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バスを降りた瞬間、空気が違った。 スラムの空気は、いつも埃と鉄と油の匂いが喉に絡みついてくる。だけどここは透き通っている。 ダウンタウンは透明だった。 舗装された道は陽を跳ね返し、ガラス張りのビルには空と雲が映っていた。誰もがスマートに歩き、誰にも興味がない顔をしていた。まるで、どこか遠い国の人間のようだった。 「なんか……街が眩しくね?」 「うるせぇよ」 カミロは眉をひそめ、スケートボードを肩に担いだ。テオは周囲をきょろきょろ見回していたが、ふと立ち止まる。 「お、あれじゃん」 視線の先には洒落たスケートボードショップ。ガラス越しに中が見えて、そこにJの姿があった。 ダウンタウンに来たのは、Jに呼ばれたからだ。 「会って話したいことがある」と、Jに言われた。毎日、廃墟で会っているのに、わざわざ場所を変えるってことは、何か理由があるのだろう。 店内で、Jは大人たちに囲まれて笑っていた。廃墟で見る顔と変わらない、あの屈託のない笑顔。 「……やっぱ、お前、裏があるだろ」 「本当、うっさんくせぇ〜」 ショップに入って早々、二人はJの顔を見て口をそろえる。 「なっ、ひどい!そんなこと言うなよ!」 ゲラゲラ笑い合いながら、Jに導かれて店内を歩く。スケートボードはもちろん、アパレルやアートが並び、洒落たギャラリーのようだった。 よく見ると、ボードはもちろん、ポスターやスニーカー、トレーナーまで、すべて廃墟でJが配っていたボードと同じデザインが使われている。 「ここって……ボードショップなのか?」 「そう!最近オープンしたばかり。俺はこの店の立ち上げで、この街に来てたんだ」 Jのショップということか。 関係者らしいスーツ姿の大人もちらほら見える。それでも、子どもから大人まで店内は賑わっていた。 「完成品も売ってるし、屋上にはスケートパークもある。ここでボードを買って、すぐ滑れるんだぜ」 「……へえ……」 テオとカミロが同時に声を漏らす。 店の2階、奥にある「VIP」と書かれた部屋に通された。ソファにドカッと腰を下ろし、都会の空気に疲れたようにため息をつく。 ポスターやアートに描かれているのは、すべてJだった。スケボーで技を決める姿、笑顔で写る写真、直筆のサイン。限定モデルのボードまである。 Jがコーヒーを運んできた。 「……ってことはさ、Jってプロってこと?」 カミロが尋ねる。 「そっ!でも、お前ら知らなかったろ?俺もまだまだだよな~」 あはは、とJは笑う。 テオとカミロは道具やプロには興味がなかったため、スケートボードのプロのことや、Jのことブランドのことも知らなかった。 顔を見合わせ、二人は肩をすくめた。 「じゃあさ……有名なスケーターってことか」 「うん、まぁそんな感じ。オリンピックも狙ってたんだけど……この怪我な」 Jの右足を見て、テオが眉をひそめる。 「オリンピックって、まだ三年後とかじゃん? それまでに治るだろ」 「三年あれば……って思ってるけどな~」 Jは笑って答えるけれど、思っていたよりも重傷なのかもしれない。 少し沈黙が流れた後、Jが真剣な表情で口を開く。 「それでさ、今日呼んだ理由だけど。俺、今後は育成に回ろうと思ってる。それで、テオ、君をスカウトしたい」 「はっ……? はぁっ!?」 突然の言葉に、テオは目を丸くする。 スケートボードはスポーツであり、プロになる道もある。プロになれば、コンテストの賞金やスポンサーの支援で生活ができる。 Jは、自分の成功の話をした。 プロとして大会に出場し、いくつもの賞レースを勝ち抜いたこと。スポンサーが複数ついていること。そして今は、自分のブランドを立ち上げて、店をいくつも展開していること。そんなふうに、自分の力で道を切り拓いていけるんだと。 「テオ、お前には才能がある。ストリートだけで終わらせるのはもったいない。それに、あの廃墟はもうすぐ取り壊されるんだろ?」 プロテストは必要だが、テオなら実力で突破できる。Jはそう断言した。 「俺がいる東側に来て、トレーニングを受けてほしい。生活費、住む場所、全部こっちで用意する。三年後、オリンピックを目指そう」 静かに話し終えたJに、カミロが即座にうなずく。 「テオ、やるべきだ。お前なら狙えるって、俺も思う」 「う、うん。マジか……すげえ話で、あんま頭に入ってこねぇんだけど」 「ははっ、しっかりしろよ。お前がスケボーで頂点狙う話だぞ。俺はここから応援するからさ」 そう言って、カミロがテオの肩を叩いた。 だが、テオは答えず一点を見つめている。 「いや、カミロ。お前も一緒に来てほしい」 「は? 俺は関係ねぇだろ? オリンピックなんか出れるわけないし」 スケートスタイルも、レベルも違う。カミロ自身、そこまでの才能があるとは思っていない。だが、Jは真っ直ぐに言った。 「カミロも必要なんだ。この前俺のボードを調整してくれたとき、乗り心地が全然違った。カミロのボードセッティングは緻密で、スケーターのことをよく見てないと出来ないものだ。それに…俺の怪我にも気づいただろ?お前の腕は確かだぜ」 「……え?」 「選手の勝ち負けを左右するのは、スケーター…ライダーのセンスや技術だけじゃない。ボードのセッティング、メンテナンスも大事だ。カミロ、お前の技術は本物だよ。俺にも、テオにも必要だ。東に来て俺のチームで働いて欲しい」 テオも大きくうなずく。 「ほら、だろ?カミロの指示って、いつも的確なんだよな。それにメンテナンスは信頼してる。俺はお前が必要だよ。そんで、お前はそれをやるべきだな」 一瞬、脳が追いつかなかったが、Jが続けた。 「お前らの東での生活は全てサポートする。給料も出す。仕送りもできる。カミロ、弟のこと…心配しなくていい」 Jは、カミロの家族のことも知っていた。 廃墟に集まっていた仲間たちの暮らしなんて、みんな似たり寄ったりだ。それでもJは、ちゃんと気にかけてくれていた。口にはあまり出さないけれど、どこかで、カミロの背景まで見てくれていた気がする。 「マジか……」 「夢みたいだな……」 カミロとテオはソファに身を預け、天井を見上げる。ソファに沈みながら、しばらく誰も何も言わなかった。 心の中で、何かがゆっくり動き出していた。そして、じわじわと嬉しさが込み上げてきて、二人は顔を見合わせ、笑い出す。やがて三人でゲラゲラと笑い合った。 「一週間後、あっちの空港で待ってる。俺は今夜の便で先に戻る」 Jはそう言って、スマホのアプリをダウンロードするよう伝える。その場で、東へのエアチケットが送られてきた。 「出発24時間前にチェックインするんだぞ。忘れるなよ!何かあったら連絡してくれ。あっちでもスケートトリップしようぜ」 最後までJは、あの笑顔のままだった。 「……やっぱお前、胡散臭かったな」 「でも……すげぇ話だったな。やっぱ、胡散臭ぇけど」 「テオー! カーミーロー! お前らー!」 三人でふざけ合いながら、ガラス張りのボードショップを後にした。

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