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第24話

 翌日、講義を終えた圭は、重い足取りで研究棟へと向かっていた。  冬の日の入りは早く、もう黄昏どころか夜の帳が下りている。昨日よりもさらに冷え込みが厳しく、マフラーに顔を埋めるようにして歩いていると、前方から見慣れたシルエットが近づいてくるのが見えた。  ――秋吉。  心臓が跳ねる。咄嗟に身を隠す場所を探したが、開けた通路にはどこにも身を隠す場所はない。彼は一人で、俯き加減に歩いていた。圭の存在にはまだ気づいていないようだ。このまま気づかれずにすれ違うことができれば――。  圭は、できるだけ存在感を消すように、足早に通り過ぎようとした。しかし、無情にも、すれ違う寸前で秋吉が顔を上げた。そして、二人の視線が、真正面からぶつかった。  秋吉の大きな瞳が、ほんの一瞬、驚きに見開かれる。  だがすぐにその表情は消え、まるで何も見なかったかのように、すっと視線が外された。  そして、彼は圭の存在などまるで意に介さないといった様子で、そのまま真っ直ぐに前を向いて歩き続ける。一瞥もくれず、何の言葉もなく、ただ、すれ違う。  完全に、無視された。  ――分かっていたはずだ。  最初に彼を避け、拒絶したのは自分のほうだ。これが当然の反応だ。彼がこうして、圭のことなど存在しないかのように振る舞ってくれることこそが、圭が望んでいたはずの状況なのだ。彼のためにも、これが一番いい。  そう、頭では理解しているはずなのに。圭の胸は、抉られたかのように激しく痛んだ。呼吸が苦しい。足が動かない。  肩越しに振り返る。  遠ざかっていく秋吉の背中。少し猫背気味の、見慣れた後ろ姿。  その背中から、どうしても目が離せない。声をかけたい。名前を呼びたい。そんな衝動が、喉まで込み上げてくる。だが、声は出なかった。彼を呼び止める資格など、自分にはない。  その時だった。歩いていく秋吉の肩にかけられた、少し大きめのトートバッグから、何かがぽとりと落ちたのが見えた。冬の乾いたアスファルトに、微かな音を立てて転がる。  秋吉は、全く気づかずに歩き続けている。  落としたぞ、と声をかけるべきだ、と思った。だが、やはり声は出ない。  逡巡している間に、秋吉の姿は角を曲がり、見えなくなってしまった。  圭は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて、吸い寄せられるように、秋吉が落とした「何か」へと歩み寄った。  拾い上げて、息を飲む。  それは、一本のボールペンだった。樹脂製の、安っぽい紫色の軸――忘れられない強烈なデザインのそれをきっかけに、圭の記憶が鮮やかに蘇る。

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