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俺が一瞬驚いたほどの力でこの背中にしがみついてきたユンファさんは、
「でさ、その手紙と自分で買ったコンドームの箱持って、ドキドキしながらおじさんの帰りを待って…――帰ってきたその人にそれ渡して、かつ、自分でもやっと言えたんだ、――〝ゴム着けてほしい〟って…、〝どうして前はちゃんと着けてくれていたのに、最近は全然着けてくれないの〟って…――そうしたら、その人……」
と震えている、しかし無理な笑いを含ませた――無理やり作ったかのような明るい――声で、まるで笑い話でもしているかのように、こう続けるのである。
「すごい…怖いくらい激怒しちゃってさ、…はは、それで先生の手紙ビリビリに破いて、〝もう二度とこんなヤブ医者のところへなんか行くな、病院変えろ〟って怒鳴 ってきて…――それでその時ね、僕が〝でも〟って言ったらその人、――それだけで僕にビンタしてきて、そのまま無理やり押し倒されて…、で…その、…嫌がったんだけど、僕は、一応……」
「……、…、…」
俺の口が物をいうために開かれる。しかし開閉をするばかりで、何を言うこともできない。
――明言されずともわかる、ユンファさんの「一応…」の先にある過去の出来事、いいや、「事件」というべきそのことに、俺は男への烈 しい怒りを、そして彼への深い同情をこの胸に抱いた。
……だからこそ、何も言えなかったのだ。己の激情に呑 まれて――小説家の、俺が。
しかし俺がそうしているうちにもユンファさんは、やはりあたかも笑い話をするかのように――いや、過去に負った傷を無理くり笑い話とすることで、まだ痛む自身の傷をかばうように――こう話し続ける。
「もちろん、…もちろん生。はは、で、もちろん中出しされた、そのまま。…やめて、駄目って言ったけど、全然聞いてくれなくて…――でも笑っちゃうんだけど、終わってからさ、逆にその人の方が泣き始めて…――〝ゴム着けてなんてそんな悲しいことを言わないでくれよ、ボクはユンファの愛を疑いそうだよ〟って…、それで、泣きながら僕に聞くんだよ…――〝何でボクがユンファと同棲始めてからゴム着けないようになったと思う?〟って……」
ユンファさんはここでそ…と、俺の耳の間近にその唇を寄せてきた。――そして彼の唇は、やたらと妖しい笑みを帯びた声で、俺の耳にこう囁 いてくる。
「〝ユンファと結婚するつもりだから〟…だって…――僕のことを真剣に愛しているから、生でするんだって…、その人、そう言っていた……」
「……、…」
ギリと俺の奥歯が鈍くこすれた音を立てる。
しかし俺は怒りを隠して、ユンファさんのうなじを片手で少しもち上げ、彼の引きつりながら笑っている痛ましい唇に、斜めから口づけた。――ゆっくり、じっくりと何度か食んで…――それから口を離すと、ユンファさんは俺の暗闇に青白く光る両目を見上げて、ふと弱々しく笑った。
「君とは…真逆だね…、ふふ…」
「…だからユンファさんはその男ではなく、俺と結婚したんじゃないですか…?」
その俺の声は男への怒りにいささか鋭かったが、ユンファさんは「いや、」とおかしそうに目を細めて笑う。
「まだ結婚はしてない…、婚姻届、まだ出していないから…」
「…ふふ、ごもっとも…、早いところ出しに行きましょうね…」
と俺が優しい静かな声で言うと、ほんのりと微笑したままのユンファさんは「うん」と返事をしながら、ふと少し赤くなった目を伏せた。
……俺はもう拒否する気色 もない最愛の美男子、それどころか、俺と結婚する意志を固めたそのあまりにも綺麗な微笑みに、グッとくるものがあった。
しかしユンファさんは目を伏せたまま「はは…」と自嘲 したように笑うと、「それで…、何かさ…どうしてか、あの時そのおじさんが言っていた言葉、今でもはっきり覚えているんだよね…」とこぼしてから――唐突に、ふとその端整な顔から表情を消すと――そこからはやたら淡々とした調子で、
「〝そうだよね、今まで酷い男たちに好き勝手中出しされてきたユンファは知らないんだよね。君は愛を知らないからね。不安にさせちゃってごめんね。…でもわかってほしい〟――〝ボクは愛してるユンファのおまんこの感触を生できちんと感じて、心も体も一つになりたいだけなんだ。ユンファだって、愛するボクの生のおちんちんの感触をちゃんとおまんこのなかで感じたいはずでしょ。そもそもそのほうがお互い気持ちいいじゃないか〟――〝いつもボクがユンファのなかに出すのだって、もちろん万が一の時は責任を取るつもりがあるからだよ。…それに、まだ二人の愛の結晶をつくるのは早くても、ボクの精液が君の体に吸収されれば、それもある意味では一つになれたってことなんだから〟……」
さらにユンファさんはその目を伏せた無表情で、滔々 と、決して棒読みというのではないにせよ、何かどこか機械的に男のセリフを並べたててゆく。
「〝それにね、逆に中出しは、本当に特別な人にしかしないことなんだよ。…生でエッチするのは、ボクがユンファのことを世界で一番愛しているから。そしてユンファのことをボクの色に染めて、自分だけのものにしちゃいたいから〟――〝でも、さっきは嫌がってたのにごめんね、そして乱暴にしちゃってごめん。愛する君が、ボクの気持ちをわかってくれなかったのが悲しくて…、何よりボクは今も、ユンファへの愛を抑え切れなかったんだ〟――〝男は実はみんなそんなもんなんだけど、愛している人相手だと、その人がたとえ嫌がっていても、無理やりにでも生でしたくなっちゃうもんなんだ。全部愛してるからこそだよ。…ボクは毎日毎日、ユンファが欲しくて欲しくてたまらない。だからいつも生でして、君のなかに射精するんだ。そうやってユンファがボクだけのものだって愛の証を、君のなかに残しているんだよ〟……」
「……、…」
俺は怒りに自分の眉間が引き攣 れているのを感じつつも、はたとあることを思い出している。
――そしてユンファさんは恐ろしく冷徹な伏し目で、こう男の言葉の再現をひとまず締めくくった。
「〝つまりね、ユンファと生でするのも中出しするのも、ボクの最高級の愛情表現なんだよ〟…――だって、さ……」
「……それで…、……」
俺は思わずそうつぶやいた。
……というのも――ユンファさんは以前、このようなことを言っていた。
〝「……。彼氏だから僕のなかに出したいとか…ないの、ソンジュは…――彼氏だから生でしたいとか、そういうの……なんで、君にはないの……?」〟
〝「本当に愛していたら、僕が嫌だと言っても生でするもんだろ…――それはそれだけ僕が欲しいってことだし…――たとえそれがまともじゃなかったとしても…、倫理観とか世間体とかそういう面倒事が無くて、罪にさえ問われなければ、本当は誰だってそうしたいもんなんじゃないの…?」〟
「……、…」
……俺はあのとき、そう言ったユンファさんに怒りながらこう熱弁した。――もっと自分を大事にしなきゃ駄目じゃないか、そもそもそんな価値観は俺の主義には合わない、俺にとっての「愛する人を大事にする」ということは、すなわちスキンを着けて貴方を抱くということなんだ…と。
するとはじめは「どうして、よくわからない」と困惑していたユンファさんも、最後には納得してくれたようであった。――なるほど…と合点がいく。
ユンファさんもスキンの重要性、さらにはそれをした上での行為に含まれている俺の自分への愛情を、理解してはいる。――それこそ男にその件手紙を書いてくれたという病院の医師に、「本当に優しい人だった」との印象をもっているあたりからしても、彼も本当はそれをわかっているのだろう。
しかし……わかっては、いるが…――。
「そう言われたら、僕…」と薄い吐息の声で言いながら、ユンファさんはふと俺の目を、その小刻みに揺らいでいる紫の瞳で見上げ、困惑したようなうっすらとした微笑をその顔にたたえる。
「もう、よくわかんなくなっちゃって…、というか…今でも正直、よくわかっていない…――未 だにその人の言うことが正しいと思っているところもあるし…、でもソンジュや、あの先生が言うことが正しいと思うときもあって……」
「……、…」
わかってはいるが…――しばしば、わからなくなる…のだろう。
……それこそ雑草は根から枯らさなければまた何度でも生えてくるように、彼の精神の根底に植えつけられてしまったその男の下衆 な価値観は、いまだ彼の中で根深く残ってしまっているのであろう。――それだから「わかっている」ときの彼は、俺の「固辞」に『馬鹿真面目くん』と喜べるが――「わからなくなっている」ときには、どうして生でしないの、どうしてなかに出さないの、僕のことを本当に愛しているの、と不安から俺を誘惑する彼になる。
「……、…」
……俺はどうするべきなのだろう? と目を伏せる。
その「雑草」を根絶させるには…、そもそも根絶を志 すので合っているのか…――いいや、そもそも何も結婚までして、いつまでもスキンの着用にこだわり続ける必要はないのではないか?
この折に何を悩むべきことがあるというのか?
そうだ。――俺は前々からユンファさんと結婚をしたら、スキンなしで彼を抱く、と決めている。…もちろん毎回は憚 られるが、たまにならばなおちょうどよく、その隔 たりのない行為は、二人を幸せにするものとなるに違いない。
だがそれはともかく…――俺の眉間には憤怒が宿り、この胸の中もまた、まるで炎の中に身を置いているかのように熱く息苦しい。
しかし、ユンファさんの不安げな「ただ…」に、俺はすぐにまたつと彼を見下ろした。
彼はその長いまつ毛を伏せているが、その過去への憂いがうかがえる顔に、無理な少々いびつな笑みをたたえている。――そして彼は少し泣きそうと聞こえる、だが努 めて事もなげに笑っているような声で、
「少なくともその時はさ、そのおじさんの言うことにものすごい説得力を感じて、そっかって。――それで買ってきたゴム、その人の目の前で捨てた。…疑ってごめんなさいって泣いて謝りながら…――あと、優しかった先生の病院にももう二度と行かなかった。…おじさんが〝その女はボクたちの仲を邪魔しようとしているだけだ〟って言うから。…その時の僕は本気でそれを信じていたし、何ならおじさんと一緒に、その先生のことを本気で憎んでもいた。」
ユンファさんは伏し目のまま眉を寄せて「おかしいでしょ」と嗤 うのである。「あんなに優しくしてくれたのに…本当に僕、あの時はどうかしていた…」と、彼は自分を嗤うのである。――そしてさらに「それでさ…」と続けて語るその人の声は、何か途端に恍惚とした艶 を帯びる。…その表情と共に――。
「そのあとその人、その…ある種の調教、じゃないけど…――しばらく僕のなかに出すとき、絶対僕に〝なかに出して、なかに欲しい〟って言わせて…、だってそれ言わせるために、毎回わざと〝ボクのザーメンどこに出してほしい?〟って聞くんだよ……」
と言ってすぐユンファさんの顔がころり、はぁ…と物憂げな艶を帯びたため息とともに、斜め下へ伏せられる。
そして彼は自分の下腹部をする…すると撫でながら、どことなく嬌声めいたささやき声でこう続けるのである。
「それで…出している最中も僕の子宮を上から撫でて…〝ほらボクの精液で子宮あったかいでしょ。気持ちいいね、なかに出してもらえて幸せだね〟って、囁いてきて…――しかもその時、絶対僕に〝幸せ…気持ちいい、僕のなかにザーメン出してくれてありがとう〟って言わせないと、気が済まなかった…、それこそそれ言わないと、すごく不機嫌になったから……」
そしてユンファさんは泣き出しそうに眉をひそめたが笑い、艶のある吐息まじりの――しかし泣き笑いの――声で、「おかしく…」
「おかしく、…なっちゃった…、きっとそのせいで、僕の、体…――そっか…、なかにザーメン出してもらえるのって、すごく幸せなことなんだって…――そうしたらいつの間にか、…本当にあたたかくて…幸せな感じがして、気持ちよくて…イくような時さえあって…――気が付いたら僕…未だに相手が誰でも、もう中出しされないと物足りない体になっちゃってて…」
「……、…」
俺はいよいよ顔をしかめた。
白状すれば呑気 な嫉妬 もあれど、何よりもそれ以上に、俺は今、…怒り、悲しみ、…いや――あくまでも愛するユンファさんへのその愛情を大前提にする、筆舌に尽くしがたいさまざまな感情に襲われて、その昂 ぶりに危うく泣きそうなくらいであった。
しかし、するりと俺の強ばった両頬を包みこんだ愛しい美男子の両手に、ハッと我に返る。
ユンファさんは眉尻を下げて、ふと俺に弱々しく微笑みかけた。――それでいて彼のその微笑は、幸福そうにやわらかいのである。
「それでね…」そして、どうしてか彼は幸福そうなやわらかい笑みを含ませて、続きを語るのである。
「毎日毎日そのおじさんとセックスばっかりして…、その人が昼間いない時は家事をして、料理を作って…――で…おじさんが帰ってきたら玄関で…風呂で…飯食いながら…、寝るまでずーっとセックス…――でも正直、すごく幸せだった…。その頃は何をしていても、ものすごく満たされていた……」
「……、…」
俺は奥歯を力いっぱい噛みしめ、前歯という檻 、唇という門を固く閉ざす。
……鋭い牙 をもった獣が、その牙をむき出しに、それらを内側から打ち破ろうと暴れているからだ。
ユンファさんのこの幸福そうに潤んだ美しい目は、今、本当に俺の目を見ているのか?
しかし依然俺の目をじっと見つめてくる、幸福に浮かれたように恍惚とした彼が、その声でつづける。
「今思うと、ただの都合のいい肉便器だったんだけどね…――でも…毎日抱かれながら〝可愛いよ、綺麗だよ、ユンファのおまんこ気持ちいいよ、好きだよ、愛してるよ〟って言われて、僕…それで自己肯定感、ものすごく上がってさ…、時々それでイッちゃうくらい、本当に幸せで…――こんな僕でも、ちょっとは価値があるのかもって……」
しかしここでユンファさんは眉を寄せ、眉尻は下げたまま、今にも泣き出しそうな顔をする。
「…僕なんかでも、生きていていいんだって…思えてさ、――毎日セックス漬けでも、むしろものすごく自分を求めてもらえてるって嬉しくて、――僕、今まで、オメガの自分なんか無価値だと思って生きてきたから、…でも、むしろオメガだからこそ、僕のこと抱いてくれる、求めてくれる、オメガの僕を認めて愛してくれる、――嬉しかったんだ、…やっと誰かに愛してもらえたって、…毎日浮かれてた、馬鹿だから、…」
「……ユンファさん…、」
「言わないで、…ごめん、…」
とユンファさんは目に涙を浮かべながらも笑った。
当然だが、愛しい人のその涙に、俺の獣は喉の奥へと引っ込んだ。――しかし俺の唇は閉ざされ、その代わり俺は頭をその人の耳もとへ伏せながら、彼の肩の裏を両方自分の胸へと抱きよせる。
するとユンファさんも俺のわきの下から回した両手で、俺の首の横両側を掴み、ぎゅっと俺を抱きしめ返す。
「ただね、」と彼は涙声で言う。
「そのおじさん、今思うと当然なんだけど、全然デートには連れて行ってくれなくて、――せいぜい真夜中の牛丼屋とか、それくらい…。しかもその時も、路地裏とか公衆トイレとかに連れ込まれて、しゃぶらされたりヤられたりで…、酷いと、夜の公園で…とか…――でも…僕もその時はガキだったからさ、…一回だけでいいから、昼間のデートに連れて行ってほしいって、しつこく頼み込んで……」
「ええ…」
そう俺が相づちを打つと、ユンファさんは「ふふ、」とどこか甘えるように笑いながら、俺の後ろ頭を抱きよせ、「そうしたらね…」と俺の耳に、涙を帯びた甘い声で囁いてくる。
「そうしたらその人、渋々だけど…一回だけ、遊園地に連れて行ってくれたんだ…、行くまですごく楽しみにしてた、――でも、はは…全然普通のデートじゃなかった…、全然、僕がしてみたかったデートじゃなくて……」
そしてユンファさんは、無理な泣き笑いの声で、
「電車乗っているときは痴漢プレイ、でしょ、…遊園地のトイレの個室で中出し、遠隔ローター、観覧車の中でヌキとか露出とかさ、――そんな感じで…、手を繋いでくれたりとか、そういうのもなくて、…その人、ちょっと離れたところから、僕がふらふら歩いてるの、携帯で撮影してたから、――でも、言えなかったけど…、ふふ、嫌だとか文句とか、…ほんと何にも、…」
「……、…」
俺はぎゅっと潤んでいる両目をつぶった。
息を思いきり吸い込み、止めた。
手を繋いで…プラネタリウム…カフェでの食事…ウィンドウショッピング…それから、ぶらりと思いつきで入った洋食店――なんでもない普通のデート…――『デートって、こんな感じなの?』――俺のまぶたの裏に、初めて俺とデートをしたときのユンファさんの、あの花のほころぶような無垢な笑顔が浮かんでいる。――普通のデート…――まあおおむねそうだ、カップルそれぞれではあろうが、と俺が答えると、彼はにこにこしたまま『そっか。…知らなかったな、初めてこんな…』
こんな…――、こんな、…
「……っ、…」
……俺は嗚咽 を噛み殺し、…初めてこれほどまでに人を憎んでいる。殺してやりたいとさえ、本気で思えている。
もう終わったことだとは思えない。――いや、その男こそ「もう終わったことだ」と、今ものうのうと生きているのかもしれない。
だが、ユンファさんは今もなお苦しんでいるじゃないか。――終わったことだとは、思えないのだ。
「ていうか、」としかし、ユンファさんは相変わらず無理な明るい声で話すのだ。
「だんだんその人…その頃になってきたら、僕に飽きてきていたみたいで、――まあ、そりゃあ毎日毎日ヤっていたら当然だが、――その頃にはもう、セックスの内容がSMっぽく…というか、もはやほぼSMプレイになってきて…、はは……」
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