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■サプライズ当日(※女装)

   サプライズ当日の午前9時40分。イブキは食卓の分かりやすい場所に「買い物に行ってくる。夕方頃には帰るよ」と書置きを残すと、まだ寝室で寝ているチハルを起こさないようにそうっと玄関を出た。小説に読みふけったせいで、一回目に設定した目覚ましのアラーム音を聞き逃しすというポカをやらかしてしまったが、今度は大遅刻をかます失態は起こさず、おおよそ予定通り。イブキの目指す場所は、すぐ隣りの部屋だからだ。  インターホンを鳴らして、事前に受け取っていた合鍵を差し込む。「お邪魔しまーす」と心の声で断って入って行くと、洗面所から襟ぐりがよれよれになったシャツとルームパンツ姿のアイとばったり鉢合わせた。ふわふわの金髪が、今は変なところが盛り上がっていたり、あちこち跳ねていたりで、見るからに―― 「……寝坊した」 「ぷはっ!」  バツが悪そうに頭を掻くアイに、イブキは吹き出した。  本日の予定は、午前中にスーパーへ食材の買い出しを行い、帰宅後に実戦練習、夕方に料理開始という手はずになっている。アイが朝食としてエナジードリンク一本――冷蔵庫に二ケース入っていて、料理男子でもこんなふうに手抜きするんだなと意外に思った――を一気飲みしている間、手書きのレシピに目を通すように言われた。挑戦するメニューの欄には、チキンと野菜のオーブン焼きをメインに、ガーリックトーストとコーンの冷製スープといった、三品が記されている。 「(朝食とのギャップがどえらい……)一見した感じ、いい値段のするレストランみたいなラインナップですね。これ、本当に初心者でも作れるんでしょうか?」 「食材の欄を見ろ。バゲットは食パン、チキンはサラダチキン……といったふうに、実情はかなり難易度を優しく見積もっているぞ。ハサミで切って、オーブンにぶち込んで、スープは市販で売ってるパックのをカクテルグラスに注ぐ。こう聞くと、容易く思えてこないか?」 「うわ、本当だ! 食材の殆どが庶民的! アイさんてずる賢いんですね」 「お前のレベルに合わせたレシピを考えてやったというのに、その言い草はないだろう」 「はは! はい、感謝してます。いたずらっぽくて面白いですよ」  料理経験ゼロのイブキが「これなら作れるかもしれない!」とワクワクするような、且つ手の込んでいそうなレシピを考案するだなんて、きっと一筋縄ではいかないはず。イブキは欠伸をするアイに対し、口先だけでなく、心から感謝の意を示した。 「――さて、そろそろ支度して買い出しに行くとするか。イブキ、お前も着替えろよ」 「?」  着替え? エプロンをつけろと言っているのか? 「何をキョトンとしている。近所のスーパーだぞ? 顔見知りにうろついているのを知られてチクられたりでもしたら、計画が台無しなのだから、をする必要があるだろう……?」  途端にアイはニヤついた、邪な考えを露わにした笑顔を張り付けて、イブキに迫って来た。  ……前言撤回。やっぱりこの人ずる賢いですわ。 (何この格好! 何この状況!?)  デパート一階フロアの通路にて、イブキは落ち着かない様子でストレートに伸びた髪をいじくりながら、店と店の間っこにちょこんと立っていた。うつむきがちでなかなか面を上げようとしない。上げてしまうと、目の前を通過していく人々に笑われてやしないか、気になってしまうから。  イブキはアイの策略にハマって、女装をさせられていた。地毛の色に近い、背まで髪がかかったかつらをかぶり、肌色が見え隠れしたハイネックのシアーレースブラウスと、丈の長いキャミソールワンピースに身を包んでいる。  元々背丈は平均的で体つきも華奢な方なので、周囲に溶け込みやすく、自身が気にするほど浮いてはいない。が、身元を隠す理由は有れど、流石にこれはやり過ぎである。女装の話が出ると、イブキは当然「何考えてるんですか!?」、「やりたくないです!」などと反発しまくった。が、イブキのめかした姿が見たくて仕方がないアイの方が、気持ちで勝っていた。 「イブキ、お待たせ。飲み物はお茶で良かった?」  イブキの元に、薄手の肩掛けと白のYシャツ、パンツスタイルがクールに引き締まった女性が近づいてきた。女性になり切ったアイである。彼は「二人で一緒に変身すれば恥ずかしくないよな?」みたいな軽いノリで、無理やりイブキをマニアックな世界へと誘ったのだ。  しかしながら、イブキとアイとでは許容範囲が明らかに異なっているもよう。ばっちり化粧と、声色も高めに調整。首元はあえて明け透けに、ネックレスやウェーブの髪を胸の前に垂らす事で目のやり場を作り出し、胸にはタオルまで詰め込んで、かなり手慣れた風である。ヒールでスマートに歩くにしたって、付け焼刃でこなせるほど簡単ではないはず。 (この人、絶対普段からやってるな……。痛み分けどころか、ウッキウキじゃないか! ううう、恥ずかしい~~っ!)  自販機から購入したばかりのペットボトルを受け取ると、イブキはすぐさま頬に当てて熱を冷ました。 「良く似合ってるわよ、イ・ブ・キ・ちゃん♡ ガーリーな衣装が合うと睨んでいた私の目に狂いはなかったようね。これが婿入り前の男の姿だと思うと、眼福極まれりだわあ」 (うるっさいです! 腕に噛みつきますよ!?)  極力声を小さくして、頬をつんと突っついてきた相手の腕に、これでもかというくらいにしがみつく。声は怒っているのに、この密着度。頼りにしているというわけではなくて、ひとえに自分の無様な格好を見られたくないといった心境だ。  こんなの、アイが喜ばないはずがないのに。アイは密かにしたり顔をすると、イブキの小さなリボンのついた後頭部を撫で、先導を開始した。 (か、買い物する間は、もうこの際我慢しますよ。我慢しますけど、トイレに行きたくなったら、そこで強制終了ですからね! 嫌ですよ、女装したまま男子トイレに入るだなんて!) 「服はどうする気? 私のトートに着替えは入っていないわよ」 (あなたの財布から出してもらいます! 安物のシャツとかでいいんで、辱めた責任は取ってもらいますよ!) 「え~、私が出すなら制服とか、メイドとかウェディングがいいわ。チハルへのサプライズにも最高じゃない。くくっ!」 (ちょっと!?) 「冗談。共用トイレの場所はしっかりと記憶しているわ。安心なさい」 (うううう~~~~っ!)  小物ショップや外国産の食品、アイスを売っている店の前を次々と通り過ぎ、二人は真っ直ぐデパート内の大型スーパーへ。ここの客層は家族連れや主婦が多く、ベタベタとくっつくようなカップルは目立ってしまうので、イブキは仕方なくアイの後ろについて回る事にした。  アイの先導は明確だった。果物・野菜から魚、肉売り場と、スーパーの構造に誘導されるように歩き回るのではなく、確実に買いたいものを目的地として突き進む。ついつい買う予定のなかったものに目移りしてしまうイブキとは大違いだ。トレーにぎゅうぎゅうに詰め込まれたイカや割引セールの弁当など、目的そっちのけで視線がさまよってしまう。 (おお、あのプリン美味しそうだな……。「とろける」とか「こだわりの」とかって謳い文句に弱いんだよなあ――って、こ、コラ! 何考えてるんだよ!)  集中しろ!と律するイブキ。すると彼の心の声が届いたのか、アイは欲望の塊を二つ、ひょいっと買い物かごに入れた。 「いいんじゃない? デザートとして一品加えても」 「え? いや、それはちょっと場違いですって! このプリンに、レストランで出されるような手作り感はきっとないですし……!」 「私の考案した料理より、よっぽどに溢れてる。飾り気なしにそのまま出してやりなさい」 「『イケメン』と評するべきなのか、『お姉様』と呼び慕うべきなのか、意味分かんなすぎて変になりそうですよぅ……」

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