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第55話 秘密はハーブの薫りに包まれて(side 真柴)
「……ん」
ハーブティーの匂いにまどろみながら、ゆっくりと気だるい体を起こした。
そうか……俺はソファでうたた寝を……。
……あれ、桜は。
ソファから身を起こして辺りを見渡す。
舌にスースーとしたハーブの匂いが香る。
俺、今日そんなに飲んだか……?
いつもと違う舌の違和感に眉をひそめながら、ソファの上で大きく伸びをした。
「……ん?」
耳をすましていると、キッチンで何やら物音がする。
「桜……?」
気になってキッチンへ向かうと見慣れた後ろ姿が目に入る。桜は手慣れた手つきで料理を作っている。
驚かさないようにその姿を静かに眺めた。
こういうのも悪くないな。
俺は仕事に命をかけている。
世の中の仕事人なら皆そうだと言われそうだが、俺の場合はその熱意が異常だった。
一言でいえば頑張りすぎている、そんな状態だった。
コツコツと積み上げてきたキャリアのおかげで今では若手随一のカメラマンとも言われるようになった。
その代わり仕事に忙殺されている。
一番面倒なのが撮影終わりに強制的に飲み会や打ち上げに連れていかれることだ。
俺は早く家に帰って別の仕事を終わらせたいといつも言っているのだが、主催者が芸能関係者というのもあって断れない空気になっている。
もし断ったら二度と撮影の声がかからないかもしれない。
そんなプレッシャーと仕事の忙しさに身体が悲鳴を上げはじめた。数ヶ月前から不眠症になり心療内科を受診したが、睡眠導入剤はあまり効かない体質らしい。強制的に眠れるようにジムで運動をしたり、風呂にゆっくり浸かるようにしているがなかなか眠気がやってこない。
このままでは仕事中に倒れるかもしれない。そんな最悪のコンディションの時に出会ったのが桜だった。
薬でも運動でも風呂でも不眠症に効果が出ないなら、残りの手段は限られている。俺は「添い寝」をしてくれるサービスを探していた。自分の体躯がいいこともあり、女性だと負担が大きくなるだろうと思い男性向けのサービスを選んだ。
特に自分と同じくらい背が高いとプロフィールに書いてあった桜は抱き枕にぴったりの体型だと思った。
実際に添い寝を頼めば、優しい笑顔を浮かべて抱き枕になってくれる。そしてその効果は絶大だった。他のあらゆる手段でも熟睡できなかった自分が、桜に添い寝をしてもらう時だけは熟睡できるようになったのだ。
あの日桜に出会ってから。
俺は少しずつだが、自分の心にゆとりが持てるようになった。
桜が近くにいるだけで、心が浄化されるような気持ちになる。
桜と話をするだけで憂鬱な気分や疲れが吹っ飛ぶ。
桜の存在自体が自分にとっての「癒し」なのだと。
俺はその癒しにすがりついていたいだけだ。自分のそばに置いておきたい。
そんな気持ちを抱いたのはいつぶりだろう。
桜はそんな欲深い俺の気持ちを知らずに、今もこうして「仕事」をしている。
俺はなんてひどい大人なのだろう。
桜が他の客に傷つけられたと聞いた時には怒りに震え、どうして守ることができなかったのかと自分を責めた。
桜を傷つける者は誰でも許さない。
そのことがきっかけで正式に桜を抱き枕兼ハウスキーパーとして雇うことに決めた。
これで桜のことを少しでも守ることができれば……。
これは祈りにも似た思いだ。
桜と過ごす時間が増えていく度に俺は桜のことをもっとそばに置きたいと思ってしまう。
それは桜を物として扱っているのと同然だ。
売り専と何ら変わらない。
俺は「奉仕」されたかった。それと同じくらい、いやそれ以上にこの子に「奉仕」してあげたいと思った。
彼の傷ついた体を心を、俺は抱きしめてやりたい。
ただそれだけなのに、桜はいつも一生懸命だからその姿がいじらしくてただ見つめていたくなる。上手いことも言えない。面白いこともできない。
ほんと子どもの頃から変われてない……。
今の俺をあの人が見たらきっと怒るだろうな。
鳥籠に鳥を閉じ込めるのはやめろと、殴られるだろうな。
物思いにふけっていて、桜が俺の横で困った顔をして見つめているのに気づかなかった。
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