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89 ※微
抱いてくれたら、僕の過去のことをもっと教えてあげる――。
俺にそう言ったユンファさんだったが――しかしその後すぐ壁を支えに伝うようにしながらも、ふらふらと危うい足どりで、室内のどこかへ行こうとしたので、俺が慌ててどこへ行くの、トイレ? と尋ねると…――汗をかいて気持ち悪いからシャワー浴びたい…、と、…酔っ払いならではのマイペースさで、一人浴室へ向かおうとした。
しかしふらふらとこれほどまでに酔っていては、まさか一人でシャワーを浴びさせるわけにもいかない。
……ということで俺は、じゃあ一緒に、とユンファさんと共に浴室へ――すると彼にはニヤニヤとされながら、「僕と一緒におふろ入りたいの? この変態」などと(酔っ払い特有の)からかいを受けたが、はいはいそうですよ、変態で構いません、と受け流し――、そうしてユンファさんを見守りながら、自分もシャワーを済ませた。
まあそれにしても…――ユンファさんは案外、(それこそ身体的には千鳥足でも、)精神上はあまり酔っ払っている感のない酔っ払い方をするのだな、と俺はシャワー中、つくづくそう思ったものである。
といっても、やはり多少は酔っているとわかるような感じではあったが――。
というのも……俺が立ったまま体を洗っていたら、(すでに自分はもう体を洗い終わり、泡も流したというのに)ユンファさんは、後ろから俺の泡だらけの背中に上半身を押しつけ、そうして俺に抱きついてきた。
……そして俺の肩の上に顔を出して、「ソンジュ…?」と――その甘い声に顔をふり向かせた俺の下唇に、あむ…と彼の肉厚な唇が噛みついてきて、そのまま甘えるように軽く引っ張って…――やがて唇が離れると、彼はへへ、と切れ長のツリ目を細めて、ご満悦な猫のように笑った。
「ソンジュ…、僕のこと、好き…?」
「……ええ勿論、好きです…と言いたいところではありますが、もはや好きというよりか、愛しています。」
……何て可愛いんだろう――俺はこのユンファさんの全てに、いやまさる情欲の炎が全身の神経をひりつかせ、鋭敏に昂ぶらせてゆくのを感じた。
すると彼は「ふぅん」と満足げに鼻を鳴らすと、俺にぎゅうと抱きついて、俺のうなじに片頬をあずけていながらに、
「でも、僕は嫌い…」
「……、…」
俺はそれには何も返さなかった。
ただ自分の胴に巻きついたユンファさんの腕に、泡まみれの両手をすべらせた。――次に彼は気だるげな、しかしどこか甘えるような声で、こう俺の耳にささやいてくる。
「ふふ…――ね…、僕のこと、もう嫌いになった…?」
「…いいえ…」
「……ふぅんそう…、君ってほんと変人だね…――ねぇソンジュ…、ソンジュは、いつまで僕を嫌いにならないでいられる…?」
そしてユンファさんはそんなことを、やたらと冗談っぽい軽い調子で聞いてきた。しかし彼は俺が答える前に「いや」と笑う。
「いつまでとか、そんなのわかるわけないか。…でもいいんだ、別に…――別にいいの…君に嫌われても、僕は全然平気…――はは、だって嫌いな奴に嫌われたところで、別に傷付いたりなんかしないだろ。だから……」
「…ユンファさんにとって嫌いな奴であるらしい俺ですが、――俺の方はそう簡単には、貴方のことを嫌いになんかなりません。…愛していますよ、それでも……」
俺がそう断言すると、彼はまた「ふぅん」と満足げに、鼻を鳴らすような返事をした。
……しかし次の瞬間、ところで早くしろよソンジュ、早く体洗っちゃえよ、セックスするんだろ、と――俺の体を洗う手を(事実上)止めた張本人のくせに、酔っ払いともあってはなお増したわがままっぷりで――そう急かしてきたのであった。――
そして二人でシャワーから上がると、ユンファさんは今度は突然歯を磨きはじめた。
まあ突然とはいえ、脱衣場にある洗面台の前に置かれた歯ブラシとコップを見つけたなり、彼がその思いつきのまま全裸で歯を磨こうとしたのをさすがに止めた俺によって、きちんと服を着てから、ではあったのだが。…なお見守りついでに俺も歯を磨いておいた。
まあ……そうしたわけでユンファさんは、一見酔っていないように見えるほど受け答えはしっかりしてはいたものの、よくよく見ればなるほど酔っているな、とわかる感じであったのである。
さて、シャワーを浴び――部屋着のTシャツにハーフパンツと、二人して楽な格好となり――歯まで磨いて……そこまでしてからやっと俺たちは、照明を消した彼の部屋、その黒いダブルベッドに二人ならんで横たわった。
しかし俺はこのときになると、今日この日に愛欲を積もらせていたとはいえ――ユンファさんを抱こうと思い立ってからそれなりに間があいた、というのもあり――、これだけ酔っている彼を本当に抱いてよいものかどうか…と今さら迷いはじめた。
……かといって、これで「今日はもう眠りましょう(ユンファさんは今酷く酔っているのだから)」と俺が慮 ったところで、ユンファさんは納得はしないことだろう。
ということで俺は秘密裏 に、あたかも抱く気はあるような、それでいて彼が心地よさのあまり思わず眠りに落ちてしまうような、性感における決定打のなさげな愛撫を彼にほどこすことにした。
仰向けになったユンファさんへむけて体を横向きに、ひじ枕をした俺は、まずは彼の頭をゆっくりなで…なでと撫ではじめた。
……そしてとろんとした顔で俺を見上げてくる彼の、その片頬をするりと撫でて包み込んでから、ちゅ…――その半開きの赤い唇に、ほんの軽い静かなキスをして、またその人の絹 のような艶 のある黒髪を優しく撫でつづける。
するとユンファさんはとろんとした顔ながら、寂しそうな切ない眼差しでじっと俺の目を見上げてきながら、こう不安げに聞いてくる。
「ね…、どうしてソンジュはそんなに優しいの…――僕、どうしたらいい……?」
「どうしたら、ですか…? ふふ、…いえ別に、特別何かをしてくださる必要はありませんが……」
「…でも…」とユンファさんは依然不安げに言うのである。
「何も…要らないの、本当に君は……愛とかじゃなくて…、お金とか…その、体…? とか、…あるいは、その…僕のこと、いろんな意味で奴隷にしたいとか…――精神的に、支配したいとかさ……」
「っいいえ、まさか。」
俺はその実ドキリとしたが、慌てて否定した。
支配…――ふる、と小さく顔を横に振る。
しかしユンファさんは「ねぇ…」とやたら甘い声で言いながら、俺の片頬をするりと撫で、儚げな微笑をその美貌にたたえる。
「別にいいよ…、僕、ソンジュの奴隷になってあげる…――そもそも誰かと結婚するときは、その人の奴隷になるって…前から決めて…」
「間違ってもそんなことは言わないで。…俺は何も要りません。奴隷だなんてとんでもない。――見返りなど何も要りません。俺は…」
「あり得ない…」――そうつぶやいたユンファさんは、ふとその長いまつ毛を物憂げに伏せた。
「見返りも何も要らない…、ほんとあり得ない…――ねぇ…君は、…ねぇ…〝あの人〟とは、違うよね……?」
「……、…あの人って……?」
と俺が聞くも、しかしユンファさんは「いや…」と眉をひそめる。
「違う…ソンジュは違う、きっと…、〝あの人〟なら…もう僕のこと、とっくに抱きはじめているだろうし…――何なら、玄関で…、…ていうか……」
そこで少しムッとながら俺を見上げた彼は、自分の頭にある俺の手を取り、自分の平たい片胸へその手のひらを添わせると、吐息めいたささやき声で不満げにこう言う。
「そもそも君、抱く気ないでしょ…」
「……え…? はは、…」
俺はとぼけて笑った。
それを如実に見たユンファさんは拗ねたように俺を甘くにらみ、しかし、すぐにまたその長い黒いまつ毛を伏せる。…俺はまたちゅ…と、彼の不満げにやや尖った唇にキスをした。
……するとユンファさんはふい…と俺から顔をそむけつつも、自分の胸にある俺の手をするりと下げてゆき――そしてその手が自分の下腹部までたどり着いたなり、やむを得ない妥協的にぼそり、こう俺へ要求してきた。
「…じゃあ僕が寝るまでまんこいじってて…」
「……、…」
いや…そんなことをされながら、はたして人は眠れるものなのだろうか?
……俺はさすがにやすやすとは承服しかね、といって断ろうとも特に思ってはおらず、ただ自分の意思のない片手をその人の平たい下腹部に置いたままにしていた。――しかし「早く…」と苛 立たしげにユンファさんが急かしてきたので、…結局は彼の穿いている半パンと下着のなかへ手を忍びこませ――やや硬質を帯びたその陰茎を何度か緩慢に撫でさすってから、お望みどおり熱いくらいの奥地へ指を向かわせた。
ぬる…とすでに濡れている膣口に俺の中指の先が触れると、ユンファさんはぴく、とかすかに腰を跳ねさせ、「ん…」と甘い鼻息まじりの声をもらす。
そして彼は斜め下へ顎を引いたまま、その伏し目をきゅ…ともう少し細めながら、か細い声でこうねだる。
「指…奥…、はぁ……奥まで挿れて……」
「……はい…、……」
俺は言われたとおり、何度かぬる…ぬるとその熱いやわらかな膣口を撫でてから、つぷ…と中指を挿入してゆく。――かなりの熱をもった彼のなかは、すでにとろとろとした愛液で満たされており、そして俺の指が入ってきたなり、きゅっと窄 まった。
「ん…っ♡」とユンファさんの眉が切なげにひそめられ、俺の指がぬぷぷぷ…と奥へ進めば進むほど、彼の腰の裏がこわばりながら、じわじわと上がってゆく。
……そして俺の中指に、粘液質なふうの彼の粘膜がにゅるにゅると絡みついてくるなか、その豊かなやわらかい肉を包みこむ硬い筋肉が、さらに俺の指を奥へ奥へと運びこむような吸い上げるような動きで、きゅ…っきゅ…っと締めつけてくる。
「……、…、…」
俺は(男として)当然だが、愛する人のその膣内の感触に凄 まじい性欲をよみがえらせ、思わずゴクリと喉を鳴らした。
するとユンファさんがふと顔を戻して俺を見上げ、先ほどよりも潤みの増した紫の瞳でじっと――不満げに、本当に「しなくていいのか」と確かめてくるように――俺の目を見つめてくる。
「……、…ふふ……」――俺は自然眉尻を下げて彼に笑いかけた。
……また俺の負けです、と。
思えば俺も薄々わかってはいたはずだが、まさか、本当に諦めて寝ようとしている人が「寝るまでいじっていて」などとは言うはずもない。――つまりユンファさんは、端 から俺をその気にさせようという魂胆で、そう要求してきたに違いないのである。
……結局俺はユンファさんに覆 い被さった。
そのまま貪 るようなキスをしながら、彼のなかをぬちゅ…ぬちゅ…と中指でこする――とユンファさんは俺のうなじを両腕で抱きよせ、もう腰をなまめかしく揺らめかせながら、斜めから俺の唇をはみ返してくる。――
そして――俺がユンファさんの着ている白いTシャツの裾を胸の上までまくり上げ、その薄桃色の乳首を片側は口で、もう片側は指でじっくりと愛撫しているとき…――彼は「んん……♡」と腰をくねらせつつも、口を開いた。
「…ね、ソンジュ…? じゃあ約束通り…教えてあげる…」
「……、…」
俺ははたと一瞬指と唇の動きを止めた。が、ここで――話を聞くのに専念して――愛撫をやめてしまえば、それはそれで彼が「やめるならやっぱり話さない」と言い出しそうに思え、すぐにまたその凝 った乳頭をちろちろと舌先で、カリカリと爪先でこする。
びく、とユンファさんの上体が跳ねた。しかしその人は俺の後ろ頭に片手を添え、酔いに若干もつれたような呂律ながらも、それでいてあでやかなささやき声でこう話をしはじめる。
「君もお父さんから聞いただろ…、僕、お母さんに売春させられていて…――その内に出逢ったある人と、駆け落ちしたって……」
「……うん…」
と俺が重たい低い相づちを打つと、かえってユンファさんは話す声を少し明るませる。
「その人も結局、僕のことを買っていた一人だったんだけど…――お母さんが連れてきた人で、そのときはもう…多分、四十越えてたかな…、結構おじさん…。ベータ属…、はは、でも顔はかなり良くて、何か芸能人…俳優みたいだった…。正直今も…顔だけなら、結構タイプ……」
と回顧するユンファさんだが、つい俺が――嫉妬をして――カリ、と乳頭を噛んでしまうと、「あ、♡」と声を洩 らしながらビクンッと腰を反らせた。
しかし彼はそのあと「ふふ…」とどこか機嫌よさそうな笑みをこぼし、俺の後ろ髪をゆっくりと指ですきながら、さらに「それでさ…」と酔いに甘ったるいささやき声でつづける。
「その人、週に何回も僕のことを買って…毎回家で…、僕の部屋で、僕のことを抱いて…――でも、凄く優しくて……ちょっとねちっこいくらい前戯もちゃんとしてくれて、毎回僕のなかを濡らしてから挿れてくれたし…、何より…いつもゴム、着けてくれて……」
ユンファさんは「他の人はみんな生だったのに…」とつぶやくように言ってから、さらにこう続ける。
「抱きながらいつも〝可愛い、綺麗、色っぽい〟って囁いてくれたし…――何か毎回…〝好きだよ、愛してる〟って…、〝ユンファの恋人になりたいな〟って…――僕、馬鹿だったから、ほんと…、その内、その人の言葉を真に受け始めちゃって……」
「……、…」
俺はその切ないユンファさんのささやき声に、自分も切なくなってきて、おもむろに彼の耳もとへ唇を寄せた。…そして、あくまでもゆっくりと…その人の片胸を優しく撫でまわしながら、「それで…?」とその先の話を促 す。
すると彼は呆れたような笑いを含ませて、声を明るませながら、
「それで。ある時その人に、」と言うが、…そこからはあくまで笑いながらも、しかし今にも泣き出しそうに声を震わせる。
「〝もう死にたい〟って洩 らしちゃってさ、…そうしたらその人、〝死なないで。死ぬくらいならボクと一緒に逃げよう、助けてあげる〟って、…それでその人に、ノコノコ着いて行った、…ふふ、――求められた気がしたんだ、初めて、誰かに…、愛してもらえた気がしてね、――正直嬉しかったんだ、そう言われたとき、本当に…、幸せで、泣いたくらい……」
「……、そう…、…そっか……」
泣きそうなのをこらえて――あるいは隠して――強いて笑ってそう言うユンファさんが、俺は悲しかった。――彼は自分に覆いかぶさっている俺の背中に、そっと両手を回してきた。…俺はその人の両肩を、裏からそっと抱き寄せる。
そして、こう話をつづけた彼の声は依然震えていたが、もっと無理な笑いを帯びていた。
「それでさ、そのおじさんのボロアパートに行って、そのままそこで同棲始めて、――でも思ったらさ、ちゃんと恋人同士になってもいなかったんだけど…、そこでも結局、そのおじさんとセックスばっかりしていて…――まあ相変わらず優しくはあったよ…。でもその内、ゴムもちゃんと着けてくれなくなって……」
次いでユンファさんは「こんな僕でもさ…」と、自嘲 したような抑揚で言う。
「実はその人が中出しばっかりするようになってから、始めはちゃんと危機感ももっていたんだ…――避妊薬はもちろん飲んでいたけど…、その人、排卵期中でもそれの前後でも全然お構いなしだったし…――でも、…ゴム着けてとはなかなか言い出せなかった…」
するとユンファさんはそのあたりから、こう語る声を細々とした不安げなものにする。
「そんなこと言ったら、捨てられちゃうような気がして…――もう行くところなんかないのに、この人に捨てられたら…とか、…唯一僕なんかでも愛してくれるこの人に嫌われちゃったら…とか、色々考えちゃってさ……」
「……そう……」
俺は彼の耳もとで眉をひそめながらも、その声ばかりは穏やかな慈 しみを取り繕って、かつその人の頭をゆっくりと撫で――要は余裕ぶっている。
だが、この話の「結末」を知っていればこそ、俺は胸中に憤怒 も凄まじいそれを、息苦しくなるほど燃やしているのである。
……しかしユンファさんはそのことなど知る由もなく、俺の優しい手にか「ふふ…」と、どこか幸福にとろめいたらしい含み笑いをもらしてから、
「それで…でもある時、避妊薬とかもらいにいつも通り病院に行ったら…そこの先生にね、〝パートナーはいる? いるなら、ちゃんとパートナーにも避妊してもらってる?〟って聞かれて…――その先生、すごく優しいアルファの女の人でさ…、〝オメガは保険でも避妊薬を飲む人が多いから、パートナーが避妊の意識をもってくれにくくなるんだよね〟って心配してくれて……」
そしてユンファさんは「本当…あの先生、すごく優しかったなぁ…」と、消え入りそうな微笑の声でそっとこぼしてから、「それでね…」と話をつづける。
「そうやって…その先生が話しやすい雰囲気作ってくれたから、ゴム着けてくれないことを相談したら…――〝自分でもきちんと言わなきゃだめよ〟って前置きした上で、〝でもお節介かもしれないけど、私がパートナーさんにお手紙書いてあげるね〟って、わざわざそのおじさんに一筆書いてくれて……」
「……うん…」
と俺は低い相づちを打つ。
するとユンファさんはここで、俺が一瞬驚いたほど俺の背中にぎゅっと力強くしがみついてくると、こうさらに言葉を継いだのだ。
「でさ、その手紙と自分で買ったコンドームの箱持って、ドキドキしながらおじさんの帰りを待って…――帰ってきたその人にそれ渡して、かつ、自分でもやっと言えたんだ、――〝ゴム着けてほしい〟って…、〝どうして前はちゃんと着けてくれていたのに、最近は全然着けてくれないの〟って…――そうしたら、その人……」
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