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(『そうして作家の道を選択してからは、主人公を自分に、イブキを思い人に、美海を恋敵に当てはめて、いくつも作品を書き上げた。これはイブキを身近に感じるのにうってつけの方法だった。物語の中ならば、彼と会話が出来る。自分を見てくれる。触れる事が許される……それが嬉しかった。売れようと売れまいと関係ない。どうしようもなく湧き上がるこの熱い気持ちを、人々に受け入れてもらえるのが心地よかった』……)  ――しかし書けば書くほど、冊数を重ねるにつれて、イブキが自分から遠ざかっていくのを感じた。興味が失せたのではない。欠乏(けつぼう)だ。  記憶上のイブキとズレが生じて、徐々にどんな人物だったか曖昧になっていく。接点が極めて乏しかったせいだ。恐ろしい。遠くで眺めるばかりだった苦悩、焦燥、願望を作品の中で果たし、仮初めの評価を得て満ち足りた気になってしまうのも良くなかった。  今はほとんど味のしなくなった出がらしを、浅ましくも何とかこしているような状態だ。かといって核の部分を完全に想像で補おうとすると、まったく筆が進まないし、気持ちが乗らないから話も面白くない。  私は空想上の人物でない、本物のイブキに会いたくなった。「あくまで作家業を続けて行くためである」と、尤もらしい理由を付けて、形骸化していた黒髪を卒業し、髪を伸ばした後、作家の『アイ』として初対面からやり直そうと思った。そうすれば、イブキは私を個の人物としてストレートに見てくれるはずだと。  私はイブキの現状を調べ上げて、転居予定先であるマンションを突き止め、隣りの部屋を確保。いつ接触しようか思案していた頃、ついに、彼の方から会いに来てくれた。ほんの数分の出来事ですぐに引っ込んでしまったが、目と目が合い、対話をしたのだ。至福の一時だった。  イブキの隣にはすでにチハルという女性がいたが、イブキの人柄を考えれば、恋人がいるのも納得だと思った。空想の中で十分好き勝手やってきたのだ。「自分はただの隣人である」と己を律し、彼らと仲良くなれば、自然で良好なポジションを獲得出来ると考え、近付いて行った。隠しカメラも、カップルの日常を探る人間観察の一環としてつけた。  〇月〇日、イブキは傷を負ってパーティから帰宅した。話を聞くだけでなく、頭を撫でたりだとか、背中を叩くなどして慰めてやりたかったが、「ただの隣人」、「二人の仲を取り持つ相談役」という札付きの鍵を心のチェーンにかけて、中立の立場を守ろうとした。  〇月×日、アクシデントでイブキを酷く悲しませてしまった。すぐにイブキは勘違いであったと思い直し、ひとまずその場は収まった。だが、誤解を解くのに必死で、嫌いにならないでほしくて、イブキに恋していると打ち明けてしまった。あり得ないとは言われたが、「まさか自分を好きになるなんて」といったニュアンスの方が強く、激しく拒絶されなかったのは救いだった。  ただ、この一件で二人の間に亀裂をもたらしてしまったのは確実。この時、真に隣人や相談役に徹していれば、また三人で過ごす機会もあっただろう。チハルの性格の悪さを矯正出来たかもしれないし、イブキが慟哭する事もなかったはず。  私は欲を出し、「好機」として捉えてしまった。私のせいで、イブキの幸せを壊してしまった。  どうして私は周囲の人間を傷つけることしか出来ないのだろう。美海の寿命を縮めて両親を狂わせ、祖父母には命尽きるまで迷惑をかけた。私の半生を賭して愛し続けたイブキは、恋人も仕事も積み重ねた努力もすべてなくしてしまった。  せめてもの希望として、私はイブキに嫌われる事にした。私との繋がりを断ち切る事が、イブキのためであると思ったのだ。やりすぎの一歩手前まで行きそうになったものの、あの調子なら私の知らないどこかへ旅立っても大丈夫だろう。  私は……最近はパソコンに向かっても、ぼうっと虚空を仰いで呆けるばかりで、何も生み出せていない。筆を持つ気力すら危うくなっている。まだやらなけらばならない事が残されているのだから、それまでは――

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