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第48話 真柴に買われた日と売り専の卒業
「普通」の生活。
それが、どんなに満たされているものなのかを桜は改めて感じた。
あの日を境に桜の人生は大きく変わった。
真柴は約束通り直接オーナーと話をつけ、桜を辞めさせるかわりに店に500万円を支払った。また、桜に対しての対価として500万円を桜の口座に振り込んだ。桜はそのお金を決して無駄には使わないと誓い、真柴に何度も感謝を伝えたが真柴はただ微笑むだけ。
「これから桜には俺の抱き枕として働いてもらう。そこで真面目に仕事をしてくれたら、それで構わない。抱き枕の仕事は住み込みでやってもらう。桜はひいらぎ荘を卒業したら俺の家に引っ越せばいい。あとは、抱き枕兼ハウスキーパーとして俺の身の回りの世話を頼む。俺はあまり家事が得意なほうじゃなくてな……」
ぽりぽりとこめかみをかく仕草が、真柴の美形ゆえに恐ろしいほど整った顔面の迫力とギャップがあって桜は胸がきゅうっと苦しくなった。でもそれがギャップ萌えだということに気づかなかった。ただ、こんな気持ちは初めてだと新鮮に感じた。
オーナーは真柴の漢気をたいそう気に入ったらしく、その場に同席した桜にも
「今までよく頑張ったわね。お疲れ様。これからは自分の道で幸せになるのよ。桜くん」
そう言ってハンカチで目元を拭っていた。アイラインが涙で流されて黒くすすけていた。
他のボーイ達は真柴の行動が理解できないというように騒ぎ立てていたが、ナンバーワンの桜のことに口を出せる者は一人もいなかった。
彼らは皆知っていたのだ。
桜が美少年倶楽部に在籍してナンバーワンとしてトップを走り続けていたからこそ、他のボーイの士気が上がっていたことを。
また、ライバル店舗がうようよいる鶯谷で美少年倶楽部が人気ナンバーワン店として、多くのお客様を集客できたことを。
桜の実績を超えるものはいない。
桜は、ボーイ達が尊敬する売り専だったからだ。
ルイは不機嫌にその様子を見ていたし、桜に敵意を剥き出しにしていたのも確かだ。だが、最後には「外の世界でも上手くやれよ」と喫煙所に向かうがてら最後の挨拶を桜にしてくれた。ルイはツンデレな弟みたいなやつだったなと桜は思う。
一方のミケは終始しくしく泣いていて、桜の卒業を祝うために花束を贈ってくれた。ホワイトリリーとガーベラの花束。
「お前が卒業しても心は桜と共にあるからな。困ったことがあればいつでも連絡してこいよ!」
「さんきゅう」
桜の卒業は、美少年倶楽部以外でも盛大に祝われた。
ひいらぎ荘を退寮する日。もともと美少年倶楽部を辞めたらひいらぎ荘も退寮するルールになっていた。桜はこれからは真柴の家で居候させてもらうことになると聞いている。
桜の卒業をオーナーから聞きつけたおこめと姫くんはぎゃんぎゃん赤ちゃんみたいに大泣きで桜にくっついてきた。
「桜っ。俺とズッ友だからね! 寂しくなったらお店に飲みに来てね?」
桜の腕の中で彼女面で泣いている姫くんを、おもちはジト目で眺めている。けれど、その瞳からはほろほろと涙が伝っていた。それに、背中から全体重をかけておこめが桜を抱きしめている。言葉にしないタイプの愛が重いやつ。それがおこめだった。
ユキヤの姿は見当たらなかったが、姫くんに桜の卒業祝いを渡していたらしくそれを受け取った。小さな正方形の包みを開けると、そこには1個3000円すると有名な高級コンドームが1つ添えられていた。
それを見た桜とおこめ、姫くんはげらげら笑いこけて息をするのも苦しいくらいだった。
「皆ありがとう。またな」
ひいらぎ荘の玄関先まで見送ってくれた2人にお礼を言い、キャリーケースを2つ引いて歩く。
最後の最後に笑わせてくれるのがユキヤなんだっていうのが、ほんとにおかしくて、平和で帰り道も清々しい気持ちで一杯だった。
鶯谷のナンバーワン売り専「桜」は、泡沫のように静かに消えていった。
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