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働いているファストフード店の店長に、辞めることを伝えた。 「そっか…カミロには本当に助けられてたからさ。できれば、もう少し一緒に働きたかったな」 意外な言葉だった。引き止められるなんて、思ってもみなかった。 「…すみません。急で」 「いやいや、大丈夫だよ。ごめんね、こっちこそ。事情あるもんね、わかるよ」 「事情っていうか……別の土地に行こうかなって。うまくいくかは、わかんないっすけど」 それを言葉にするのは、これが初めてだった。口に出すと、思ったより現実味を帯びてくる。 「おばあちゃんとか、オリバー……大丈夫?あ、ごめん。聞いちゃいけないことだったかな。カミロのこと、よく知ってるからさ」 店長の娘とオリバーは同級生だ。だからカミロの家庭のことも、たぶん全部伝わっている。 いつも帰り際に、家族分のバーガーを何度も持たせてくれた。あれは、店長の気遣いだ。今さらだけど、ありがたく思う。 「…まあ、大丈夫…だと思います」 胸がきゅっと締めつけられる。 家族の話になると、言葉が急に出てこなくなる。やっと絞り出すように返す。 「もしさ、もし気が変わったら……また、いつでも戻ってきていいから。ここも俺も、いつでもカミロを待ってるよ」 店長には、たぶん顔に出てしまったのだろう。躊躇しているわけじゃない。テオと東へ行くことは、もう決めた。はずだった。 だけど。 「あはは、そうっすね。どうなるかわかんないし。ありがとうございます、店長。じゃあ今週いっぱい、よろしくお願いします!」 夢があったわけじゃない。この仕事に強い思い入れがあったわけでもない。 でも、宙ぶらりんにやっていたわけじゃない。誰かと過ごした時間の分だけ、名残惜しさが胸をよぎる。 店長も、情が湧いたってやつなのだろうか。引き止めてくれたその言葉が、不思議と温かく残った。 ____ 仕事帰りに廃墟へ向かうと、先に着いていたテオと合流した。 思った以上に工事が進んでいる。 来週から取り壊しが始まるはずだったのに、すでに今夜から工事が始まっていて、あちこちで重機がうなり声をあげていた。 ちらほらとボード仲間も来ていたが、騒がしい工事現場の気配に押されるように、すぐに姿を消していった。 「来週からって言ってなかったか?」 「雨が降ると作業が止まるから、今のうちに前倒しで進めてるらしいよ」 工事現場で働いているテオがそう言った。 「キース、行ってみるか」 「……たぶん、そっちももう入ってると思う」 いつもなら真っ先に「キース」に行きたがるテオが、今日は珍しく言葉を濁した。 秘密基地のようなあの場所へ移動してみると、テオの言った通り、すでに解体作業が始まっていた。 「ほらー!言ったじゃん!現場で聞いたんだよ。こっち側も壊すって…なんだよなあ、もうちょい待ってくれよ、こっちの都合もあるのに」 悔しそうに声を上げるテオの顔が可笑しくて、カミロはつい笑ってしまった。 「元々、俺らの場所じゃないし。別にいいだろ」 「でもさ、キースとお別れ、ちゃんとしたかったじゃん」 キース。 あの家族写真の少年。 むすっとした顔でカメラを睨んでいた、写真の中の小さな存在。今頃は、もういい年齢の大人になっているのかもしれない。 滑れる場所を探すが、どこも工事の手が入り、居場所はなかった。 瓦礫の山に囲まれた、すでに更地になった一角の影に、二人で腰を下ろす。作業の終わったエリアは静まり返っていて、深夜の空気がやけに澄んでいる。 「…ここじゃ、滑れねえな」 「土だし、デコボコだしな。ボードやるにはキツいわ」 ふたりでスマホを取り出して、黙って画面をいじる。 夜空にはまんまるの月。 スマホの光と月の光が混ざって、テオの顔がはっきりと見える。 「Jがいる東って、寒いのかな。ここからどれくらい遠いんだろ」 テオがスマホの中で広げた地図を、隣からカミロが覗き込む。 「同じ国なんだし、大して遠くねえよ」 「でもさ、俺ら、隣の州すら行ったことねえだろ?」 「……だな。ちょっと楽しみだよな」 知らない土地で、一から始めること。 それは怖くもあるけれど、ワクワクする。 何よりテオと一緒だと思うと、それだけで心強く感じる。 「ボードトリップしようって、Jが言ってたよな」 新しい街にも、スラムや廃墟はあるのだろうか。キースの代わりになるような、そんな秘密基地が見つかるのだろうか。 早朝の霧。 埃っぽい空気。 あっちの街にも同じ匂いがあるのか、想像はつかない。 「……今日、お前の顔が見れてよかった」 下を向いてスマホをいじるテオが、ぽつりと呟いた。 「これからも毎日、見れるじゃん」 「ま、そうだよな。もうすぐあっち行くんだもんな。俺さ、仕事場と家族に話した」 そう言って、テオがカミロの方を見て笑う。その目の奥にあったのは、迷いじゃなかった。ちゃんと決めている目をしていた。 カミロは黙ったまま、その顔を見つめていた。

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