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第12話
尻も叩かれなかったし、喉の奥まで無理矢理突っ込まれることもなかった。
それなのに、一人で自室のベッドに寝転がっているだけで溜息が零れるほどの多幸感は本物で、目を閉じるとすぐに夢の中だった。
この日を境に何かが変わるかも知れないと、意識が途切れる間際に思ったけれど、プライベートでも職場でも、清十郎の態度や言動は変わらなかった。
もっと言えばあの時以来、清十郎とはそういう関係にはなっていない。
「暑ぃし、うるせー」
窓を開けた途端、眉間に皺を刻ませてくる蝉の鳴き声と熱気に間髪入れずにぼやき、半袖のシャツの袖を捲りあげる。
二の腕にくっきりと浮かぶ鬱血した歯型は、清十郎のものじゃない。
「もう八月か……」
二の腕から手を離し、スマートフォンへと流れた視線を伏せると、溜息交じりに呟く。
清十郎と玄関でプレイをしたのが七月の中旬で、早いもので三週間経っていた。
――あの時に挿れて欲しいと懇願出来ていたら、告白の返事をしていたら、少しは違っていたかも知れない。
「なんで俺は、言えなかったんだろう」
真っ青な空が、妙に眩しく感じた。
これはきっと、まともな恋愛を避けていた罰だ。そんなネガティブな考えが浮かんでしまうのは、つい二週間前に康介と鉢合わせてしまい、切れたと思っていた縁が絡まっているからだ。
「新、仕事終わったよね? 今から僕の部屋に来てくれる?」
「……、わかった」
今日はもうないだろうと油断していた。
仕事が終わり、清十郎と雑談を交わしている最中の着信で、ディスプレイを一瞥した瞬間に気分が滅入ったけれど、無視するわけにもいかずに五コール目で通話をタップした。
「悪い。呼び出しかかったから行ってくる。今日も夕飯はあっちで済ませてくるし、何時になるかもわかんねーから、起きてなくていーからな」
「新……」
「じゃ、戸締りだけは頼む」
昔の友人だと清十郎には言ってあるけれど、頻繁過ぎると自覚している。何か言いたそうに唇を開いた清十郎に内心慌てながら、接客用の顔で手を振るとアパートとは逆の方向へと足を向けた。
康介はホテル暮らしで、向かう先は駅前の老舗ホテルだ。こんな暮らしができる金をどこから捻出しているのかは定かではないけれど、物腰の雰囲気から実家が太いのではないかと勝手に想像している。
清十郎に出会うまでの自分だったら、康介からの呼び出しに鼻息を荒くして猛ダッシュしていただろうけれど、今の心境はその真逆だった。
「……、気安く呼びすぎなんだよ」
溜息交じりに本音を漏らしながら、決して軽くはない足取りで人混みを躱して進む。
気分が乗らない理由は、身体を大事にしたくなったとか、単純に行くのが面倒くさいだとか、そんな事じゃない。清十郎に対しての後ろめたさは少なからずあるけれど、付き合っているわけでもないから、それも違う。
無料のデリヘルかよ。こんなのいつまで続くんだ。そんな風に思いながらも足を止めるという選択肢のない立場に苛立ち、指先で目元を押さえると重苦しい息を吐いた。
ドアを開けた瞬間に強いグレアを浴びせられると自分で服を脱ぎ、ベッドの上で脚を大きく開いて誘う。
いざプレイが始まってしまえば理性は簡単に吹っ飛び、声が枯れるまで喘がされる。満たされた本能は抑制剤要らずで、本来は悩まされているであろう体調不良も回避できていた。
――それなら何が不満なのかと言えば、脅迫されているも同じだからだ。
「今日は来ないのかと思った。でも、新が来なかったら、僕は新の職場まで様子を見に行かなきゃいけないし、良かったね」
快楽の涙で滲んだ視界の端で、グラスを傾けている風な康介のシルエットが映る。
乱れたベッドの上に放置され、鼻で呼吸をすると白濁の匂いがした。手の甲で頬を拭うと、粘度の高い液体が手の甲にはりつく。
「今日もずっと啼き通しだったね」
康介の声が近づいてくるとベッドが僅かに軋み、顔に影が落ちてきた。
キスをされるのかと思えばそうではなくて、鎖骨に歯を立てられると声が漏れる。
「あっ、……ん」
乗り気じゃなかったくせに、与えられる快感に弱すぎる自分が本当に嫌だった。
胸元を康介の手指が撫で始め、ヒリヒリと僅かに痛む乳首を掻かれると、奥歯を噛み締める間もなく淫らな声が漏れてしまう。
「清十郎さんとは、最近してないの?」
――してる訳ないだろ。こんな噛み痕だらけの肌を、清十郎に見せたくない。
そう言いたい気持ちを、深く吸った息と共に胸の内にしまい込む。
「してない。……康介としか、プレイもセックスも、してない」
「良かった。もし清十郎さんとしてるって言われたら、お店に言って三人でお話しなきゃいけないかなって思ってた」
含みのある言い方をする時の康介の目はいつも笑っていなくて、その度にゾッとする。
康介の望む答えを返せたせいか、康介は満足そうに目を細めて微笑むと唇を近づけてきた。
思い通りになっている時だけは上機嫌でいてくれるから、変に刺激したくない。こんな風に冷静に康介を見られるようになったのは、清十郎の存在が大きい。
そっと瞳を閉じ、薄く唇を開いて康介の舌を受け入れた。
この舌で口内を蹂躙される度に、甘い痺れを全身で感じていた日々が懐かしく思える。嫌悪感とまではいかないけれど、今の自分にはあの時のような喜びはない。
それでも、甘えてくるように絡みつく舌をぞんざいに扱う事は出来ず、康介の首に腕を回して無心で受け入れ、喉を鳴らした。
「僕と別れた事、後悔してるよね?」
酷く甘い瞳と、優しい声。小さく頷いて肯定を示して見せると康介の唇が弧を描き、再び深く口付けられた。
康介がこんなに執着するタイプだとは思わなかった。気分屋で飽きっぽい、そういう性格だと信じて疑わなかった。
だけど本当の康介は所謂地雷で、自分が清十郎とプレイをしたと話した瞬間から、異常な執着を露わにしてくる様になっていた。
清十郎とのグレア勝負に康介は負けた。
康介が捨て台詞を残して消えたあの日を境に連絡は着ていなかったから、縁が切れたと思い込んでいた。
そんなある日の夜、久しぶりに友達と飲んだ帰りだった。居酒屋の前で解散して一人になった矢先、背後から名前を呼ばれた気がして振り返ると康介がいた。
時間が止まったみたいな感覚がして、自分の鼓動の煩さに我に返る。
「久しぶりだね、新。こんなとこで会えるなんて運命かな? ねぇ。清十郎さんとはあれからどう? プレイはしたの?」
穏やかに笑う康介が世間話でもするかのようで、酒も入っていたのもあって上手く濁すことが出来なかった。
「久しぶり。清十郎とは付き合ってはねーけど、一回だけした。……康介は? もう新しい男いるんだろ?」
「……へぇ、したんだ」
康介の穏やかだった表情が豹変し、瞳の光が沈んでいく。声のトーンは変わっていないはずなのに、見つめられると反射的に後退りをしていた。
「清十郎さんと新がどんなプレイをしたのか興味があるんだけど、お店に言って訊いても良い? 僕がコマンドを使えば、新はみんなの前で何をしたのか言うしかないよね」
「……っ⁉」
「あぁ、僕が全裸になって欲しいってコマンド使っても、新はお店で服を脱いじゃうのかな。ねぇ、新、試してみたくない?」
突然何を言い出した? そんな疑問が脳裏に浮かんだけれど、身体が自分のものじゃないみたいにいう事を聞いてくれない。汗は噴き出してくるし、声を出すどころか呼吸をするのもやっとの有り様だ。
「ホテル行こうか。新の唇と舌の感触、久しぶりに味わいたいな」
一歩前に踏み出してきた康介に耳元で甘く囁かれるとゾクリとして、身体が身震いを起こす。焦点が合わないままで息苦しさから唇を薄く開くと、こめかみを汗が伝った。
「じゃ、行こうか」
この会話とも呼べない一方的なお喋りの後は、康介の機嫌伺いも同然だった。
息が弾むようなキスをしている最中にあの日を思い出してしまい、急に湧いて出た理性で舌が止まりそうになる。
康介に気持ちがない事を悟られたら終わりだ。自分だけならまだしも、清十郎を巻き込みたくはない。
だから、もっと康介が欲しいと強請るようなキスをして、もう一度身体を差し出した。
――淫乱クソビッチで良かった。
快楽に落ちていく中で、自嘲気味な思いが僅かに口角を上げさせた。
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