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2(※女装)

   食材の買い物を済ませ、コインロッカーに一旦荷物を預けると、二人は昼食を取る為にフードコート近くのレストランへ入って行った。料理を注文する頃にはイブキもそこそこ大らかになってきていて、地声で自ら注文するようになっていた。  ドリンクバーからイブキが戻って来ると、二人は女装した感想について語り合う。 「正直、ちょっと慣れてきている自分がいますよ。ドリンクとか、口にするものにいちいち口紅の味がついてくるのはイマイチですけど、スカートの丈は安心出来る長さですし、髪の毛も壁みたいな役割をしてくれて、その点については楽かなって」 「ここらは様々な人種や趣味趣向を持った人間が集まるるつぼだもの。己が気にするほど他人は気にしていないし、仮に異変に気付いたとしても、風変わりな癖持ちの人がいた程度にしかならないわよ。ま、悪い虫が付け入りやすい点だけには注意しなさい」  アイは言いながら、女装歴数時間ビギナーの所感をテイクアウト用のチラシにメモしていく。ノートや手帳などを用意せずにその場にある紙で済ませるのは、思ったら即行動が適うためらしい。手のひらや腕に書き込む事もあるそうだ。 「アイさんが今まで執筆してきた作品も、こんなふうに実体験を参考にしているんですか? 女性同士の恋愛模様を描くために自らなり切ってみたりとか、家出のシーンのために深夜の町中をフラフラしてみたりだとか」 「どちらかといえば逆ね。興味があって調べるよりは、過去の経験が記憶の宝物庫に収められていて、それを要所要所で引っ張ってきている事の方が多いわ。それだけでは不十分だから、情報網を頼ったり、人づてに聞いたりして、リアルと創造力の幅を広げているの」 「全部が全部体験した事ではないと……―—って、そりゃそうか。主人公が飼ってる普通の金魚に『金色仁王(こんじきにおう)ドリルヘブン』って名付けるなんて、流石に盛ってますもんね」 「小学生時代のあだ名よ」アイはアイスコーヒーを一口。「理性が機能している部分とは裏腹に、欲望や癖を全開にすると筆が乗るわよ。時世とタブーに中指おっ立ててそれが売れると、脱法公開×××ーみたいで爽快なの」 「へえ、作家さんて、みんな変態なんですか?」 「ええ、作家どころかクリエイターは全員ド変態よ」 「一緒にしないでくださいよ。侵害だなあ」――と、この時たまたま二人の二つ後ろの空席で片づけを行っていたアルバイト女性(触手とくっ殺と奇乳で同人活動中)はそう思ったとか。 「お待たせ致しました」新人アルバイト(ケモナーレベル5のSNS絵師)が料理を運んでくると、イブキ達は今後に向けて栄養補給した。時刻は11時ちょっと過ぎ。空席割合が多かったレストランにもぽつぽつと客が入ってくるように。  イブキが食後の最後の一杯を飲んでいるタイミングで、アイは一足先に離席する事になった。コインロッカーに預けた荷物を取りに行くというのだ。会計は済ませておくので、店の前に待っていてほしいと告げると、二人は一旦別れる事に。 (割り勘とか何も言ってなかったな……太っ腹すぎる。僕もああいう気前のいいところ、参考にしていこう)  自ら進んで全額負担する事はあったが、毎回というわけではなく、チハル側に食べたいものがある時は彼女自身がポンと出していた。これをすべてさりげなく遂行出来たら、自分の事を見直してくれるかな……。  キラキラな妄想をしながらイブキは席を立ち、何の気無しにトイレへ向かう――が、ここで彼はとんでもない選択ミスをしてしまう。 (……あれ? はっ!?)  小便器の前に立って服の長ーい布地に触れた瞬間、イブキはサーッと血の気が引いた。  男子トイレ in 女装男子!!! (うわあああああーーーっ! やらかしたあああああーーーーっ! 僕のバッカヤロオオオオーーーーーーっ!!) 「あそこに落とし穴があるから気を付けよう!」と言いつつすっぽりホールインするようなもの。トイレに行きたくなったら強制終了だと断言していたのに、いつもの癖で見事にしくじってしまった。  かつらだけ外せばセーフかと思ったが、服装やメイクがそれを許さない。イブキはパニックになりながら、この状況から脱出しようと踏み出した。しかし、ドアの前に立った直後に人の近付いて来る足音が聞こえて、イブキは心臓を飛び上がらせる。まずい! 隠れなくては!!  バタバタと個室トイレに逃げ込んだ数秒後に、一人(男の娘好きの画伯)、また一人(バイのヌードカメラマン)と入って来て、イブキは息をひそめた。個室のドアを開けるような音がしないので、恐らくすぐに去っていくはず。二人が出て行く時まで、イブキは「早くどこかへ行ってくれ!」と祈るばかりだった。 (ハア"アアアーーー、やっと出て行ってくれた。女装も案外捨てたもんじゃないって思ってたけど、臆病者はやるもんじゃないな。心臓バックバクで死ぬかと思ったよ……)  とりあえず用は済ませて、個室内でささっとスカートや髪の乱れを手直しする。本人は気付いていないが、若干手遅れである。  人の気配の有無を十分に確認したイブキは、個室の鍵を開けて、そっと抜け出そうと試みる。しかしもたもたしすぎたせいか、またもや外から足音が聞こえてきて、再び避難する羽目になってしまった。  おまけに、少し経つとシュボッと妙な物音と、独特の焦げた匂いが漂ってくるようになってきて―― (もしかして、タバコを吸っているのか!? この店、そういうの禁止してなかったっけ!?)  ドア向こうの客(捕まってないだけの性癖モンスターおじさん)のまさかの行動に愕然として、棒立ちになる。ルール違反に怒るより先に、長居が確定した事実にイブキは絶望した。 (アイさん……僕が店の前にいない事に気付いて、助けに来てくれないかなあ……。――って、アイさんも女装していたんだった。こんな格好してても立派な大人なんだし、自力で何とかしなくちゃ……) 「自分が気にするほど、他人は気にしていない」と言われた通り、いっその事さっさと出ていってしまおうか……と、イブキは考え始める。せいぜい驚かれるか、ちょっと笑われる程度で軽く済むはずなのだ。だが床のタイルが響かせてくる物音の位置的に、客は用を足すより喫煙所として利用していて、ドアのすぐ真横で一服しているらしかった。手洗い場付近にいれば勇気も出せたのに、よりによってである。それでも突撃するか、タバコを吸い終わるのを待つか、ぐるぐるぐるぐるとひたすら考え続けた。  その時だ。通路を駆けてくる音と、勢いよく出入口が開かれる音がトイレ内に響いた。  バンッ! 「う"っ!?」 (うわっ、おじさんの痛そうな声……)  新たに入って来た者は、ドアの横に人が立っているなんて思いもしなかったのだろう。喫煙者の体には容赦なくドアがぶつかったようで、鈍いうめき声を発した。  しかし、タバコを持った喫煙者と煙が取り巻く周囲の状況から、自業自得として判断したのか、相手は不機嫌そうに忠告。 「ここは禁煙ですよ。右に曲がってまっすぐ行った道なりに喫煙スペースがありますので、そちらへ移動されてはいかがですか?」 (! アイさんの声だ!)  冷静且つ怒りを含んだ声が聞こえてくる余所で、イブキは救世主の登場に喜んだ。そして「チッ」と舌打ちする喫煙者が出て行ったと同時に、イブキは個室の内側からコンコンコンと叩いてアピール。鍵を開けると、会いたくて仕方がなかった顔馴染みの胸に飛び込んだ。 「アイさああんっ! もう本当にどうしようどうしようって、ずっと身動きが取れなくて……っ!」 「イブキ……」アイもひどく安心した様子で、しがみつくイブキを包み込んだ。「ボクも心配していた。とりあえず、ここは空気が悪い。すぐに外へ出よう」  アイがノブを捻って、二人は脱出した。通路を歩く道中でトイレへと向かう客とすれ違ったが、アイが庇うように間を遮ってくれて、イブキはもう何も気にならなくなった。 「レジにいた店員に、連れが店を出たかどうか聞いたんだ。何事もなくてよかった」  レストランからそのまま出入り口に直進した二人は、帰り道を歩きながら会話する。ただ、アイがひと騒動からの解放感に浸る一方で、イブキはというと、どういうわけかわずかな時間で安堵からしかめっ面へと変貌。 「ズルいですよ! 何で自分の着替えだけちゃっかり用意しているんですかあっ!」  イブキはアイの現在の格好について吠えた。女装から化粧っ気を落として、元の男姿へとチェンジしていたのである。いつの間にか女性らしく流していた長髪はひとまとめに、肩掛けは上着として着用し、靴はヒールからシューズになっているではないか。 「一旦別れたタイミングで、何となーく思い付きでトートに入れていたシューズに履き替えただけだが? やはりヒールは履き慣れなくてなあ」アイはとぼけたふうに返す。 「ウソですね! 今思えば、女装の時点でいつでも男装にチェンジ出来るようなチョイスでした。ほんっとうにあなたはズルい人ですよ!」 「ああ。指摘の通り、男女のカップル気分にも浸りたかったんだ。――だが、結果的に助かっただろう? ボクは別に女装のままでもトイレに入れるが、それでは『何を言ってるんだこいつ』としかならず、新たな火種を生んでいたかもしれない」 「それは……そうですけど……」  トイレでの一件を思い出すと、途端にイブキの勢いがしぼんだ。アイが普段着で突入してくれたおかげで、最小限のトラブルで済んだのは事実。  それに……危機的状況下で何も出来なくて、困り果てていた時にいつもの声、いつもの姿を見た瞬間、それまでの絶望感がすべて消え去ったのを覚えている。迷子になった末にようやく愛する家族に会えた、というのに相当する快感だった。  チラリと右隣りに歩いている相手に目配せすると、自分より大きな背格好に、軽々と食材入りの袋を持つたくましさに惹かれて、何だか妙に落ち着かない。同性に、恋人でない人に、こんなにも感情を動かされてしまうなんて……。イブキは自分の中に憧れを越えたものが生まれつつある事に動揺して、垂れ下がっていた髪をマフラーのように巻き付け始めた。  すると、アイは互いの間にあったわずかな距離感を埋めて、イブキに接近してきた。スカートの布地越しに、足を指の背面でちょんちょんと触れてくる。  ちょっかいかけないでくださいよ。イブキは無言で悪さする手を払いのける。と、次の瞬間、その手を握り込んで、一本一本指を絡めてきた。 「!」  ただ繋ぐよりも密接な、恋人繋ぎになっていると気付くと、イブキは慌てて外そうとした。が、がっちりホールドされていて、指の一本も抜け出せない。 「マンションが見えるまででいい。その間だけ……こうさせてくれないか」 「……」  恐らく十分にも満たない時間だ。だが、この時のイブキには冷静な計算などをする頭はなく、すがりつくような言葉になびいていた。 「……結婚前の、最後の羽目外しって事にしてあげます」  イブキは抵抗をやめた。すると右手に掛かっていた力が緩んでいって、熱と熱が交わり、溶け合った。繋がれたそこが、自身に注がれている日差しよりも熱く感じる。緊張している事や恥ずかしがっている事……まんざら嫌な気分でもない事のすべてが、相手に読み解かれてしまいそうだ。  心ごと持っていかれてはいけない。イブキは感情を押さえつけるために左手薬指にはめられた、冷たい理性の輪をなぞり続けた。

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