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■裏切り
「へえ~、あなたの職業ってフリーの作家なのぉ? 出勤しているようには見えなかったから、親のスネかじりとも思っていたけど、一応仕事してたのねぇ」
「オファーをいただいて連載する事もままあるが、基本は自費出版だな。編集は付けず、校閲だけ雇っている」
パーティから数日後。今宵も当たり前のようにカップルの空間の中にアイの姿があった。向かい合いのソファの一つに独身男性が座り、あろうことかカップルの片割れがくっつくかくっつかないかの近距離で座っている状況。格好も初期と比べるとラフになってきて、大きく空いた肩口から下着のひもがチラついていても気にしなくなってきている。
牙を抜かれた恋人の変化に、肝心の男の方は何をやっているのかというと、彼は率先して空いた食器の後片付けをしていた。元から面と向かって女性と話をするのは苦手だったのだが、家事の片手間での会話なら気楽に出来るらしい。駄々絡み気味なのを口頭でちょっと注意する程度であった。
「一所に腰を据えないのどうして? その方が収入は安定するでしょう。諸々の手続きだって、難易度がガクッと下がるはずよ」
「自由気ままに書きたいんだ」アイはさりげなく、チハルの乱れた衣服を正す。「連載に縛られていると、そういう時に限って源泉のようにこんこんとアイデアが湧き出してくるのだから、やはりそちらの方が性に合っているのだろう。あいにくと、食っていけるだけの恵まれた才もある」
「食っていけてるどころか……明らかに高給取りじゃない! 私達なんか、お父様の厚意にあずかっている身よ! イブキの稼ぎだけじゃあ、ここよりランクの低いマンションにだって住めやしないわ」
「チハルぅ~、お金だけで人様の価値を決めつけるのはやめようね~。アリさんだって一生懸命命削 って生きているんだよ~」
カラになった洗剤ボトルの底を叩きながら、イブキはのんびりといさめる。チハルはちょっとむくれると、直に片付けてくれる事を見越してか、当てつけとばかりにお菓子の袋をその辺に投げ捨てた。それを見たアイは、わずかながら眉をひそめる。
「……そうだな、毎日しっかり働いている君等の方も、相当に立派だと思うぞ。イブキはまた大きな企画会議に参加してプレゼンするのだろう?」
「え?」
キッチン越しに話をしていたはずなのに、気付けば空いた皿を片手に急接近しているアイ。洗ってほしいとの事なのだろうが、なぜだか婚約指輪をはめた左手薬指を指でなぞって来て、イブキはドキッとした。
「うんまあ、そうなんですけど、成功するかどうか、ちょっと不安なんですよね」
「性交?」
イブキの指の中節骨辺りにヘコヘコと指を当てがって、くすっとほくそ笑む。
「イブキ、食器洗いの最中は大事な指輪は外した方が良い。……いや、家事全般でそうだな。傷が付いてはいけない」
「ああ、そう言われれば確かに。 教えてくださってありがとうございます」
「ボクが外してやる」
影になるようなところで、アイの綺麗な爪が眼光のように煌いた。舌なめずりして味わうがごとく、手首から手の甲へ冷たい手が伸びて、銀の輪に指圧がかかる。イブキは特に何も思わず、言われるがままに受け入れ態勢でいた――
「――ねーえ、掃除夫 なんてどうでもいいから、こっち来てもうちょっとあなたの話を聞かせてよ~。いっつもこっちが喋るばかりで、全然教えてくれないんだからさぁ~」
隣りに人がいなくなったのが寂しくなったのか、すっかり出来上がったチハルは足音を鳴らしながらキッチンに入り込み、強引にアイの腕を引っ張っていった。
「あー……悪いな、いろいろと守秘義務があるから、あまりベラベラと吹聴する事は許されていないんだ」
アイは少し困った様子だったが、すぐに人好きのいい顔をして、お姫様の隣りに座らされた。
「そんな事言わず~。ねえ、主にどんなやつ書いてるの? ドラマのシナリオライター? それとも何かの原作者?」
「小説家よりもそっちの方が先に思い浮かぶんだな……。ボクはただのしがないライトノベル作家だ。一般よりは字数が多く、かっちりとしているかも知れないが、若い女性をターゲットにしたものを書いている」
「小説家ってよっぽど有名じゃないと、大した額稼げないって聞くけど……あなたは何か大バズりした事あるの? ドラマ化とか、映画化とか!」
「売れてはいるが、一般層を見越してはいないから、多角的な展開は望めないだろう。 ボクは現状で満足しているが」
チハルの強引さは、時として聞きづらい情報を引き出すのに便利だ。イブキは受け取った皿をスポンジで綺麗にしながら、ふーんそうなんだーと聞き耳を立てていた。
だが、当の本人はどこか不満げだ。
「え~~、そんなんで満足してないで、男ならドーンと頂点を目指せばいいのに。見た目と実績がちぐはぐで、すっごく勿体な〜い。ねえ、趣味の範囲に留める事って出来ないの? 本業じゃなくて、せめてどこかの大手に務めた上での副業とか。それなら、自慢の旦那様になれそうなのよねぇ~」
「……チハルはボクに何を望んでいるんだ? 君とボクは、あくまで隣り同士というだけなんだぞ」
アイはきつめに目を細める。
「ん〜? まあ、そうなんだけど……」
チハルは含みのありそうなニヤニヤ顔を見せた。
「――そんな事より、もっと話を聞かせて! 今どんなやつ書いてるの? 短編? 長編? 一般層は獲得出来そう?」
「は?」
「『は?』じゃない。そんな解答は求めてないの。ねえ、先月の給料はいくらぐらい入ったの? 年収は? 今はどれだけ知名度があるの? SNSのフォロワーは何百? 何千万? 何かの受賞パーティで誰かしら著名な作家とお近付きになってないの? 勿体ぶらないでスパッと答えてちょうだいよ! ここだけの秘密にしてあげるから。絶対喋んないって約束す〜る〜か〜らぁ〜〜〜!!」
「い、イブキっ、助けてくれっ! チハルの暴言が留まるところを知らない!」
調子付いたチハルが悪ふざけっぽくアイの腕にしがみ付くと、アイはついに音を上げ始めた。いつも余裕のある振る舞いをする彼が助けを求めるなんて、なかなか珍しい光景だ。
イブキは布巾で手を拭きながら、「仕方ないなあ〜」とチハルを剥がしにかかった。
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