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■戦

 二週間後、イブキとチハルは弁護士を立てて婚約破棄について話し合う事になった。イブキは親族だけ呼んで示談に持ち込むつもりだったのだが、チハルがごねたのだ。別れたくないといった未練があるというよりは、原因を作ったのは自分ではない、一銭も払いたくないという主張の元である。チハル側に原因があると認めてしまえば、条件付きで入社したというのを破った事になり、立場も危うくなるので、イブキ側に非がある方が彼女にとって都合がいいのだ。  そんな彼女の言い分に、イブキは滅茶苦茶だと呆れた。が、以前から彼女にブランドバッグだのアクセサリーだのの代金をせがまれた結果、貯金が危うくなっていたので、イブキも戦う姿勢を取る事になった。 (チハル側の弁護士は会社側の息がかかった人物。対してこちらは事務所が一番近かったというだけの理由で雇う事になった人。比較するわけじゃないけど、本気でかからないと負けそうな匂いがする。気を引き締めていかないと……)  社長の口利きで会議室を使っていいとの許可が下りたので、スーツ姿のイブキは身なりを整え、通常業務を切り上げたその足で会議室へと向かった。  数分後、広々とした会議室には、同じくスーツ姿のチハル&ベテラン風を吹かせる、この場で最年長の40代黒ぶち眼鏡の男性ペアと、イブキ&イブキとそう変わらぬ年端のツーブロック男性のペアが出揃った。  弁護士を中心にやり取りを交わし、まずイブキ側から、なぜ破棄を持ち掛けたのかについて共有される。最近の素行の悪さと、侮辱の言葉の数々で気持ちが冷え切ってしまった事。お金を使いたい放題でイブキにもせびっており、使い道が自己投資やホストなど、一方的な欲求を満たすためである事が挙げられた。 「不城(ふじょう)氏が管理されているSNSの投稿からも、湯水のごとく出費している旨が見て取れます」猫嶋(ねこじま)はチハルのつぶやきをプリントアウトした資料を並べた。「現在は投稿を削除されているようですが、証拠は事前に抑えております。これらの行動について、中森氏は容認していないそうです」 「はい。何に使うのか聞いても、”私が綺麗になったら、あんたの株も上がって誇らしいでしょう? あんたは無趣味でロクな使い道ないんだし、黙ってよこしなさいよ”の一点張りでした」 「また、不城氏の運営するものとして、極めて信ぴょう性の高い裏アカウントが見つかっております。そこには資料5に記載されている通り、日頃の鬱憤や中森氏を下げる発言の数々が記されておりました。当然中森氏には秘密にされていたようですが、こちらの投稿写真に映っているネメシスのバッグが、不城氏ご本人のものであると断定出来ます」 「猫嶋さんのアイデアで、チハルへのプレゼントのバッグに、それっぽいイニシャルのピンバッチを付けたんです。安物のバッグだから、絶対僕の事をバカにしてくるだろうって。チハルは写真を撮る時、いつも正面を綺麗に撮ろうとしていたから、よく見えるところに印をつけようって」 「既製品にはありえない装飾です。こちらのバッグや購入者にも、誹謗中傷と呼べる書き込みが並べ立てられました。――以上の事から、不城氏が精神的苦痛を与えていた事は明白。中森氏が関係を終わらせたいと考えるのは妥当であると主張します」  イブキ側のターンが終了した。猫嶋という男は若いながらもアドバイスが的確で、とても頼りになる。しかし、味方も手札も十分であるにも関わらず、イブキはどうにも勝っている気がしなかった。  反抗的な態度を見せた瞬間、烈火のごとく言い負かしてくるはずのチハルが、今は奇妙なほどに静かすぎるせいだろうか。失言の玉手箱であるため、恐らく相手の弁護士に余計な事はしゃべるなと忠告されているのだと思われるが……。  イブキが熱々の湯吞茶碗に手を伸ばすと、チハル側のターンが始まった。 「こちら側は中森氏――あなたが浮気をしたから、不城氏の生活が乱れてしまったのだと主張します」  ……虎丸(とらまる)のとんでもない発言に、イブキは口に含んだ茶を吐きかけた。ゲホゲホとせき込むイブキを、猫嶋は「大丈夫ですか」と声を掛けて背中を叩く。  イブキを余所に、虎丸の弁は続いた。チハルが荒れる前に、イブキが不審な外出をしていた方が先であるという。イブキの不倫相手は当然アイだ。虎丸がノートPC上で再生したマンションの防犯カメラ映像にも、イブキが真っ直ぐ隣の部屋に向かっている様子がバッチリ映っていて、内部でどんなやり取りが交わされているのかはともかく、怪しい動きをしているのは確実であるとした。 「お二人の住むマンションの防犯カメラには、三週間の記録を保管した後に上書きされていくという設定がなされています。不城氏の外出が頻発する一日前に、中森氏は外出した後、単独で隣の部屋に向かわれており、この行動については不城氏も知らなかった、とおっしゃられています」 (チハルへのサプライズを計画していたんだから、そりゃあそうでしょうよ! ――って言っても、結局不発で終わっちゃってるしなぁ~) 「更に不倫を匂わせる行動として、翌日こちらの部屋から出て来た中森氏は、女性もののスカートやかつらを身に着けております」 (ギャアアアアアアッ!! イヤアアアアアアアッ!!! 言い逃れ出来ないーーーーーっ!!!!!!)  イブキ以外の者達が映像に集中している中、当人の頭の中は大騒ぎ。用心のため、アイとはしばらく会わないようにしていたのだが、流石に三週間分のデータは予想外である。  一線を越えていないし、正直に「アイとはそういう関係ではない」と言いたいところだが、イブキの胸中に友情を越えた感情がくすぶっているのも確か。公の場で自分の恥ずかしい姿を晒されているのもあり、イブキはすっかり窮地に追いやられてしまった。  ――その時、会議室のドアがひとりでに開かれた。

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