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「二千万、…ぼ、…っ僕のせいで逮捕された、? 僕があんたを不幸にした、? 名誉毀損、迷惑料って、…っど、どうして僕が、…っそれはあんたの罰金、――っあんたが自分で犯した罪を償うための罰金だろっ!」
「……、…」
俺はぎくっとした。しまった、と思ったのだ。
罰金、…罰金だと? それじゃあまさか、まさかとは思うが、――ユンファさんがこの女に課せられていた「借金」の正体は、…――俺は今になってやっと自分のミスに気がついたのと同時、ゾッとした。
そもそも二千万の借金、それの内訳は――?
「……、…」
手切れ金と気持ちが逸 って確認を怠ってしまったが、…俺はそのほとんど確定的な予測にすさまじい嫌悪をおぼえ、背筋に幾度となくかけ巡る悪寒に奥歯を強くかみ合わせながら、女に目を転じた。
……女はしかし、そのふくよかな毛皮のコートをまとった腕を組み、挑発的な笑顔でユンファさんを眺めながら、
「表向きはね? でもあれはあんたの罪。」
「っ違う、…ぼ、僕は、」――ユンファさんは険しく見開かれたその両目を潤ませ、悲しみと怒りの綯 い交 ぜになった声をふり絞る。
「僕は、…被害者だ、…」
「……は…、……」
俺の眉がひどく強ばる。
ユンファさんは女を必死に睨みつけたまま、泣きそうな顔をしてこう続ける。
「ぉ…お母さんの知り合いに体売らされて、…っ毎日、毎日、…っ自分でも、体、売らされて、――あ、あんたの目の前で、…っお、犯さ、れていた、僕は、毎日のように、――全部、…っ全部お母さんの命令で、…」
「……、…」
俺の奥歯がカチカチと音を立てる。
怒りのあまりどうにかなりそうであった。
ユンファさんは眉をひそめながら、しかし眉尻を下げて、こう嗚咽まじりに続ける。
「でも、あんたはわ、嘲笑 ってた、…犯されてる僕の、顔、…ふ、踏み付けて、――〝ちょっとはあたしの役に立ててるじゃん〟って、…」
「……、…」
俺は女を見た。酷く醜悪なものを見るように。――だが女は「ふっ…」とユンファさんを鼻で笑った。
「だからあ? 悲劇のヒロイン気取りやめてくんない。笑えるわー。…つかあたしこそ被害者なんだけど。毎日毎日汚いもん見せられてさぁ。――あと、拒もうと思えば拒めたのに拒まなかったのはあんたじゃん。なんでって、今じゃ依存するくらいセックスだ〜いすきな淫乱オメガだから。」
「……はぁ…、……」
するとユンファさんは、もはやまともに話せる相手ではないと呆れ返ったふうにため息をつき、
「もう今までの分はいいから、今渡したソンジュの金だけは返せよ。」と、声は震えているながらももう吃ることはなく、はっきりとした鋭い調子で言った。
「どうしてぇ?」しかし女は依然挑発的に嗤う。
「あんたの借金をこのお坊ちゃんが肩代わりしてくれたのに。…あーやっぱり自分で…」
「違う。僕にそんな金払う義務はなかったからだ。ソンジュにはもっとそんな…」
「何でないのよ。意味わかんない」と女がせせら笑う。
「あんたがあの時男に騙されて駆け落ちなんかしなければ、あたしが逮捕されることもなかった。…ほら迷惑かかってんじゃん。だから迷惑料。――で。あんたのせいで前科持ちってレッテル貼られて、最初の会社も畳まなきゃならなくなったんだから、名誉毀損。だから慰謝料。」
「…………」
俺は冷ややかに女を見ながら、しかしあえて口を挟まない。――これで最後なのだ、そして相手は腐っても実の母親なのだ、彼が女に言いたいことは言わせてあげたい。
「ほらね。」――女はなおも険しく自分を睨みつけてくるユンファさんに、勝ち誇った両目を細めてみせる。
「ていうかさぁー、売春だって何だってあんたがやってたことでしょ? 実際にやった犯人はあんたなのに、なんであたしが罪に問われて、罰金なんか払わなきゃいけなかったわけ。――だからあたしはあんたの代わりに罰金払ってやっただけで、ほんとはあんたの罪なんだから、その金をあんたがあたしに返すのは当然のことでしょ。それが借金以外のなんなのよ?」
「……、…」
ユンファさんは対峙する女を、目じりのつり上がった険しい涙目で睨みつけたまま、しかし何も答えない。
「ていうかさー」と女が間延びした呆れ声で言いながら、ふっと鼻で笑う。
「検察庁にはちゃんとあたしが全額一括で払ってやってんだから、何の問題もないでしょ? こんなの所詮身内同士のやり取りなんだし。」
「……、…――ふ……」
……ユンファさんは冷ややかに目を細め、少しだけ口角を上げた。
「何?」
しかしあいかわらず薄ら笑いの女は、悠々とした態度でそう彼を挑発する。
ユンファさんはふと何もかもを諦めたように目を伏せ、するとその片目から、ほろりと涙がこぼれ落ちる。
「ずっと、これからもずっと…きっと…永遠に…――僕は被害者で、あんたは、加害者なんだね…――改めて言わなきゃわからない…? あんたが捕まったのは僕のせいじゃない…、あんたが逮捕されて前科が付いたのは、間違いなくあんた自身のせいなんだよ…。でもあんたは絶対認めない…――今までもずっと…、全部、自分の不幸は全部、僕のせいにしてきた…。…だからあんたは、ずっと不幸なまんまなんだよ……」
そしてユンファさんは目を伏せたまま、寂しそうに笑った。
「お母さん、結局最後の最後まで…僕を愛してくれなかったね、――ねえ僕、本当はわかっていて渡していたんだよ、…返す必要なんかないことはわかっていて、…だって金渡したらお母さん、機嫌いいから、――繋がりが切れるの、怖かったから…、…それに、お母さんに金渡さないと、僕の存在価値…なくなる気がして……」
「何、わかってんなら…」
「違う…、もう違う…お生憎 様、僕はもうあんたの言いなりの奴隷じゃない…。僕はお母さんの役に立てなくても、もう大丈夫…――もう見付けたから…他に、存在価値は……」
つと涙に濡れた目を上げ、また女を見据えたユンファさんは、今にも泣き出しそうな顔をほほ笑ませた。
「どうしてお母さん…、愛してないどころか、僕のこと昔から大嫌いなのに、どうして縁は切ってくれないの……」
すると女は真顔でこうきっぱりと言い放った。
「あたしはあんたっていうクズオメガに人生狂わされたんだから、せめて死ぬまであたしの役に立ってもらわなきゃやってらんないから。…あんたは人を不幸にした罪をあたしに償わなきゃいけないの。一生。――ていうかさぁ…、オメガなんて産んだ母親から始まって、次はヒステリックな虐待親、その次は犯罪者、――その上息子に縁切られた母親ってレッテルまで貼らせるつもり? ふざけんなよお前。ちょっとはあたしの身にもなってくんない。」
「……でも…ぼ…僕はずっとお母さんのために、僕…」
ユンファさんは茫然 と立ちつくしながら、またほろりと涙をこぼす。
「お、お母さんの…ためだけに…、僕……は、初めての、ときも…――本当は…嫌だったよ…、痛かった、き、気持ち良くなんか…なかった、――気持ち悪かった、…っ本当は僕、――キスもセックスも、初めてくらい、好きな人としたかった、……でも、――でもお、お母さんのために、我慢して、…っ」
「んだよボケ!」
バチン、女が険しい顔つきで彼を睨みつけながら、その人の頬を思いきりはたいた。
「恩着せがましいんだけど! きも!」
「っおい、」
俺はとっさのことでユンファさんを守れず、しかし慌てて彼より前に出、
「…あ、あんた…、本当、どこまで……」
いや…この先を言えば不利になるかもわからん、と口をつぐむ。
しかし女は「ふっ…」とせせら笑って目を伏せながら、やはり悠然として動じない。
「だったら何なの? 何にしたってもう罪は償いましたー。…ちゃんと検察庁に金は払ってんだから、これ以上それに関してとやかく言われる筋合いないし。」
「…それは、どうでしょう…」
と俺は呆れたかすれ声で言い、後ろでしゃくり上げて泣いているユンファさんのことをいよいよ背中で隠しながら、「実は…」と目を伏せる。
「あくまでも金銭のやり取り、それも大きな金額のそれでしたから、こ う し た 物 的 証 拠 をもって透明性を図 るために……」
そしてそう言いながら、自分のスーツの胸ポケットの中に入っているあ る も の をつまんで、そっとひっぱり出す。
「ホームセンターでアタッシュケースを買うついでに――ボイスレコーダーも購入しておいたんです。」
俺は女にその黒い縦長のボイスレコーダーを「ほら」と見せ、ふと女を見て首をかしげる。
「……は…? ちょっと何それ、」
女の血相が変わる。――当然である。
刑事罰における罰金は、無論それを課せられた受刑者にのみ支払い義務が生じる。
もっとも他者が肩代わりすることは可能だが、今度の場合は、検察庁には女がきちんと自腹を切ったのち――受刑したのち――、被害者であるユンファさんに迷惑料だの慰謝料だの、でたらめな因縁をつけ、その罰金分を借金として請求した……という構図である以上、恐喝や詐欺などの罪に問われるだろうことはもとより、それを前回の被害者に…ともなれば、おそらく極めて悪質性が高いと判断されるはずである。
ましてや前科もちのこの女は、今度こそ刑務所行きかもわからない。――それも他にも傷害罪だの名誉毀損だの(ついでに「借金」と嘘をついて俺から金を受領していることにもなるので、ともすればそれも詐欺に問われるかもしれない)、ボイスレコーダーに収められているこの短時間においてさえ、つけようと思えば他にもさまざま罪をつけられる状況では、そりゃあ慌てもするだろう。
「ちょっとそれ渡して! いいから!」
と女が、俺の手からボイスレコーダーを奪い取ろうとしてくるので、俺はその手を避けながら、わざとらしく上のほうを見やる。
「……いやぁまさか…、こうした貴女の自供的な展開となるとは夢にも思わず…――しかしこの罪を見過ごしては、我々のほうが罪に問われる可能性もなくはないですからね…。やむを得ませんが、こちらは警察に届けさせていただきます。…尤 も…」
女をそっと冷ややかに見下ろす。
「貴女は罪に問われない自信がお有りのようですから、これを警察に届け出たところでも、何ら問題はないはずでしょう…? ――ふ、何をそこまで慌てていらっしゃるのやら……」
「ちょっと渡して! 渡せよいいから! こんなの盗聴だから、データ消したら許してやるよ、なあっ!」
「いえいえ…」
と俺は女の手が届かないよう、ボイスレコーダーをもつ手、その腕を上へ目一杯伸ばす。
「秘密録音は原則として合法です。…この場合の録音は、盗聴には当てはまらないことかと。」
「…わかった、…もうわかったぁっ!」
すると女は、俺の胸板をかるく突き飛ばしながら後ろに一歩引き、背後の廊下に顔をふり向かせ、こう怒鳴った。
「金持ってきて!! さっきの金!!」
「……、…」
俺はボイスレコーダーを手にもったほうの腕を下げ、何気ない後ろ手でユンファさんにそれを渡す。彼はそれをするりと受けとった。
女はまた俺の顔を見上げ、鬼の形相でこう啖呵 を切る。
「もういいわかった、縁切ってやるよ、つかそいつへのせめてもの温情で縁切らないでいてやっただけだし、ここまでのことされたら流石にこっちから願い下げ。――ていうかそれ頂戴 。早く。痛い目見たいの?」
「…痛い目、とは…?」
俺はチラリと背後のユンファさんの様子をうかがう。――彼は悲しげな伏し目であったが、チラリと俺と目をあわせたなり目をつむり、ふーっと鼻からため息をつく。
「お母さん…、もう…やめたら……、これ以上、罪を重く…」
「何が? は? おいわかってんのかよお前、」しかし女は、それこそ「せめてもの温情」で忠告してくれているユンファさんの言葉には聞く耳ももたず、俺にこう詰めよってくる。
「おい、わかってんのかって、あたしね、これでも色んなところにコネあるから。ぶっ潰すよ、本気で。」
「……なるほど…、どうやら脅迫の罪まで増やされたいようですけれど……」
俺はそれを宣戦布告と聞いたので、スーツの襟を引っぱり下げて整える。
「〝ぶっ潰す〟とはすなわち――九 条 家 を 、ということですか。」
世間的に優遇される、いわば優位的な位置におかれるアルファ属――この女もそうだが、しかし――そのアルファ属のカーストで、上位に位置する九条家を、潰す。と?
「……は、…あ、ちっ違うから…」
するとさすがの女もじわりと脂汗をかいて、ヘラヘラと笑いながら慌てはじめる。
しかし俺は顎を引き、チラリと自分の腕時計を確認しながら、
「承 りました。…その旨 は今日中に私の方から父へ伝えておきますので。」
「は、…は? だから違うってば、九条家とかそこまでは言ってないでしょ…? ちょっと誇大解釈しないでくんない……」
「では…」――俺はチラリと瞳だけで女を見る。
「何を〝ぶっ潰す〟と…?」
すると女は目を白黒とさせてこう口ごもる。
「いや…だから、さぁ…、その…ユンファ…、ユンファを…いや、ていうか、口がちょっとすべった…っていうか、…」
「口が滑った…」――俺は確認のためくり返す。
「とすると…、先ほどの言葉はいわば失言であり、許されるならば前言撤回をさえ願い出たい…ということですね。」
「だから…、…うん…それは、ちょっと間違えたから、いいよ、それで……」
「そうですか。前言撤回を許しましょう。…では、」
と微笑した俺はちょうどここで、女の使用人から差しだされたアタッシュケースを受け取り、改めて女をにこやかに見下ろす。
「無事ユンファさんと貴女とは縁を切る、ということでやっと決着がつきましたし、また私たちが〝痛い目〟とやらに合うこともなくなったようですので、これにて我々夫夫 は失礼いたします。――しかし、くれぐれも離縁のお約束を反故 にはなさいませんよう。…それではご機嫌よう。」
そして俺はユンファさんの肩を抱き、軽い足取りでこの家を出た。――憤慨の真っ赤な顔をして、俺たちを悔しげに睨みつけてくる女を尻目に。
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