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第11話

「心配ない」  秋吉が弾かれたように顔を上げる。 「先ほど、高瀬先生と一緒に山崎学部長のところへ行ってきた」  まじまじと見詰められながら、天気の話をするように淡々と告げる。  俄かに声も出ないのか、秋吉が無意味に口を開閉させるのが見えた。 「夏休み明けの、例のプレゼン大会。今回は、私と君との共同発表という形に変更してもらうことで、了承を得た」 「共同、発表……? 先生と、俺が……?」  秋吉は呆然と圭を見つめている。信じられない、という表情だ。 「ああ。テーマは君の研究を主軸にするが、発表は二人で行う。私がいれば、マスコミ対応もある程度はコントロールできるだろう。――松原先生にも電話で了承をもらっている。あと必要なのは、君の同意だけだ」  大きな黒の瞳が、大きく瞠られている。ひとつ瞬くたびにゆっくりと煌めきを増すのが分かった。 「……ほん、と、ですか……? 先生と、二人、で――?」  秋吉の瞳が、ふいに潤んだ。  圭がその意味を悟るより先に、光る軌跡が頬を伝っていた。  黒の瞳から堰を切ったように涙があとからあとから溢れ出し、ついに身体の力が抜けたようにその場に膝をついた。  嗚咽が洩れ、肩が震えている。  咄嗟に手を伸ばしかけた圭の手が、一度止まる。  迷うように中途半端に浮いた手はやがて、嗚咽に揺れる秋吉の肩に、意を決したように――ひどくぎこちない動きで触れた。  初めて触れた秋吉の肩は、鍛えているのか、圭のそれよりもほんのわずか硬く、分厚かった。  幼児をあやすように柔らかく叩こうとして諦め、やはりひどくぎこちない動きで、ぽん、と一度だけ、しっかりしたその肩に触れ直した。  泣きじゃくる秋吉を見守る圭の眼差しは、八年前の高瀬が圭を見守るそれに比べれば、温かさは欠いていたかもしれない。  しかしその眼差しには、秋吉への言葉にならない深い共感が込められていた。  この感情にまだ名前はつけられない。だが、秋吉を守りたい、支えたいという圭の思いは、紛れもなく本物だった。  しばらくして、ようやく嗚咽が収まってきた秋吉が、照れ臭そうに顔を上げた。  涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔は、それでもどこか吹っ切れていた。 「……ありが、とう、ございます……先生……」  圭が差し出したティッシュで顔を拭いながらの感謝の言葉も、普段の芯を取り戻している。  圭は小さく頷いた。 「礼は、無事にプレゼンが終わってから聞こう。それより、まずは食事だ」  秋吉は、鼻を噛んだティッシュをゴミ箱に放りながら、その言葉に促されてデスクに並ぶ種々雑多な食料の数々に改めて視線を向けた。 「……いや。ホントご厚意はありがたいですし、よりどりみどりで俺はすげー嬉しいんですけど。……でもこれ、二人じゃ食い切れなくないですか?」  どうやらすっかりいつもの調子を取り戻したらしい。  どこかからかうような響きを帯びた声で現実的な問題を提示され、圭の動きが止まる。小さく咳払いをした。 「心配ない。余ったら高瀬先生に引き取ってもらう」 「高瀬先生? 大食いなんですか?」 「地元の少年野球チームの監督をしているそうだ。食べ盛りの子どもがいるご家庭にパイプがある」  はあ、と、感心したような気が抜けたような返事を返しながら、秋吉が手に取ったのはカレーだった。 「カレーが好きなのか?」 「嫌いな人なんていないでしょ。……藤堂先生は、いなり寿司好きなんですか? イメージ通りだなあ」  どういう意味だ、と返そうとして、圭はやめた。  いただきます、とカレーをかきこむその表情が本当に嬉しそうで、どきりと小さく胸が跳ねたからだ。  無機質な実験室に、二人が並んで食事をする、奇妙な時間が流れる。  会話はほとんどない。時折、実験装置の駆動音が響くだけだ。  それでも、先程までの張り詰めた空気は消え、どこか穏やかで、温かいものすら感じられた。

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