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第49話 真柴の素

 ひいらぎ荘を出た車道のわきに黒いメルセデスが停まっていた。そしてその黒光りする車体のドアに腰掛ける男を見て一目で気づく。溢れ出ているオーラが一般人の比ではない。ちらり、とその長身の男が桜を見つけて軽く微笑む。桜は軽く会釈をして足速にメルセデスに近づいていった。どきどきと胸が高鳴る。  この瞬間から、自分の飼い主はこの男であることが鮮明に刻まれるようで心が打ち震えていた。 「荷物はそれだけか?」  薄い唇から発された声は相変わらず低くて耳心地がよかった。 「はい。キャリー2個です」 「わかった。貸してくれ」 「あ、はい……」  真柴は桜の手からキャリーケースを引き取ると後部座席にのせてから、助手席のドアを開けた。 「さあ、乗れ」 「……失礼、します」  紳士らしくエスコートしてくれる真柴に驚きつつも、猫のように身体をすべらせ助手席にのりこんだ。  ふんわりと何かムスクのような匂いが車内に広がっていた。強すぎず、ムラなく、ほんのり薫るいい匂い。桜の緊張で強ばった身体の力がくたりと抜けていく心地がした。  運転席にのりこんできた真柴は、桜を一瞥すると無言で車を発進させた。  無表情が常で口数も多いほうではない真柴は、運転に集中しているらしく安全運転をしてくれている。なんだか自分が姫扱いされてるみたいで、妙にふわふわしてしまう。  別にこの人との無言の時間は嫌ではないけれど、社会人として感謝の気持ちは自分から伝えるのが礼儀だと思い、赤信号になった直後に真柴のほうに身体を向けて礼を言う。 「あの、車でわざわざ迎えにきてくれてほんとにありがとうございます」  ハンドルにかけた真柴の指先が微かにぴくりと反応した。 「たいしたことない。大人の義務だ」 「俺、子どもじゃないんですけど……」  暫し、真柴の顔が固まる。 「あ、信号。青になってます」  桜が人差し指で前を見るようにうながす。 「ああ、すまない」  車内に謎の空気が生まれた。  しばらくお互い黙り込む。すっと息を軽く吸い込んでから真柴がちらり、と目線だけを桜に注ぐ。 「桜は童顔に見えるんだが」 「……それなんにもフォローになってないです」  真柴はぎくりと体を強ばらせた。  顔に「しまった」と書いてある。 「すまない。自分で言うのもあれだが、少し緊張しているようだ。桜を抱き……抱き枕にすると決めてから展開が早かっただろう。部屋の片付けもできてないし、これから同居するのに適切な家具もまだ用意ができていないんだ……」  あとのほうは妙に声が小さくごにょごにょとしていてあまり聞こえなかった。  真柴が至極真面目な顔つきのまま一生懸命弁解しようと焦っている姿が面白くて、桜はふふっと吹き出してしまう。  それを横目に見た真柴は、ホッと胸をなでおろした。安心したように目元をゆるめる。 「これからは敬語じゃなくて普通に話しかけてくれ。そのほうが緊張せずにすむ」 「……わかった。じゃあ敬語やめる」 「ああ。そのほうが素の桜が見えて話しやすい」  素の桜……か。  桜はこの不器用で生真面目な性格の真柴という男に強い関心を抱いている。 (俺を買うと言ってくれた時は堂々としてて頼もしかったのに。なんか今日はちょっと抜けてんな。もしかしてこれが真柴さんの素なのか……?)  ぼんやりとそんなことを考えていたら、いつしか車はタワーマンションの地下駐車場へと滑り込んでいた。  地下駐車場をぐるりと下りながら半周すると、駐車場には高級車ばかりが停まっていた。  真柴が慣れた動作で車を停めると、桜もシートベルトを外す。革の座椅子なのに、ふわふわしてておしりが痛くない。 (メルセデスすご。やっぱりこの人お金持ちなんだなあ)  桜は車から降りると、周りに停められている高級車をしげしげと眺めていた。真柴にキャリーケースを下ろしてもらい自分で引いていこうとしたらその手を掴まれた。 「……?」  急な接近に桜の心臓がぎゅっと固くなる。けれどそれも一瞬のことで真柴はやんわりと口元を緩めると桜の手をほどいてからキャリーケース2つを引いて先を歩いていってしまう。  何もかもエスコートされてしまった桜は手持ち無沙汰な気持ちのまま後ろをついていった。

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