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【15】
廃墟に戻って数日が経ったが、相変わらずテオとはすれ違ったままだった。
「仕事が忙しい」と言い、ボードに乗れない日々も続いていると言う。
テオの忙しさは想像がついた。
たむろする廃墟の敷地は、最近になって本格的に工事が入り始め、目に見えて小さくなっている。スケートボードをしているエリアも、どんどん狭くなっていた。
きっと自分が思っているより早く、この場所は失われてしまうのだろう。
廃墟に着くと、カミロはすぐに仲間のボードのメンテナンスに取りかかった。手を動かしながらふと視線を上げると、Jの姿が目に入る。
あのテオとのバトル以来、Jは頻繁にここに顔を出すようになった。仲間たちともすっかり打ち解けていて、派手なトリックを決めては、砕けた調子で皆と笑い合っている。
カミロを見つけたJは、ボードに乗ったまま手を振って近づいてくる。大きな箱を片手に持ち、バランスを崩すことなく滑っていた。
「カミロ!会えてよかった。今日はこれ、持ってきたぞ。使ってくれ。いちお言っとくけど、全部新品。……だけど、変な心配すんなよ?」
そう言って、箱をドンと地面に置いた。
「おおっ!今日はやけに大盤振る舞いだな。だけど、怪しいよな〜。本当に足、つかないか?」
「だーいじょぶだって!盗んだもんじゃねーぞ!」
「どうだかな。お前、胡散臭ぇんだよ。ま、別にいいけどな」
「カーミーロ!ひでえ!」
あははは、と、二人の笑い声が廃墟に響く。
カミロは箱を開けもせずに受け取った。
中身は、見なくてもわかる。ボードのパーツやデッキ(板)だ。
最初は警戒していたこの「持ってきたぞ」も、今では自然に受け取れるようになっている自分に気づく。
きっかけは、あの日カミロがJのボードセッティングについて質問したときだった。
「興味ある? じゃあこれ、いる? やるよ」
そう言って自分のボードを差し出された時は、直感で「怪しい奴」と思って断った。
けれどそのやりとりを見ていた仲間たちがざわつき始める。
「カミロ、いらないの?!」
「じゃあ俺にくれ!」
結局、誰かがそのボードをもらって事なきを得たけど、その一連の流れの中でカミロは気づいた。
Jは、たしかにちょっと変な奴だ。だけど、そこに下心のようなものは感じなかった。
「お前、何者だよ」
と訊いた時、Jは肩をすくめて答えた。
「ただのスケーター」
それ以上は言わなかった。
この辺の奴らは素性のいい人間ばかりじゃない。カミロ自身も、誰かに言えない過去がないとは言えない。けど、Jはそのどれとも違った。
身なりは整っていて、ガサツな雰囲気もない。余裕があって、金もありそう。どこかの金持ちのボンボンがスケボーにハマって遊びに来てるだけかとも思う。
だけど、そんなことどうでもよくなっていた。毎日顔を合わせるうちに、自然と会話が生まれ、笑いも増えていく。
無視しても話しかけてくるJの軽さが、だんだんと面白く、仲良くなっていた。
ボードのメンテを終えカミロが、仲間たちに手渡すと、ぱあっと顔が明るくなっていく。
ここにいる仲間たちにと、2台目のボードをJが提供してくれた。全員がスケートボードを2台持つことになる。
「やべ、これ……俺のかよ?マジで?!」
「見て見て、こっち側の絵、めっちゃヤバくない?この炎のライン、超クール!」
「うお、裏に“NO FEAR”って手書きされてんじゃん!Jのだろこれ!?」
手にしたボードの裏側を何度もひっくり返しては、みんなが代わる代わる見せ合っている。光の当たり方で浮かび上がるデザインは、全部違うのにどこか統一感があって、ひとつのチームを感じさせた。
そのデッキには、Jが持ち込んだオリジナルのアートが施されていた。
炎、ドクロ、飛翔するカラス。自由を象徴するようなモチーフが、ざらついた板の表面に荒々しく描かれていた。
「俺、2台目なんて初めて……これ、使うのもったいねぇ!」
「マジで飾っておきたいレベル……でも滑る!滑るっしょこれは!」
「J!カミロ!ほんとにありがとう」
彼らの声が入り乱れ、笑い声が廃墟に響いた。みんながそれぞれのボードを抱えてはしゃぎ、次の瞬間には思い思いのトリックを試しに走り出していく。
新品のウィールが地面を削る音と、乾いた風が交じり合って、いつもの廃墟が一瞬、どこかの大会の舞台みたいに見えた。
それを見ていたカミロは、笑顔のまま小さく息をついた。
自分が整備したボードが、みんなの足で風を切って走り出す。それがたまらなく嬉しかった。
そんなカミロのメンテナンス作業を、Jはいつも興味深そうに眺めている。カミロは彼に向かって、手を差し出した。
「ほら」
「ん? なに?」
「お前のも直してやるよ」
「俺の?」
今日もJは新品のボードに乗っている。
けれどカミロは気づいていた。
今のセッティング、Jのタイミングと合ってない。
「無理して飛んでるだろ。…このままだと、もっと悪くするぜ、足」
「……えっ」
いつも笑顔を浮かべているJの顔から、サッと表情が消える。
「右足だろ。怪我してんの」
「……なんで……」
地面を見つめたまま、Jが小さな声で呟く。
その様子にカミロは動じなかった。ただ、静かに続ける。
「トリック前、わずかに重心が後ろに流れる。多分、まだ痛いんだろ。思うように高さが出ないのも、そのせい。ここに来た時にはもう負傷してたよな。テオと勝負したとき、その足じゃなかったら、お前が勝ってた」
カミロはずっと、Jの滑りに違和感を感じていた。
テクニックはある。それもかなりのテクニック。けれどスピードと高さが、どこか抑え込まれているようだった。
それは、無理に使い続けている負傷の足をかばっているからだ。
「……すごいね。なんでわかった?」
しばらく沈黙のあと、Jはふっと力を抜くようにゴロンと寝転んだ。埃っぽい地面から、乾いた砂煙がふわっと上がる。
見上げたJの顔には、怒りも悔しさもない。ただ、少し安心したように笑っていた。
「不自然すぎるだろ。足首じゃない、スネのあたりか。どこでやったんだよ? 着地でぶつけたか?……ここ、廃墟だぜ。ちょっと無理すれば、すぐ悪化するぞ」
スケボーは何度も転ぶ。何度も痛みを味わう。それでも挑み続けるやつだけが、トリックをものにしていく。カミロは、その痛みを誰よりも知っている。
「あははっ!カミロ、すっげぇな!」
Jが腹を抱えて笑い出す。何かが吹き飛んだような、そんな笑い方だった。
「ウィール、ちょっとだけ締めた方がいいかもな。ほんの少し。怪我が治ったら煩わしくなるけど、今はその方が滑りやすい」
「マジか!だったら、頼む!やってくれよ、カミロ!」
まるで少年のように目を輝かせて、Jが言った。
カミロが微調整を繰り返していると、遠くから誰かが手を振って近づいてくる。
久しぶりの姿だった。
「テオじゃん!」
「J、お前、相変わらず胡散臭ぇな」
カミロと同じセリフに、思わずJと顔を見合わせて笑った。
「なあ、3人で走らね?」
Jの誘いに、二人は無言で頷いた。
アスファルトにタイヤの音が重なり合う。
夜の廃墟を、三つの影が駆け抜けていった。
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