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アイの部屋に帰ってくると、二人はエプロンを付けて実践練習に移った。デパートで新しく購入したキッチンバサミやその他調理器具を準備して、レシピを見たり、考案者直々に指導を受ける。料理教室に通う暇も練習していた素振りも見せずに、ずぶの素人がいきなり料理上手になったというのはあまりにも突飛な話なので、レシピは本番でも堂々と見るつもりである。
食材を半分に切って実践用と本番用に分け、後者はタッパーやラップに包む。こうする事で、本番も実践と同じような分量で作れるという寸法だ。プチトマトのヘタを取り、アスパラガスやパプリカなどの野菜を切って、サラダチキンを食べやすい大きさにカットして……と、滞る事なく調理は進んでいった。
「イブキ、お前なかなか筋がいいんじゃないか?」アイはイブキの横で様子を窺いながら言った。「仕事が丁寧だ。今までやってこなかったというだけで、これからうまくなる見込みはあるぞ」
「単純作業が多いおかげですよ。黙々と出来る作業は得意みたいで、結構楽しいです」
レシピに従って一つ一つタスクをこなして組み上げていく「料理」というものを、イブキは好きになり始めていた。表立って意見を述べなくていい。電話対応や接待に気を遣わなくていい。うまくできたら美味しいものが待っていると、ご褒美へのモチベーションも湧いてくる。
今は包丁すら危なっかしくて握れないけれど、いずれ大きなキッチンでチハルと一緒に料理出来たら、記念日に好物のフルコースを作って食べたら、きっともっと仲が深まるだろうな。イブキは料理が持つ可能性に耽りながら手を動かした。
一方で、準備も後片付けも自己完結させる気でいるアイは、すっかり暇を持て余していた。素人を置いて長く離れるわけにはいかない。部屋の掃除をして埃や塵を撒き散らすのもアウト。
やがてはキッチンに椅子を運んで、メモを片手に小説のアイデアを練り始めようとするのだが、集中しきれないようで、椅子の上で立膝をついたり、椅子の背に腕を回して顎を乗せたり、頬杖をついてこちらをじっと眺めるように。その様子に申し訳なくなったイブキは、いろいろと話しかける事にした。
「アイさん、随分暇そうですね。僕ももう子供じゃないんで、テレビ見たり、スマホをいじったりとかしててもいいですよ」
「……いや、いい。今あれやこれや頭の中で膨らませている以上の慰みはない」
「(うわ、この話題はダメだ。話変えよう)ところで、アイさんは誰に料理を教わったんですか? 一人暮らしで、且つエナジードリンクを常備している人は、味より時短や安さを優先しそうなイメージです。自分がそうでした」
「祖母に教わったのが最初だったな。自身が入院したのをきっかけに、ボクの将来を案じたのだろう。独り立ちした時の事をいろいろと考えてくれていた人だった」
「……そういえば、家庭事情は聞いてませんでしたね。聞いても大丈夫ですか?」
「両親と早くに死別して、途中から祖父母が育ててくれたが、祖父は心臓発作で、祖母も高校卒業を目前に老衰で亡くなった。今は天涯孤独の身だ。――お前は?」
「(両親死別のところは、大空も同じ境遇だったな)アイさんの後でちょっと言いづらいんですが、両親共に健在です」
「仲はいいのか?」
「はい」
「それなら、堂々と誇ればいいじゃないか。ボクに気遣う必要なんてない」
アイはすっくと立ち上がると、ケトルに水を入れて、休憩の準備を始めた。
料理が一品、また一品と完成し、すべてのメニューが出揃うと、イブキはテーブルに着いたアイの元に料理を運んだ。試食で合格点を貰うためだ。
アイはすぐ皿に手を付けずに、全体のビジュアルにざっと目を通してから、オーブン焼きにナイフを入れた。フォークに刺したチキンから、上に被せたチーズがとろーりと伸びる。どうしようもないほどにまずくない限りは、甘めの採点をするというのが本人談であるが、果たして――
「上出来だ。お世辞抜きにうまい」
「! 本当ですか!?」
「塩味が少し強いのと、盛り付けがやや拙いくらいだな。それからこれはボクの失点だが、チーズの上には臭み消しのハーブを飾り付けた方がいいだろう。チキンの誤魔化しに使えるし、何より映える。スパイスラックにローズマリーの瓶があるから、持って行くといい」
アイは取り皿を持ってくるように言って、イブキが味見する分を切り分けた。本番が控えているので、量は少なめに。初めて作った料理にドキドキしながら口に運ぶと「ん~っ!」と思わず口元が緩んでしまった。
「くふ……ふふふ」
「? アイさん、突然どうしました?」
「してやったり、だな。夕食の手間が省けたばかりか、お前の初めて をご相伴にあずかれた」
「なるほど、端からそれが目的だったんですね。アイさんへの愛情はちょびっとしか入ってませんよ」
「ちょびっとは入っているんだな」
「まあ、日頃の感謝とか、ここまでお膳立てされたのだから気合を入れないとーとか、そっち方面ですけどね」
「そうか。今回のレシピは応用の事を視野に入れていないから、生肉に変えたりだとか、卵を落としたりだとか、奢って妙なアレンジは加えるなよ。迷ったら聞け。いいな?」
「はい先生!」
その後、ガーリックトーストとコーンの冷製スープも試食したのだが、こちらも合格を貰えた。英文字柄のクッキングシートに乗せたガーリックトーストは文句なし。コーンの冷製スープは、市販のパックに、オーブン焼きにも使用したコーンの残りをミキサーにかけたものが入っているのだが、せっかくの粒感が殆ど残っていないのが惜しい……とのこと。レシピに目安となる時間を新たに書き加えたので、改善は出来るだろう。
「いかに努力しようとも、やりっぱなしは嫌われる」とのことで、食事の後は後片付けも行った。掃除関連はほぼイブキに任されているようなものなので、耐熱皿の焦げ付きにも根を上げることなく完了したのだった。
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