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【19】
廃墟の「キース」に着いた頃には、もう完全に日が暮れていた。
「J、もう帰っちまったかな」
「飛行機、何時だったっけ」
誰が住んでいたのかもわからないこの部屋のベッドに、いつものように二人でドサッと倒れ込む。狭い空間に体が触れ合うのも、もう当たり前になっていた。
長時間のクルージングだったのに、不思議と疲れていない。身体の奥に、まだ浮かれた熱がじんわり残っている。
「ボードカルチャーって、思ったより人いるんだな」
「ダウンタウンで滑ってるやつなんていないと思ってたけど……案外いるもんだな」
カミロは仰向けになり、天井の薄汚れたシミをぼんやり眺めた。最初に来たときにはなかった気がする。でも今では、それすら見慣れた風景だった。
「……ここ、来週から取り壊しらしいよ。俺らが東に行くのと、ちょうど同じタイミングだな」
「そっか……いよいよキースともお別れか」
少しの寂しさが喉に絡んだ。
息苦しい空気も、剥がれた壁紙も、嫌いじゃなかったこの場所。
でもどこかでわかってた。ここは通過点で雨宿りで、一時停止の場所だったんだ。
「でもさ、マジですごくね?俺ら、スカウトだぞ」
「夢みたいな話だな。浮かれすぎて、逆に怖ぇくらいだわ」
「家族と、仕事場には言わなきゃな……仕事は、辞めるってだけでいいか」
「……」
その一言に、カミロの胸がきゅっと傷んだ。
家族に、職場に。
今から、離れるって話すこと。
言葉にした瞬間、現実が動き出しそうで、少し怖い。
「カミロ…俺、明日ちゃんと話してくる。家族にはちゃんと話す。でも職場には……辞めるってだけでいいよな?ギリギリまで働くつもりだし」
「うん。そりゃそうだよ。理由なんか言わなくていい。向こうだって聞けねぇだろ?また何か抱えてんのかって警戒されるのがオチだし」
この辺の奴らは、色んな事情も抱えている。雇う側も雇われる側も、そんなことはわかりきっている。
だからこそ、仕事を辞める時は理由なんて言わなくていい。それは暗黙の了解、最低限のルールだ。
「なぁ……」
テオが隣にいるカミロの方を向く。カミロもそっと横を向き、視線がぶつかる。
「家族には、ちゃんと言うよな? オリバーにも。東に行くって、ちゃんと伝えるよな」
その目には、逃げ道がなかった。
カミロは視線をそらしたくなった。だけど、それができなかった。
「……当たり前だろ。急にいなくなったりしないって」
「だよな。……明日、ちゃんと言えよ。東に行くって。チケット、持ってるんだしさ」
「お前、母親かよ。言うってば。……なんでそんな心配すんだよ」
カミロが笑って軽く流しても、テオは笑わなかった。目の奥が、ほんの少しだけ揺れていた。
「……なぁ、カミロ」
天井を見上げながら、テオがまた名を呼ぶ。
「最初にお前と喋った日のこと、覚えてる?」
「……え?いつ…だっけ」
突然の問いに、カミロは視線を向けたまま曖昧に返す。
「俺、あの日…誰にも言えなかったことをお前にポロッと喋っててさ。あとになってそれに気づいて、なんか……ヤバかった。ヤバいっていうか……救われたつうか、嬉しかったんだよな」
言葉を探すように、ゆっくりと語るテオの声はどこか震えていた。
「それまでは、誰といてもどこか一人だった。笑ってても、なんか冷めてて。でもカミロ、お前といるとずっと黙ってても、寂しくなかった。一人じゃないって、感じたのは初めてだったんだ」
カミロは、静かに息をのんだ。
「今日……Jにスカウトされて、プロにならないかって言われたとき、すっげぇチャンスなのに…即答できなかった。お前と離れるのかって咄嗟に考えて…そしたら喉が詰まって、言葉が出てこなかった」
テオの視線が、カミロへと戻る。もう、逃げ場はない。
「……この関係に名前をつけず、曖昧にしてなんとなくここで抱き合って。言葉にするのが怖くて、ずっとごまかしてきた。でももう曖昧じゃいられない。俺は、お前が好きだ。好きで、好きで、どうしようもない。これから先、お前が隣にいないって考えると……俺、どうにかなっちまいそうなんだ」
その言葉に、カミロの肩がかすかに揺れた。
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