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第4話

 季節は進み、六月の末。  梅雨特有の湿気が、敬信大学のキャンパスを重く覆っていた。  圭は研究室の窓辺に立ち、雨に打たれる中庭の緑をぼんやりと眺めていた。手にしたカップの中で、紅茶はもうすっかり冷めている。  ここ最近、どうも集中力が散漫だ。自身の研究が思うように進まない焦りのせいか。だが、それだけではない気がしていた。  ふとした瞬間、不意に脳裏をよぎるのは、あの『量子力学・自主演習ノート』。  思考の奔流をそのまま殴りつけたような数式とメモの群れ。  そして、その持ち主である学生――秋吉悠也の、意外なほどひたむきで真摯な瞳と、夜闇の中で立ち尽くしていた時の追い詰められたような横顔。  思い返すたび、胸の底で何かが小さく波打つ。そして圭は落ち着かなくなる。自らの感情だというのにその正体が掴めない、複雑で捉えどころのない『何か』。 「……ばかばかしい」  自嘲気味に呟き、冷めた紅茶を一気に呷る。カップをテーブルに置く音がやけに大きく響いた。  ただの一学生に、なぜこれほど思考を乱されねばならないのか。  最近、夜の図書館へ行くことも増えていた。そして無意識にあの明るい茶色の髪を探している。結局見つからず研究室へ戻りながら、安堵とも落胆ともつかない感情を抱えていた――なぜ自分がそんな無益な行動を。  すべて、この蒸し暑い季節のせいだ。  そう無理やり結論づけ、圭は重い腰を上げて、午後の学部会議へと向かった。

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