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第59話 抱き枕としての仕事

 たっぷり40分湯船に浸かってから浴室を出た。用意されていたふわふわもちもちなバスタオルで髪と身体を拭いて、ひいらぎ荘から愛用しているもこもこの部屋着に着替える。  ドライヤーをしようと思ったら、洗面台にはこれまたハイブラのヘアミルク、ヘアオイルが置いてあったので有難く使わせてもらう。しっかり髪をケアして頭皮をマッサージしてからドライヤーで乾かした。  この頃には桜はもうこの家は他人の家ではなく自分の家だと思い込んでいた。  リビングに戻ると真柴の姿はなかった。喉が乾いたのでキッチンに向かい冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出してごくごくと飲み干す。  やっぱ長風呂の後には水分補給が欠かせない。  大きく伸びをしてリビングのソファに横になる。やはり座り心地がよくごろごろしたくなる。  そんな中、どうしても先程までの真柴のことを考えてしまう。  あの悲しい色を帯びた瞳を忘れられなかった。  心当たりがあるとすれば真柴に「大沼」と呼ばれていた男の言葉だ。 『……お前こそまだ治ってないのか?』  やっぱり真柴は何かの病を抱えているのだろうか。  今日、ソファの上で尋常じゃないほど震えていた姿を思い出す。  その後は意識もはっきりしてなくて、桜のことを「おびひと」という人物と間違えていたようだし。  そういえば、桜はまだ真柴がカメラマンと画家という肩書きを持っていることしか知らない。  彼のプライベートを何も知らないのだ。  桜は探偵の真似事のようにスマホのメモ帳に「おびひと」「病気」という2つのワードを打ちこんだ。  だがまだ手がかりがひとつも何もない。 「そういえば……」  真柴の寝室を掃除した時に見つけた写真たて。  倒れていたのは故意なのか、それとも偶然なのか。その写真たてには何の写真が入っているのだろう。  寝室に飾るならきっと大切な写真に違いない。  あーもう。気になる。  見たいけど見るには勇気がいるし、勝手に見るのも人としてどうかと思う。  そういえば真柴は自分のことを話してくれない。  俺にはたくさん質問してくるのに。何か俺に話したくないことでもあるのだろうか。  悶々と答えのでない問いを考えていると頭が疲れてきた。  今日はもう考えるのはやめにして、真柴が寝るまで起きていよう。  スマホで好きな猫動画を見ている間、あの優しいハーブがまだすぐ口もとで薫るような気がした。  1時間ほど経過した頃だろうか。真柴の足跡がすぐ後ろに迫っているのを聞いて、ソファからゆっくりと身体を起こす。 「悪いな。起こしたか?」 「……っい、や。寝てない」 「そうか。じゃあそろそろ寝るか」  桜は真柴がお風呂上がりであることに気づいて少し目線を逸らした。髪の毛は乾いているものの、まるでボーダーコリーのように艶々の黒髪がなんとも言えない色気を放っているように感じたからだ。 「わかった」  寝室に連れられダブルベッドに真柴が先に入る。横になり一度枕周りを整えた後で 「ん」  という顔をして横になって毛布を持ち上げて桜をベッドに誘う。  別にただ添い寝するだけなのになんか真柴さんの今のビジュ強くてやばい。 「失礼、する」  桜がぎこちなく毛布に入ってきたのを見て、真柴は「ふは」と犬のあくびのような笑い声を洩らした。目を細めて喉の奥でくつくつ笑っている。 「そんなに緊張しなくてもいい。俺の抱き枕にされるのはこれが初めてじゃないだろう?」 「そりゃ、そうだけど……。今まではホテルだったからこうやって他人の家で抱き枕とかするの慣れてないし……!」  桜が目を泳がせていると真柴が顔を近づけてきたので更にぐっと距離が縮まる。心臓のばくばくが止まらない。  おさまれ、俺の心臓。こんなにばくばくしてたら真柴さんに聞こえちゃう……。  ぎゅっと目を瞑り耐えていると、頭上から柔らかな吐息が桜の耳元に降ってきた。見れば真柴がやんわりと桜の身体を抱き寄せて肩をつう、と指先で撫でている。 「ほら。こうすれば俺の顔が見えなくて少しは緊張しないだろう?」  囁き声と相まってむしろ恥ずかしさが増してしまう。決して力強く抱きしめられているわけではないのに、包容力が桁違いだ。  なんかお母さんに抱っこされてるみたいな気分だ……。  懐かしくて切ない思い出が一気に蘇りそうになり、小さく頭を横に振る。その振動に気づいた真柴が気遣わしげにこちらを見つめてきた。 「……っ」  その瞳の甘い色。吸い込まれるような瞳の煌めき。 「抱き枕。やっぱり桜の身体が俺にフィットする」 「そ、そうなら良かった」  不意に呟いた言葉に胸が打ち震えた。  なんかこういう真柴さんとの甘い雰囲気は嫌じゃないな……。 「そろそろ寝るか。おやすみ桜。今日はハウスキーパーありがとう。明日からも不甲斐ない俺のために頼む」  すりすりと頭を手でよしよしされた。 「う、うん。任せろ」  これは抱き枕っていう仕事なんだから、ちゃんとこなさなくちゃ。  桜は真柴の落ち着いた吐息が聞こえてきてからようやく眠りにつけた。  服越しに伝わる真柴の熱が心地よくてそのままうとうとと深い眠りに落ちていった。

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