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■不信感
――イブキがアイの事をきな臭いと感じ始めたのは、婚約破棄の話し合いの場でのこと。イブキが料理を習っている物的証拠を並べ立てた時だ。
『仕事部屋にある本棚の裏には料理本が、冷蔵庫にはボクと飲むために作り置きされたつまみのタッパーが隠してある』
この言葉を聞いた瞬間、イブキはぞわっと身の毛がよだった。アイに料理本を買っている事は話した。だが、隠し場所――隠している事自体明かしていないのだ。
隠している事については、サプライズ計画がとん挫してからも、イブキなら料理が出来る事を話していないだろう、という予想はある程度つくし、はったりだった可能性もある。しかし、料理本の隠し場所をピタリと言い当てるのは流石に偶然では済まない。なぜなら自宅謹慎以降、アイはイブキらの住む部屋に一歩も足を踏み入れていないからだ。
ここに、これまでちょくちょく感じていた絶妙なタイミングの合い方が絡んできて、イブキはとある疑惑を晴らすべく動いた。
(本棚の裏側に、料理本を隠している事が分かるような場所……本棚の向かい側にはオープンラックか。ちょっと怪しいな)
そのオープンラックは実用向きに置いてあるというより、見栄え重視のおしゃれな小物類や、何かの時に使えそうな空箱などが積み上がっていて、うっすらと埃を被るほどノータッチであった。
イブキは腕まくりをすると、指で本棚との距離や視野を考えながら物をどかしていった。すると、見覚えのない本が一冊紛れている事に気付いた。
(ヨーロピアンな洋書っぽい装丁だ。でも、チハルはこういうのは読まないし、こっちのラックに本は置かないはず……――!)
ペラペラとページをめくっていたイブキは、突如本を手放してしまった。バタンッ!と両開きになって落下した本――そこにはなんと、背表紙付近にページをまたいだ隠しスペースがあり、ぴったりとはまる形で小型カメラが入っていた。
恐る恐る、本をもう一度手に取る。隠しカメラが向いている方向を確認すると、レンズは外側を向いていて、背表紙にある目の模様のような部分から覗ける作りになっていた。
(これだ! 睨んだ通り、本当にあった――けど、ちっとも嬉しくない……)
チハルの仕業だなんて浮かびもしない。イブキの頭は真っ直ぐアイが犯人であると決めつけていた。イブキとチハルの家族や友人はまだ招いた事がない上に、アイにはたっぷり仕掛けられる時間があったのだから、矛先が向くのは当然だった。
(仕事部屋にカメラを取り付けて何の意味があるって言うんだ。しかもパソコンの画面を覗いて、秘密裏に仕事の情報を得るならともかく、背中側って……)
つまり、隠しカメラはこれ一つで済むとは限らないということ。あまりにも巧妙な隠し方に、個人では手に負えない気がしたので、イブキはその道のプロに頼る事に決めたのだった。
(最悪だ……これ以上ないくらい最悪だ……人間不信になりそう……)
チハルが実家という安全地帯へ戻っているうちに、業者に頼んで部屋に潜む隠しカメラの所在を調査してもらったイブキ。結果として、仕事部屋以外にも隠しカメラは存在していたのだった。
◆リビング
①隠しカメラ……2個
②盗聴器……1個
《場所》
①エアコン
①エアプランツのガラス容器の中
②使われていないコンセントの内部
◆キッチン
①隠しカメラ(防水性能)……1個
②隠しカメラ(耐低温性能)……1個
③盗聴器……1個
《場所》
①シンクの近くに置いてあるハーバリウムの中
②冷蔵庫の奥
③食器棚の上
◆玄関
①隠しカメラ(耐熱性能)……1個
②盗聴器……1個
《場所》
①シーリングライト
②靴棚の側面
◆寝室
①隠しカメラ……10個
②隠しカメラ(耐衝撃性能)……2個
③盗聴器……2個
《場所》
①エアコン
①カーテンレールの端
①柱の影(東)
①柱の影(西)
①柱の影(南)
①柱の影(北)
①本
①本
①本
①本
①チハルが描いたわけ分からん抽象画の額縁
①クローゼット内にある衣服に被せたビニールカバー内部(防虫剤風)
②イブキの私物の大きな犬型抱き枕のラリった目
②たまに髪が伸びる古びた市松人形の目
③ダブルベッドの裏
◆仕事部屋
①隠しカメラ……1個
②内蔵カメラ……2個
③特殊ウイルス……2個
④盗聴器……1個
⑤盗聴機能……1個
《場所》
①本
②③⑤パソコン(ハッキング済み)
②リモート用Webカメラ(ハッキング済み)
③USB(感染済み)
④Wi-Fiのルーター
◆トイレ
①隠しカメラ……2個
②隠しカメラ(防水性能)……1個
②盗聴器……1個
《場所》
①ガラス玉を詰めた消臭ビーズボトル
①壁リモコン
②壊れたと思っていた水の出ないノズル
③便器のタンクの下
◆風呂場
①隠しカメラ(超高性能)……13個
②センサー付きカメラ(超高性能)……2個
③盗聴器(超高性能)……5個
《場所》
①シャワールームの天上(東)
①シャワールームの天上(西)
①シャワールームの天上(南)
①シャワールームの天上(北)
①シャワールームの床(北東)
①シャワールームの床(南東)
①シャワールームの床(南西)
①シャワールームの床(北西)
①③バスパネル
①給湯器のリモコン内部
①ミラーライト(右)
①脱衣所のライト
①洗面台の収納スペース
②ミラーライト(左)
②風呂場のドア
③換気扇のカバー裏
③風呂場のカーテンレールの端
③洗面台の上
③洗濯機の裏
「どんっっっっっだけ隠しまくってるんだよ!! 隠しってか監視だよ! 寝室の数えっぐ! 風呂場の数えっぐ! 数の問題じゃないんだけど酷すぎて麻痺するわ! 最早かくれんぼ感覚で楽しんでるだろこれ! てか、よく二人してのうのうと暮らしていけたな! おかしいだろーーーーーーっ!!!」
爆買いレシートのような調査欄を前に、気持ち悪い通りこして怒りすら通り越してよく分からない感情が込み上げてくるイブキ。あまりに多数仕掛けられすぎて、業者と同席している間、「あっ! こっちにもありましたよ!」と楽しくなってしまった自分がいた他、
「シャワールームのあれ、3Dボディスキャナーでも搭載しているんですか?」
と、業者からハイテク機器のプログラマーなのか職業を確認されてしまった。「ただの頓馬です……」と答えた時の恥ずかしさと言ったら。
「チハルは好みじゃないって発言が真実なら、ターゲットは当然僕って事になるよな。……この間は散々心無い事言われたけど、完全に巻き込まれた知春に申し訳なくなってきたよ。ごめん知春ぅ……。チハルの非情さにはまだ人間味があったんだね」
百歩譲ってアイが完全に白なのであれば、あれほど正義感のある切れ者が、これらの犯罪を見過ごすはずがないので、やはり彼は真っ黒くろすけに違いない。一億歩譲ってスケベな目的ではなく、作家としての腕を磨くための純粋なる人間観察だったとしても、到底許される行為ではない。――ていうか、数と設置場所が完全にド変態のそれだ。
「本来ならストーカー被害を受けたとして、警察署に電光石火で駆け込まなくちゃいけないレベルなんだろうけど……ここまでの狂気に走った理由を知りたい。なんか獄中にいても全然安心出来ないし」
金持ちで人たらしで機械にもめっぽう強いハイスペック男だ。イブキへの執着を断ち切らなければ、外面だけの解決にしかならないだろう。イブキは深呼吸をしたり、キッチンで水を飲んだり、ストレッチなどをして徐々に気持ちを高めていくと、隣りの部屋へ突撃。
インターホンを何度か押した後、合鍵を差し込もうと、スウェットのマフポケットの中を探ろうとすると、部屋の内側からロックが解除された音がした。
ガチャリ。ギィ……。
「……しばらくは合わないという話ではなかったのか?」
ドアの隙間からこっそりと窺うアイの表情は、そこはかとなく嬉しそうに見える。
「すみません、入らせてください。話があります」
深刻な話をしなければならないだけに、いざ本人を前にすると迷いが生じかけたが、イブキは部屋へ上がらせてもらった。
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