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【16】
テオから『57St近くなった』とメッセージが入った。
『何番?』
『B355』
テオは、カミロの待つ、57Stバスストップのいくつか先から乗っている。
バスの番号は、B355。
カミロは、金属製のベンチに腰をかけ、ボードのデッキに足を乗せていた。
頭が重い。寝不足だ。
こめかみに力を入れてあくびを堪えると、少し涙がにじんだ。
今日は、テオと一緒にダウンタウンに行く。このスラムから外に出るのは、いつぶりだろう。行き先がどこであれ、ここを出るというだけで、少し胸が浮ついた。
遠くから、バスが近づいてくる音が聞こえた。「B355」という文字が、フロントの電光掲示板に光っている。
エアブレーキの音とともに、バスが停車する。ドアが開くと、冷たい空気がふっと足元に流れ込んできた。
車内は思いのほか清潔だった。
ダウンタウン経由で空港まで向かうルートだからだろうか、椅子のクッションもへたっていない。
「WIFI繋がんねぇよ」
声がした方を見ると、テオがスマホの画面を睨んでいた。
「マジか!使えねぇ~」
軽口をいいながら、テオに手を上げ笑顔で近づく。
カミロはテオの隣に座り、お互いスケートボードを膝に抱えた。
「ま、ダウンタウンまでだしな」
「そうだな。すぐだもんな。ま、いいか」
口ではそう言ったが、ダウンタウンまでは1時間、いや2時間近くかかる。しばらく乗っていなかったせいで、感覚が鈍っているのかもしれない。
気づかないうちに、瞼が重くなっていた。
昨日のことを思い出す。
父親が数年ぶりに帰ってきた。
何か嫌な感じがするなと思ったら、案の定だった。
父親は、家の中のどうでもいい物ばかりをいくつか持ち出していった。誰も使っていないスピーカー、古いドライヤー、片方だけ音が出ないイヤホン。金になるとは思えないが、ゴミとも言い切れない。そういう絶妙なラインを選んで持ち出すのが腹立たしかった。
現金にもスマホにも手をつけないのは、せめてもの配慮か。まるで「俺は最低ではない」とでも言いたげだった。
父親とは仲が悪いわけではない。
でも、やっていることは最低だ。
身内というだけで許されるわけじゃない。
バスは、淡々と停留所を通過していく。
乗り降りする人たちの靴音が、微かなリズムになって揺れる。隣のテオが話し始めた。
「Jからもらったボード、滑りよくね?お前に調整してもらってからさ、この前、過去最大の大きさのトリック決めたぜ。やっぱ、道具って大切なんかな」
「……どうだろな」
「俺の古いボード、オリバーにやるよ。今度持っていくから。っつうか、聞いてんの?俺の話!」
「う…ん、聞いてる。オリバー喜ぶよ、テオのボードだったら」
オリバーがスケートボードに興味を持っていることを、覚えていたのだろう。古くなったボードを、オリバーに渡したいと言われた。
オリバーは、憧れであるテオのボードなら大喜びなはず。新品より、テオが使い込んだボードの方がオリバーには価値があるんだ。
「今日休みだろ?帰りにキース寄ろうぜ」
「……ああ、いいけど」
言葉の重みがなくなってきた。眠い。
まぶたが落ちそうになる。
「眠いのか……ダウンタウン到着するまで寝てろよ」
テオの声が遠くなる。
___夢を見る。
濃い霧の中、誰かが立っている。
見えないのに、わかる。テオだ。
夏になると、スラムにはこういう霧が出る。洗濯物に匂いが移るほど、重く湿った霧。でもこの夢の霧は、それよりずっと柔らかい。
テオが何かを言っている。声が届かない。
霧の中で走ろうとしても走れない。
__バスが減速し、金属のきしむ音と共に停まった。
「おい、起きろ、着いたぞ」
テオの手がカミロの腕を叩いた。
肩が揺れて、視界が一気に現実に引き戻される。
霧はもうない。
目を開けると、テオの顔がくっきりとそこにあった。
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