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第13話

「今日も客減らねぇなぁ…」 「燕谷さんが来てから、露骨に増えたよね」  平日の昼間、ランチタイムも過ぎたというのにテーブル席は全て埋まっていて、清十郎がその場で作るクレープのテイクアウトもひっきりなしだ。  束の間の休息ではないけれど、クレープを待ちながら、すぐ傍にいた須永とぼそぼそと会話を交わす。  清十郎とプレイをしたあの日から、清十郎の営業スマイルや、清十郎に向けられた客からの色目にも似た視線に、どうしてだか耐性がついていた。  血管が切れそうだった日々からの解放は快適で、気持ちに余裕も出てきたから雑談も捗る。 「俺達、清十郎に完全に客取られたよな」 「まぁね。でも、燕谷さんチート級イケメンだから仕方ないよ。……けどさ、その燕谷さんが今月で辞めちゃうって、俺達も……」  眉を八の字にした須永が溜息交じりに呟くと、首を左右に振る。  頭の中が真っ白になって、声も出てこなかった。須永の声が途中で耳に入ってもこず、動いている須永の口元を呆然と見つめることしか出来ない。  ――辞めるなんて、初耳だ。  肩を叩かれるとハッと我に返り、反射的に笑って見せると須永に首を傾げられる。 「新、まさか、噓でしょ? ……っ、ごめん。お客さん呼んでる。また話そ」  驚愕を露わにした須永に怪訝そうな顔で見つめられた矢先、視界の端にあるテーブル席から手が上がった。須永の声のトーンが上がり、客席へと向かっていく。  須永は口を滑らせたというよりは、当然知っていると思っていた風だった。内容もさることながら、『自分以外が知っていた』事が視線を床へと落とさせる。 「新、クレープ出来上がったよ」  清十郎の声が後ろから飛んでくると鼓動が一気に煩く鳴り響き、顔を上げると自然にできた笑顔で振り返る。 「お、了解。ひっきりなしで大変だろ?」 「平気。新と一緒に仕事ができるだけで、俺は嬉しいから」  いつも通りに一声加えると、クレープスタンドごと受け取る。清十郎のストレートな言い回しは相変わらずで、胸の内に温かさを感じるけれど、それはすぐに冷えていった。  感情が顔に出る前に清十郎に背を向け、心待ちにしていたかのように目尻を下げる女性客へとクレープを差し出した。 「お待たせいたしました。ありがとうございます」  張り付けたような笑顔で接客をし続けながら、胸の内はずっと騒がしいままだった。 「俺は、聞いてねぇぞ……」  今朝だって、いつも通りだったじゃねーかよ。そんな風に思いながら、数時間前に両手で弁当箱を差し出してきた清十郎の笑顔が脳裏に浮かんだ。  事務所のテーブルに突っ伏し、綺麗に平らげた後の弁当箱をジト目で見てしまう。  今日も全部が美味かった。コンビニで買った物であったなら、恐らく一口食べてゴミ箱行だった程に気分は落ちていたのにだ。  休憩に入って何度目かもわからない重々しい溜息を吐き、脳裏を占めるモヤモヤを払拭したくて頭を揺らしているとホールへと続くドアがノックされた。  反射的に顔を上げ、テーブルの端に放置していたスマートフォンを素早く引き寄せると、何ら変哲もない自分を装う。 「お疲れー」  とりあえずに開いた天気予報を眺めていた視線を上げて、須永の声に視線を向けた。 「お疲れ。……あれ、須永の休憩って俺の後じゃないっけ?」 「うん、そうだったんだけど。新の事が気になって、十分だけ早めてもらった」 「あー、マジで」  須永、意外と良い奴だな。そんな事を内心思いながら、さり気なく弁当箱を引き寄せると鞄にしまう。須永の視線が弁当箱を追っている気がして、余計なことは言うなと目で露骨に訴えると、須永は背を向けてロッカーを漁り始めた。  揶揄われなくて良かった。そんな風に思いながらほっと一息つき、緑茶の入ったペットボトルを口へと運ぶ。 「時間ないから直球で訊くけど、本当に燕谷さんが辞めるって話聞いてないの?」  向かい側に座った須永が、白いビニール袋からサンドイッチとカップラーメンを取り出しながら真顔で訊いてきて、言葉に詰まる。 「……っ。聞いてねぇよ」 「本当に? 噓でしょ?」 「嘘つく意味ねぇだろ」  少しの間の後に答えると、間髪入れずに須永が目を丸くして訊いてきて、大袈裟な溜息交じりに答えると言葉を失っていた。  やっと信じたか。そんな風に思いながら、喉も乾いていないのにペットボトルを口へと運ぶ。 「で、清十郎はいつ辞めるって?」 「そんな事よりも、新達って付き合ってるんじゃないの?」 「おい」 「ごめーん。でも、そこ大事じゃない?」  質問を質問で返され反射的に突っ込んでしまうと、須永が眉の下がった人懐っこい笑みを向けてくる。 「付き合ってねーよ」 「本当に?」 「嘘ついても仕方ねーだろ」 「でも、新、とぼけるよね?」 「今回はとぼけてねーよ」 「本当?」 「しつけーな、本当だよ」 「じゃあ、新が燕谷さんのこと振ったってこと?」 「は? なんで俺が」  須永からの質問に反射的に眉が寄ってしまい、否定を口にすると須永が困惑気味に首を傾げる。 「だって、新が告白された側じゃないの?」  カップラーメンの蓋をピリピリと開けていた須永の手が止まり、室内が無音になる。合わせていた目線を逸らし、自分の顎へと無意識に指先が触れると、心当たりが脳裏を過ぎる。  ――そういえば前回のプレイの時に、俺の意見を聞きたいとか言ってた気がする。  しくじったと思う気持ちが顔に出ていたようで、須永が「あーあ」と大袈裟に眉を下げながら、カップラーメンに湯を注ぎ始めた。 「全然訊いてこねぇから、……話してない」  須永の顔を一瞥し、ペットボトルを弄る手指に視線を流すと、溜息と共に懺悔したい過ちが口から溢れてくる。  ポットをテーブルに置く音が室内に響き、須永の方から溜息を表現している風な声が「はーぁ」と、聞こえてきた。 「新って、実は付き合ったことないとか?」 「あ゙ぁ⁉」  真顔の須永に訊かれた瞬間、眉間に皺が刻まれ目元口元が同時に引き攣り、須永がハッとした顔をして手を左右に振る。 「じ、冗談だよ。けど、新って意外と受身なんだなぁって、……思ったかも」  須永に窺うような視線を送られると見透かされたような気がして、気まずさから視線が宙を彷徨う。 「……、受身なのは認めるんだ」 「そうじゃねーけど、……心当たりがちょっとあっただけ」  どっと疲れた感覚がして、天井を仰いだ後に席を立った。  そろそろ休憩時間が終わるのもあるけれど、それ以上に居た堪れなかった。鞄を手に取るとロッカーへと向かい、小さく息を吐く。 「あのさ、余計なお世話かも知れないけど、燕谷さんに早く気持ちを伝えた方がいいと思うよ」  視線がロッカーの隅を意味もなく捉え、ロッカーに荷物を押し込むと、指先で弾くようにロッカーを閉める。 「燕谷さんって、いっつも新の事を探してるし、新が休憩でいない間なんて笑顔が半減してるんだよ? ……俺が口挟むことじゃないんだろうけど、二人を見てるとイライラするんだよ。……、なんていうか、こう、恋愛ドラマ観ててキスをしそうでしないシーンで、早くしろよって思うみたいな⁉」  須永の話で温かくなり始めていた胸が徐々に冷えていき、自然に緩んでいた口元で振り返る。 「……途中までいい話だったのに、落ちつける必要ねーだろ」 「別に狙ったわけじゃないんだけどね」  サンドイッチを頬張っていた須永が目尻を下げて笑い、自分も釣られるように笑っていたことに気が付くと、清十郎に会いたくて仕方がなかった。  休憩時間が終わり、事務所に須永を残してホールへと向かった。  須永の言っていた清十郎の一面を思い出すとキッチンへと視線が流れ――、清十郎と目が合う。安堵したかのような笑みを見せた清十郎は唇で「おかえりなさい」と告げてきて、手に持っていた生クリームを絞り始める。  ――可愛い。  見るからに機嫌良さそうな清十郎は頭から音符マークでも出している様で、緩みそうになる唇に力を籠めた。 「篠崎君、おかえりー」  オーナーの声が耳に届き辺りを見回すけれど、姿は見えない。ホールにはバイトの子がいるだけで、戻ってきたことをその子に告げると、オーナー探しを開始した。  けれど、キッチンの中へと視線を巡らせただけで、オーナーを発見できた。オーナーが居たのはキッチン奥の冷蔵庫前で、自分が声を掛けられた場所は死角のはずだ。 「オーナー、ただいまでーす」  なんでわかったんだ? そんな風に思いながら声をかけると、オーナーが吹き出すように笑う。 「え? なんですか?」 「いや、燕谷さんは篠崎君がよっぽど好きなんだなって思ってね。燕谷さんの雰囲気で、篠崎君が戻ったのがわかるんだよ」  顔が一瞬にして火照り、思わず清十郎へと顔を向けると、クレープスタンドを持った清十郎が振り返った。  目が合うと同時に鼓動が高鳴り、優しい瞳に眉が下がってしまう。気の利いた台詞も浮かんでこないままで視線を泳がせると、清十郎が柔和な笑みを浮かべて口を開いた。 「新、クレープお願いして良い?」 「ん……、あぁ、任せろ」  鼓動が煩すぎて、自分の声量が適当であったかもわからない。服の中では薄らと汗をかいて、職場だというのに清十郎の唇に魅入っていた。 「新、三番テーブルね。よろしく」  突如動き出した唇に鼓動が跳ね上がり、我に返ると清十郎からクレープスタンドごと受け取る。受け渡しの際に触れた指先が妙に熱くて、吐息が漏れそうだった。  ここは、職場だ。変な気起こしてんじゃねーぞ。そう胸の内で自分を叱咤し、横目で恐る恐るオーナーを窺うと、幸いなことにオーナーは冷蔵庫を漁っている最中だった。  清十郎の視線が自分の向こう側へと一瞬流れ、そっと耳打ちをされる。 「新、大丈夫ですか?」  低音で囁かれると項がゾクゾクと粟立つけれど、二人きりの時と同じ口調の清十郎は真摯な表情をしていた。 「平気。……三番だよな、行ってくる」  深く息を吸って、顔を上げて笑って見せると、清十郎の反応を待たずにキッチンからホールへと移動した。  須永の話を聞いたことで、自分が過剰に清十郎を意識しているのが鼓動の煩さでよくわかる。須永に『付き合ったことない?』と揶揄われた理由さえ、今なら手に取るようにわかる気がした。  近いうちに気持ちを伝えよう。そう意気込む気持ちは嘘ではないのに、それを揺るがす男のシルエットが脳裏に浮かぶと、――窓の外から視線を感じた気がして、小さく身震いをしていた。

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