんを(いさ)めようとしたが、――女は彼の同情的なその声を聞き、しめしめとこう叫んだ。 「あたし死ぬから…っ!」  そしてこうまくし立てる。 「縁切られるんならママ死ぬからねユンファ、死んでやるから、今すぐ包丁持ってきて死んでやるよ、――ていうか縁切るって言うなら今すぐママを殺せば! 殺したら縁切れるじゃん、それで満足なんでしょあんたは、…憎いあたしが死ねば満足なんでしょ、ママが死ねば幸せになれるんだもんねユンファは、ママ邪魔者なんだもんね、…親よりも男取るんでしょ、それが幸せなんだもんねあんたの、…いいよじゃあ、ほら早くあたしを殺せよユンファ! 早く!」  ……俺は思いっきり肺を膨らませた。 「お…お母さん、僕…そ…そんな…そんな…ちが…出来な…」 「…はーーー…」  と俺はため息をつきながらユンファさんより前に出、女のほうへスタスタと歩み寄ってゆく。――そして女の前で立ち止まり、顔を両手でおおい、うなだれているその女の黒髪、短髪の頭頂部を見下ろす。 「それは脅迫ですよ。悪ければ罪にも問われます。」  それもゴロツキのするそれよりも、ユンファさんの母親がやるからこそなお悪質な。  ……もっとも以前同じようなやり方で、彼とデートをした自分を棚に上げた発言ではあるが(これでも反省している)。――しかしこの手を使われてしまえば、見るにユンファさんは結局、およそこの女と縁を切ることはできない。  すなわちここで俺が出なければ、またこの女の思惑通りの展開が訪れてしまう。――どうせこの両手の下ではほくそ笑んでいる。 「そしてあえて冷酷なこと言わせてもらえば、それで貴女が死のうが死ぬまいが、間違ってもそれはユンファさんの責任ではありません。…つまり彼のせいではない。」  俺はさらに、淡々とした調子でこう続ける。 「ましてや彼には明確に殺意などないのだから、仮に死ぬおつもりなら貴女はご自分でそうするしかないんです。――だがそれは、あくまでも貴女が勝手に自分で選んだことでしかない。…よってその選択の責任は貴女にしかありません。…何故と申せど、彼は何も貴女に〝死ね〟などとは一言も言っていないからです。勿論この私も。――今は貴女が勝手に死ぬだなんだと騒ぎ立てているだけだ。」 「…でも母親にとっては死ねって言われてるような…っ!」 「そうです。〝ような〟とご自分でも仰言るように、結局それは貴女の思い込みでしかありませんから。」  ……すると女はこう金切り声をあげた。 「あんたは関係ない! あたしはユンファと話を…」 「縁、切る…」  俺の背後で、ユンファさんがぼそりとそう言った。 「たし、かに…お…お母さんは、いつも…そうやって、…ぼ…僕を、脅すけど、――で、でも脅しているだけだ、いつも、…僕を殺そうとしたときも、おか、…お母さん、首を絞めてきたけど、…すぐ手を離して、――じ、〝自殺しろ〟って、…あ、〝あたしに人殺しなんかさせるの〟って、…ど、…〜〜っどこまで、親不孝者なの、って、」 「……、…」  俺は奥歯を噛みしめ、いよいよ女の頭を睨み下げた。――ぶん殴ってやりたい、と拳を握る。が、…オメガの父は俺にこう教えを説いた。『敵にこそ上品に微笑め。自分が有利になるために』 「それに、い…いつも、そう、」とユンファさんが、泣きながらたどたどしくも、呆れた調子で続ける。 「…最後は絶対、〝お前があたしを殺せよ〟って言う、…〝そんなに憎いなら、不幸にしたいなら、あたしを、殺せば〟って、…でも、そ…それ、本気じゃないからだろ、――本当は死ぬつもりなんかないから、…そ…そうやって僕を脅して、思い通りにしたいから、――っ言いなりの、…奴隷にしたいから、…っお、お母さん、…そう言っているだけだ、いつも、…いつもそう、…」 「じゃああたしがこれで本当に死んでもあんた、何にも思わないんだね。」――女のその低い声はもはや震えてもいない。  女は顔を上げた。目も潤んでいない。目の前に立つ俺を「退()いてっ!」と無理やり押しのけ、女はユンファさんのほうへズカズカ歩いてゆく。――俺は早足で先回りし、ユンファさんをかばうように片腕を広げながら、彼のすぐ前に立った。  しかし女は構わずユンファさんだけを睨むように見ながらも、その赤い唇で嗤う。 「この薄情者。あんたみたいな親不孝のクズ、ほんと生むんじゃなかった。」 「……、…、…」  背後でカチカチとかすかな音が聞こえる。ユンファさんの震えている奥歯の音である。 「死ね。死んでよ。早く死ねクズ。どうせお前人のこと不幸にしか出来ないんだからさ、生きてる価値ない…」 「いい加減にしろ。」――俺は思わず腹の底から低い声を出した。俺のその声は怒りのあまり震えていた。  女は俺を見上げ、勝ち誇った顔をする。 「あのさあ。あんたは黙っててくんない?」 「もういいから、金輪際彼には関わらないでください。それだけです。」  俺はこの女に言ってやりたいことは山ほどあったが、もはやそれを言う――相手にする――ことさえ、あまりの嫌悪感からはばかられた。 「はっ…」女が俺を見たまませせら笑う。 「悪いけどそいつ私の息子だから。縁切るとかなんとか言っても、そいつは戸籍上どうしたって私の息子だし、血の繋がりなんかもっと消えないの。そいつ産んだのあたし。」 「だから何だ。彼はもう成人しているのだから、双方の意思があれば関わりを断つことは出来る。――幸い貴女には夫だか彼氏だかがいるのだから、葬式の面倒だってその人に見てもらえばいいだろう。」 「はーー…っ!」  しかしその神経質なため息は、脅すような女の目とともに、ユンファさんに向けられたものだった。 「で、ユンファはどうしたいの。お前の彼氏はこんな勝手なこと言ってるけど。…まさかそこまで親不孝じゃないよねーあんた。親の死に目にも…」 「あ…会わない…、もう二度と…」  しかし今度のユンファさんの意志は固いようであった。 「もう…これっきり、二度と…、ね…ねえど…どうして、お母さん…」 「そうやってまた恩を(あだ)で返すんだーお前!」  と女が声を張り上げる。女は険しい顔をし、俺の背後でビクッとしたユンファさんのことをこう(ののし)る。 「ここまで育ててやったママへの恩も忘れて。…このクズ。親を馬鹿にすんのも大概にしろよお前、調子乗ってんじゃねえよおい、――は、てか縁なんか切らないから。てかそもそも切れないだろ。――だってまだ今までお前にかけてやった金返してもらってないし。…五億ね。…迷惑料、慰謝料で五億。もちろん今までお前にかけてやった金とは別。…じゃあコミコミ十億で手ぇ打ってやるよ。そしたら縁切ってやってもいいけど?」 「……、…」  ユンファさんは当然何も言えなくなってしまった。  女はそれを嬉しがり、こう意気揚々とつづけた。 「ほらどうしたのーユンファ? 金持ちの彼氏に十億払って〜って、お得意のおどおどカワイコぶりっ子で頼んだら?」 「…お言葉ですが」  と俺は冷ややかに女を見下ろしながら切り出した。

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