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俺がユンファさんのお父さまの家へ来る前――そこへ車で向かうさなか、俺のスマートフォンがある一件の着信を得た。
それは俺の父――厳密にいえばオメガの父・アサツユ――からの電話であった。
……俺はあの女に「今日中に自分の父にその〝宣戦布告〟を伝えておく」と、「約束」していたろう。
もっとも女は九条家を敵に回してはさすがに分 が悪くなる、と慌てて前言撤回をしてはいたが――俺は何もあのとき(前言撤回をするのなら)父らに報告はしないでおいてやる、とは一言も言っていないし、何より約束は約束だ……ということで、…
……女の家の駐車場から出発する直前、(ユンファさんに「少し待って」と断ってから、)ボイスレコーダーのデータを、とり急ぎ父らのもとへ送付しておいたのだ。
なお、俺は普段から車内にノートパソコンを積んでいる――小説家という職業柄、不意なタイミングで必要になることがままあるためである――。
そしてその後、闇金事務所へ出発――到着――用件が済み、さてつぎこそは義父の家に向かおうと車を走らせているさなか……俺のスマホが電話の着信を得て、初期設定の電子音楽をチロリロと鳴りひびかせた。
なお俺はいうまでもなく運転中ではあったが、その実スマホと車の無線通信の接続設定をすませてあったので、ハンドルのスイッチひとつでその着信に応じることがかなった。
すると車内スピーカーから『もしもし』と、オメガの父の低い――もとより彼の声はオメガ属らしく高めではあるものの、それにしてもあきらかにささくれた不機嫌そうな――声が聞こえてきたので、「もしもし、お父さん?」と俺が返すと、彼は途端にいつもの柔和な声になって、
『ソンジュさん、今どこにいるんですか。貴方のフィアンセの方もご一緒?』
「ええ。今、彼のお父さまの家へ向かっている最中です。」
『運転中?』
「はい。」
俺はチラリと横目に、助手席に座っているユンファさんの様子をうかがった。――前にも思うとおり、彼は真っ青になった顔をうつむかせて震えていた。
すると、そうして怯えているようなユンファさんを心配する俺にとっては折よく、今俺がユンファさんと一緒だと知った父は柔和な声色を、もっとやわらかく優しげに――聞きようによれば、それこそ猫なで声にも近しいほど甘く――変えて、こう続けた。
『そうだったんですね…、ごめんなさいね、突然電話をかけてしまって…――こんにちは、初めまして。私、ソンジュの父のアサツユと申します。』
「……、あ…、は、初めまして…」
とユンファさんは不意に話しかけられたので、一拍遅れてから困惑ぎみの、震えた声で応じる。
「僕は…あの…月下 ・夜伽 ・曇華 と……申し、ます……」
『ユンファさん…素敵なお名前ですね。ソンジュからお話はかねがねお伺いしています。――ねぇ、ユンファさん?』
「…ぁ、は、はい…」
すると父は彼に、こう明るい感じのよい声で言ったのだ。
『ユンファさんのお父さまのお家に行く前に、ちょっとだけお会いできませんか? ――もちろんお時間が大丈夫であれば、という話ではあるんですけれど……』
……これだけを聞けば、あたかも遠慮がちな要求というようではあるが――しかしオメガの父は、俺たちにその時間があることをわかっていてこう言ったのである。
というのも――俺がユンファさんとの婚約を勝ち得てすぐ、父らに「結婚することになった」と報告をすると、彼らは一日でも早く俺のフィアンセ、…すなわちユンファさんに会いたい、会わせろ、とほとんど執拗な程度でせがんできた。
なお俺はかねてより父らに熱心にユンファさんの話をしてきたが、俺が熱をあげているその相手と俺とがいよいよ婚約したというのを聞いた彼らは、もはや祝福ムード一色で、この結婚を認める・認めないという判断を下すつもりもないようであった。
というのも、自分たちが――結果的には惚れあったとはいえ――親の決めた見合い結婚であったばかりに、父たちは息子の俺には自由な恋愛結婚をしてほしい、と考えていたので、そもそも俺の選んだ人であれば文句をいうつもりは毛頭なかったのだ。
また何より俺は、我ながら父らに絶対的信頼を置かれている。――つまり、ソンジュが選ぶ人ならまず間違いはない、という安心しきった認識をされているということである。
だが…――父らも人である。
昔から(悪ければ狡猾 なほど)賢くいつも冷静沈着、何事が起ころうとも泰然 自若 としていた息子の俺が、:その人 のことを語るときだけやたらと熱心に、情熱的に一喜一憂しているさまを見て――彼らは『この息子 がまさかここまで一人の人に入れこむとは、あまりにもその〝ユンファさん〟がどんな人なのか気になる…気になりすぎる!』と……もともと婚約する前からそうした感じではあったのだが……。
俺たちが婚約した、というあまりにも渡りに船の「ユンファさんに会う理由」を得た俺の両親は、その人はこれから自分らの親族にもなるのだから……と、それでとにかく早くユンファさんに会わせろ会わせろと、この折にしつこいほど俺をせっついてきたのだ。
そして、…しかしそれでもまずは彼のほうのご両親へ挨拶に行くから、父らへの挨拶はまた近日中の別日に、という話を俺がしたところでも、やはり彼らは食い下がってきて…――はてにはその日のスケジュールと、ユンファさんのご両親の家がそれぞれどこら辺にあるかを尋ねてき、そしてそれを俺から聞きだしたなり、…
それならあるいは、その日のうちに自分たちのほうへも来られるかもしれないだろう、何時ともなく確かな約束とまではしないが、可能であれば自分らのほうにも、少しでも顔を見せるように…――と要求してきたので、(なかば面倒くさくなった)俺は、わかりました、行けたら行きますね…と答えた。
そして幸か不幸か、実は俺の実家とユンファさんのお父さまの家とは、なんと車で十五分の距離にあった。
それも仮に女の家から俺の実家へむかうとすれば、その道中にある(なお事務所のほうはお父さまの家とは反対方向にあったので、一旦女の家付近にもどって、そこからまた改めてお父さまの家へ向かうような道順となっていた)。――もとより社会的地位の高い者の多いアルファ属の住居は、(狭いといえば狭い)都心部に集中しがちなのである。
さて…すなわちオメガの父は、まず自分らの家に寄る時間の余裕がまだあること――お父さまとの約束は夕方の五時、そしてこのときの現在時刻はまだ四時前(俺は約束の時間まで、ユンファさんと近辺のカフェにでも入って時間をつぶそうかと考えていた)――、さらには、自分らの家とお父さまの家との近さをも把握していた(なんなら道すがら自分らの家に寄れるだろうことも把握していた)上で、
『ね、どうぞいらっしゃい。…ごめんなさいね、こんなに突然…、だけれど私ね、もうどうしてもユンファさんに会ってみたくってたまらないんです。…だってソンジュがあんまり貴方のことを素敵だ綺麗だと言うものですから……ソンジュから聞いていますか? ――今日もし余裕があるようならば、是非私たちの家の方にもいらしてほしいなと、その子にはそういう話をしていたんですけれど……』
「…ぁ、ええ…あの、はい、そのお話は伺って……、……」
とか細い声で尻切れトンボな返答をしたユンファさんは、俺が可哀想になるほど萎縮しきっており、もはや今はそれが精いっぱいなのであった。
当然である。それでなくとも今日だけで実母との絶縁、あっさりと完済された多額の借金と怒涛の大変化につけくわえ(ついでに辞職までしている)、――おそらくはこれから実父に会わねばならないという――震えてしまうような多大なるストレスで余裕のないなか、さらに俺の父にまで新たな緊張の種を与えられたのだ。
「あの」と俺はユンファさんに心配の横目を向けた。
「どうかご無理なさらず…、こんなのは、我が父ながら無茶な申し出ですよ……」
もっとも…――おそらく父はあの録音の内容をあら方聴いて、その憤 りのあまり、耐えきれずこうして俺に電話をかけてきた、…ひいてはユンファさんに会いたくなったものと思われる。
まあ、その「どうしても会いたくなった真意」までは、息子の俺にも推察しきれないところではあるが。
しかしいくらなんでも、…俺にとっては仲の良い両親であろうが、一方のユンファさんにとっては初対面の――それも将来の義父二人と、ひどく気をつかう相手に違いないのである。
「ユンファさん、今はそんな余裕などないでしょう…? ――それこそ俺の実家へは、また別の日に改めてでも……」
「いや、僕は大丈夫……」
しかし彼はうつむいたままそう答え、そして父にこう言う。
「僕としましてはその…別に今からお伺いすることは構わないんですが…、ただ実は、今日…――あまりきちんとした服を着てこなかったもので、これではとても失礼かと……」
『服? ふふ、いいえ、そんなのどうだって構いませんよ。…だってこれから家族になるんですから。』とのオメガの父の言葉に、「え…?」とほとんど吐息で驚いたユンファさんは、目を見開いた。
父は明るい声でこう続ける。
『どんなにだらしない格好をしていても、家族ならまさか、お互いにそれを〝失礼だ〟とは思わないものでしょう? ――それに、どんなお洋服を着ていようが、貴方は貴方。…貴方の価値が身に着けている衣服で変わるようなことはありませんから。――私たちがお会いしてみたいのはユンファさんであって、貴方の着ているお洋服ではありません。…パジャマだってジャージだって結構ですよ。ですから、どうぞお気兼ねなく。』
「……それ…なら…、では…、……」
ほとんど「ジャージ」と言い当てられるようにこう言われてしまっては、もはや「行く」と答えるほかにはない、と、そう言いながらチラリと隣の俺を見たユンファさんは、しかし俺のほうはどうか、大丈夫かとその薄紫色の瞳だけで確認してくる。
「……、はぁ、全く、」――俺は彼にコクと浅く首肯 してすぐ、呆れながらも前を見た。
「貴方って本当に強引な人ですね、お父さん…――わかりました。今から向かいます…、……」
……と…いったわけで、俺たちは急きょ、俺の実家へと行くことになった。――
そうして俺の実家である高級タワーマンション、その最上階へまでエレベーターで昇りつめ、するとそこから出た先は、広くはないが、一戸建ての玄関先様相の場所となっている――その階の面積すべてが一戸の住居空間となっているのである――。
そして実家とはいえ念のため、(エントランスのそれと合わせると二段構え、といったようではあるのだが、)インターフォンを押すと、使用人もいるというのに、わざわざ父二人が俺たちのことを大歓迎ムードのニコニコ上機嫌で出迎え、…
さあどうぞ入って入って、いらっしゃい、よく来てくれましたね……とそのままなかば押し込まれるようにして、高層階からの景色がガラス張りから望める、だだっ広いモダンなリビングへ――。
そうして俺とユンファさんは、十人は余裕をもって座れるような、こげ茶色のL字型ソファに並んで腰かけ、――ダイニングテーブルほどはあるガラスのローテーブルをはさんで――対面の五人掛けソファ(L字型ソファとセットのもの)に座る、俺の両親を見すえた。
ちなみにアルファ属の父は、180センチほどの長身にモスグリーンのスーツをまとっている。
俺と同じプラチナブロンドの髪をオールバックにしているばかりか、タレ目、直線的な高い鼻、やや厚みのある朱色の唇と――そのエメラルドグリーンの瞳と、角ばった輪郭、それから俺よりもう少し優しそうな雰囲気以外――、ひと目見て俺の父親と誰もがわかるような、俺に顔のパーツがよく似た五十代なりたての紳士である。…なお深みのあるその低い声まで、俺のそれとどこか似ている。
一方その人の隣に姿勢よく端座するオメガ属の父は、150センチほどの小柄な細身に白いカッターシャツと紺のカーディガン、黒いスラックスを穿いている。
彼はアルファの父よりも五つ年下の、四十代なかばである。オメガの父は色白で、ややウェーブがかった黒髪をミディアム程度に伸ばしている。そしてそのたまご型の小さな輪郭と、水色の瞳は俺も受け継いでいる特徴だ。
なお彼はいわば――オメガ属らしい――比較的大きなつぶらな目をもってはいるが、それでいて甘い幼げな印象というよりかは凛とした印象の、いささか気の強そうな、聡明な鋭さのある、それでいてどことなく幸薄げな、儚げな透明感のある美人顔である。
ツリ目、というほどではないのだがアーモンドアイであり、また何よりその柳眉 がそうした、引き締まっていながらに脆 そうでもある印象をふかめているのだろう。――ちなみにこれは前にも思ったことだが、彼は何となし雰囲気ばかりユンファさんに似ているところがある。
さて、俺たちには高級店のケーキと紅茶が出された(足りなかったら遠慮なく言いなさい、すぐに好きなものを買いに行かせるからと言い添えられて)。
そして、俺よりも幾分かは柔和げな顔立ちのアルファの父が、各々名を名乗りあう挨拶が済んで直後、「さて」とユンファさんに微笑みかけた。
「ユンファさん、どうぞソンジュのことをよろしくお願いしますね。…貴方はもう我々九条家の一員だ。――ソンジュが何か馬鹿をしただとか、そういったことも含めて何かあれば、今後は我々のことも貴方の親として、是非遠慮なく頼りにしてもらえれば……」
「いえ、…ぁ、あの…」
しかしユンファさんは困惑し、ドキドキと鼓動を速くしながらうつむくと、憂いを帯びた力ない声でこう言った。
「申し訳ありません…、お気持ちは大変有り難いんですが…――実はその…、僕は、ソンジュさんと結婚、するつもりはないんです……」
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