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第45話
桜が眉を落として何か言い出そうとするのを真柴は手で制する。
「人の話は最後まで聞いてくれ。前にも言ったように俺は重度の不眠症でな……。仕事に支障をきたすくらい症状が酷かったんだが、桜に添い寝をしてもらってからはその日だけは熟睡できるようになった。それを踏まえて、桜には俺の抱き枕として俺のもとで働いて欲しい」
真柴は桜のことをいったん放すと、スマホをスクロールして何かを検索している。
「俺の身分証明書だ」
そう言って、スマホの画面を桜に見せた。それは名刺の画像だった。
「写真家……|真柴睦月《ましばむつき》」
「兼業で画家もしている」
真柴はスマホの画面をスクロールして別の名刺を見せてきた。名義は同じようだ。真柴睦月。謎に包まれた男の正体が少しずつ明るみになっていくのを桜を唾を飲み込んで見つめていた。まさか、真柴の職業が写真家かつ画家とは思いもしなかった。
桜の予想ではきっと多忙なベンチャー企業の経営者とか、システムエンジニアとか。所謂、よく目にする成功者の片鱗を感じ取っていたから。しかし、写真家と画家だと打ち明けられると不思議と納得してしまうことも事実だ。このミステリアスな雰囲気は一般的に想像するサラリーマンなどではないことを物語っていた。桜はなぜか正体を打ち明けてくれた真柴の覚悟に胸を打たれていた。
「名刺だけだと偽造と思われかねないな。これが証拠になるだろう」
黙々とスマホの画面をスクロールしていた手を止めて、真柴が苦笑しながら呟く。なんて誠実な人なんだろうと桜を目を見開く。今まで生きてきてこんなに率直で実直な人に出会ったことがなかった。嘘偽りなどなく、真正面から桜と向き合ってくれる。その清い佇まいに知らず知らずのうちに惹きつけられていた。
桜は真柴のスマホを見せられる。その写真が目に入った瞬間「あっ」と思わず声が飛び出た。
「え、この人って……!」
「この間撮影をさせてもらった。5年近くの付き合いで俺が専属カメラマンとして撮影をさせてもらっている」
真柴とツーショットで写っていたのは、朝ドラやその他多くのドラマにも出演経験のある国民的女優だった。白いマーメイドワンピースの上にはレースの刺繍が散りばめられたカーディガンを羽織っている。胸元には小粒のパールのネックレス。ピアスはしゃらんと揺れる短冊型のシルバー素材。所謂、清楚系女優のようだ。その少し距離を置いた隣で真柴が写っていた。弾けるような笑みではないが、うっすら口元が引き上げられている。「微笑」という言葉に適する笑みだった。
「まあ、カメラマンの特権てやつだ」
その他にも、スマホの画面をスライドしていくとグラビアモデルから男性アイドルユニット、劇団俳優など日本人ならば誰でも1度は目にしたことのある人達が登場してくる。桜はそれを見て急に真柴との距離が遠のいたような感覚に陥り、気持ちが沈み始めていた。正体が明らかになったために、まるで真柴は芸能界の世界にいる高貴な位の人に見えてしまったからだった。
「写真家としての裏付けはこのくらいだ。画家のほうの裏付けも見せておきたいが、生憎絵を写真に収めていなくてな。今度直接見せる」
「直接見せる」という言葉に僅かに期待してしまったのは俺が気持ちを揺さぶられているからだろうか。桜は暫し考えながら最後にはゆっくりと頷いた。
「……はい」
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