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第5話
理工学部の教授陣が集まる会議室には、弛緩した空気が漂っていた。
例年通りの成績評価に関する報告が抑揚なく続いている。
窓際の席で、配布資料に目を通しながら、圭は自分の現在の研究のことばかり考えていた。ともすればすぐに秋吉悠也のことを考えてしまいそうになる自分を、自覚している。
「さて、次は学生広報の件だが」
学部長である山崎教授の、わざとらしいほど張りのある声が響き、緩んだ空気がわずかに引き締まる。学内政治に長けたこの男の話は、たとえ内容がなくとも聞き流すわけにはいかない。
「我が理工学部の志願者数減少は、看過できん問題だ。そこで、より積極的なPR戦略が必要だと考えている」
大袈裟な身振りを交えながら、山崎はいかめしい口調で続けた。
圭は内心の退屈を隠して無表情を装う。――しかし、次に発せられた名を聞いて、小さく肩が揺れた。
「ついては、秋吉悠也君を広報の顔として起用するのはどうかね。彼は成績優秀で将来性もある。加えて、周知の通り、あの見目麗しさだ」
会議室のあちこちから、囁くような同意の声が上がる。
「マスコミにも露出し、『イケメン物理学生』として売り出す。女子学生の志願者増にも繋がるだろう。大学本部からも、女子比率向上が求められている折だ」
「さすが山崎先生、時流を見ていらっしゃる」
誰かが追従の言葉を口にする。
その瞬間、圭の眉間に深い皺が刻まれ、腹の底から冷たい怒りのようなものが込み上げてきた。
それは単なる正義感ではなかった。
あのノートに刻まれた苦闘を知っているからこそ、彼がそんな安っぽいラベルで『利用』されることに、強い嫌悪感が湧き起こるのを止められない。
「山崎先生」
気づけば、声を発していた。室内の視線が一斉に圭に集まる。
自分でも予期せぬ行動に内心一瞬たじろいだが、表情は崩さない。いつもの冷静さを装い、山崎を見据えた。
「秋吉くんは確かに優秀な学生です。しかし、彼の本分は学業にある。まだ一学生に過ぎない彼を、そのような形で、単なる広告塔として消費するご提案には同意いたしかねます」
「藤堂先生」
山崎は意外そうな顔をした。
「君が一介の学生のことを気にかけるとは、驚いたな。彼の指導は松原先生だったはずだが」
山崎の隣で、松原教授も目を瞠ってこちらを見ている。だが、他者からの印象など圭の知ったことではない。
「個人的な関わりはほとんどありません。ただ、学生を能力や本質ではなく外見で判断し利用するような方針には、研究者として賛同しかねると申し上げているだけです」
「まあまあ、そう熱くなるな。もちろん、本人への打診と同意が大前提だ。――しかし、感心したよ。君が学生のためにここまで言うとは」
本音なのか皮肉なのか、興味深そうに圭を見ながらも、山崎は軽く手を振ってその意見を退けた。
議題は、何事もなかったかのように次へと移っていく。
自分の言葉が何の影響も及ぼさないであろうことを悟りながら、圭は自分の行動に再び深い戸惑いを覚えていた。山崎に指摘されるまでもなく、全く自分らしくない行動だという自覚はある。
なぜ、指導しているわけでもないただの一学生のことで、ここまで怒りを覚えるのか。
彼とは、あの春の日にノートを拾って渡した、ただそれだけの関係のはずなのに。
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