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第16話
「加熱は順調か?」
「はい、温度も安定してきました。あと三分くらいで設定値です」
よし、と秋吉の声に頷きを返しながら、圭は制御盤のディスプレイに視線を落とした。ヒーターの出力は問題ない。反応容器内の圧力も許容範囲内。
滞りなく進んでいることを確認してから、ふと窓の外に目をやった。
日は既にとっぷりと暮れ、窓の向こうでは、遠いビル群の華やかな明かりが冬の夜気の中に鮮やかな輪郭を浮かび上がらせていた。
今頃、あのビルの周囲では、師走の忙しなさに紛れてたくさんの老若男女が足早に行き交っているのだろう。だが、クリスマスも年末セールも正月準備も、無味乾燥な実験とレポートにまみれているこの研究室には縁遠い出来事だ。
――そういえば秋吉は、帰省するのだろうか。
秋吉の実家が地方にあることを思い出し、唐突にそんな連想が浮かぶ。
年末年始のスケジュールについて二人の間で話題に出たことはなかった。当然だ。
圭自身が指導しているわけでもない、自主的に研鑽を重ねているに過ぎないただの一学生の予定を、わざわざ確認する理由はない。
それこそ恋人同士でもあるまいし――自分の思考が勝手にそんな言葉に突き当たり、圭は一人で慌てた。
「先生、パラメータ、これでいいですか?」
朗らかな声に思考を断ち切られ、圭の肩が小さく跳ねる。
微かな動揺を抑え、秋吉が操作しているノートパソコンへと歩み寄ってディスプレイを覗き込んだ。隣に座る秋吉から、仄かに石鹸の匂いがした。
「――ああ、それでいい。念のため凝縮管の水流も確認しておけ」
「りょーかいっす」
秋吉の声はいつも楽しそうだ。実験が、学問が、本当に好きなのだろう、と圭にはその素直さが好ましい。
身体を起こそうとすると、立ち上がりかけた秋吉と、偶然肩が軽く触れ合った。
別段気にするほどでもない、以前なら気にも留めなかった些細な接触。なのに、今は心臓が一瞬、どきりと跳ねた。
早まる鼓動を自覚しながらさりげなく一歩離れ、目を保護するためのゴーグルを装着する。しゃれているとは言い難いデザインだが、表情が見えにくくなるのが今はありがたい。
「オッケーです、ちゃんと流れてます」
実験装置の傍らに立つ秋吉も、同じゴーグルを着けていた。透明なゴーグル越しに、真剣に観察しているひたむきな黒がわずかに覗き、それだけでまた圭の鼓動が微かに乱れる。
いい加減に集中しなければ。圭は、小さく息を吸って吐いた。
「よし。スタート」
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