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第39話

 病院で治療を受けると、幸い命に関わる傷ではないと診断され桜は一週間入院することになった。腕には何本か注射を打たれ、点滴も打たれで腕の血管が青く浮き出ていた。真柴に指摘されたように宣材写真よりもかなり痩せてしまったようだ。1日のほとんどを寝たまま過ごした。オーナーやミケが見舞いに来てくれたこともあった。オーナーはしきりに謝ってきたが、過ぎたことは仕方がないと桜は割り切っていた。ミケは桜が好きなロイヤルミルクティーラテをお気に入りのカフェでテイクアウトして差し入れをしてくれた。2人の前では少し人間らしさを取り戻して何気なく会話をすることができたが、夜、ベッドで一人になるととめどなく熱いものが頬を伝い鼻が詰まり眠るのに苦労した。 (クソ。クソ。俺の馬鹿。こんなことになる前に防げたはずなのに……!)  顔と身体が資本の仕事をしている桜は、その両方に傷をつけられたことにショックを受け、入院中ほとんど何も喉が通らない状態だった。  入院している間、桜は急遽長期旅行という名目で仕事を休むことになった。  入院していることを桜の家族に連絡しようと思った店長は、桜に家族の連絡先を聞いてみた。しかし、桜は「自分で連絡します」とかぼそい声で言い張り譲らないため任せることにした。  桜の人柄をよく知っている常連客からは、何度も心配する電話が店にかかってきた。まさか桜が前々からしていた予約をすっぽかすような子ではないと信じていたからだ。  オーナーと従業員は桜がどれだけお客様に愛されていたのかということに改めて気づいた。それと同時に二度と桜をこのような目にあわせた者を許さないと決めた。  店側はついに清水を永久出禁にした。清水は警察署に連行されており、事情聴取を受けている。現場のラブホテルの部屋に残されたカミソリの持ち手には清水の指紋がはっきりと残っており、殺人未遂事件の容疑者として逮捕された。 ◇◇◇  一週間後、無事に桜は退院した。  清水にカミソリで切り裂かれた傷跡は、何本も針で縫うものから、かさぶた程度で済むものまで、5箇所にもおよんだ。顔と胸の下、腰の上に幾つかの傷跡が残った。  特に、見ていて一番痛々しいとオーナーが思ったのは、おでこに横一直線で引かれた細い線のような傷だ。傷口は浅く、早い完治が見込まれたが桜は生まれて初めて顔に傷を作ったのをひどく後悔しているようで、ずっと前髪で傷を隠していた。  退院した桜は寮へと帰宅し、通帳を確認して大きなため息をついた。  両親を幼い頃に交通事故で亡くした桜の唯一の肉親は3つ年の離れた弟の|瞬《しゅん》だけ。  6月に誕生日を迎え17歳になった瞬は、運動神経もよく成績も常に学年でトップにいる。  来年、瞬は高校3年生になる。  桜はお金が無くて自分が大学に行けなかったことを、今でも悔やんでいる。  だから文武両道を瞬には大学に行って高校の同級生と変わらない大学生活を送ってほしい、そう思って生活資金と大学への進学資金を貯めるために売り専を始めたのだ。  瞬に売り専として働いているとは口が裂けても言えない。  桜は駅前のネットカフェの深夜バイトと瞬に嘘をつき、寮の最寄り駅から30分ほどかかる鶯谷で働いている。鶯谷なら、間違っても瞬に出会う可能性は無い。瞬の住んでいる協会は自由が丘にあるからだ。高校もその近くだと聞いている。  そうやって、体に鞭を打って週7日毎日働いていた。塾代や大学の受験料、入学金、その後の授業料などを考えると、あと200万円ほど足りない。  桜は仕事に出たい気持ちはやまやまだったが、店長からさらに1週間の休みを命じられてしまった。  だから、働きたくても働けない。そんなもどかしい気持ちで寮の自室で横になっていた。ひいらぎ荘の皆には今回の怪我について何も伝えていない。ひいらぎ荘の出入りは自由で、互いにスケジュールなども把握していないためいつ帰宅してもいいし、自室で過ごしてもいいルールになっている。桜は基本的に仕事人間のため、仕事をしている時以外は自室や寮の共有部で過ごしていた。共有部で会うといっても日や時間によりいるメンバーは異なるため、特に問題にはなっていなさそうで少し安堵した。

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