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第61話 前向きな生き方
遅めの朝食として冷凍うどんをチンして、明太クリームソースをかけて食べた。この素朴な味わいが気に入った。いつもは素うどんしか食べてなかったから。新しい味覚に感動しつつ、さて今日はどんな風に過ごそうかと考える。
真柴は夜にならないと帰ってこない。合鍵はもらっているから外をぶらつくこともできるけど、この辺りには詳しくない。迷子にでもなったら迷惑をかけてしまう。
「……一旦、昨日のことを整理してみるか」
桜はお気に入りの定位置となったソファに腰かけて、スマホのメモ帳を開いた。昨日残した文字の続きに目をやる。スマホに打ち込んだ単語をまじまじと見つめる。
するとあることに気がついた。
「おびひと」と「大沼」
どちらも真柴に関係のある人間のようだ。特に、対面した大沼と真柴は古くからの付き合いをしている感じが透けて見えた。
となると「おびひと」を知るには大沼に話を聞けば手がかりが掴めるかも?
いや、でもあの強面のお兄さんに声かけるのはきついな。
大沼がなにかに似ていると思ってずっと考えていたら、やっとその動物の名前を思い出した。
黒豹。
男らしい逞しい身体に鋭い眼光。
軽く後ろに流された黒髪は艶々していた。
すっと整った鼻筋と、しゅっとした顎。おそらく年は真柴と同じくらいだろう。
アラサーといったところか。
その身体から漂う大人の色気に圧倒されたのも認めたくはないが事実だ。
ブランドものの服やバッグを身につけていたし、かなりのお金持ちに見えた。
そんな考察をしていたら桜は無意識に唇に指先が触れてしまった。はっとして手を話す。
昨日、キスしたんだよなあ。真柴さんは覚えてないと思うけど……キス逃げはずるい。
しかも、と桜は頭に嫌な雲がかかるのを感じた。
「俺のこと誰かと間違えてキスするのは反則でしょ」
はあ、と大きくため息をついて嫌な気を吐き出す。
まあ、嫌な気持ちはしなかったな。真柴さんの唇、ふにふにしてて柔らかかったし。吐息とか色気すごいし……。
ぽーっと昨日のことを思い出してしまう自分の反応がまるで恋する乙女みたいで意味不明になった。
「こんなこと考えてたら埒が明かない。今夜の夜ご飯の献立考えよ」
桜はキッチンにある冷蔵庫と冷凍庫の中をくまなく探し、組み合わせられそうな食材を探す。もともと料理をあまりしない真柴の冷凍庫には、冷凍食品ばかりが並んでいた。
「冷凍の野菜はあるんだ」
見れば冷蔵庫の中には冷凍ブロッコリー、冷凍ほうれん草、冷凍ミックスベジタブルなどがあった。これなら色々と作れそうだ。
桜は夕食の準備をする前に浴室の掃除、洗濯物の区別をして回し、乾いた洗濯物を畳んだ。テレビを付けてみれば、ショッピング番組やバラエティ番組が放送されていた。
「なんか、いいな。こういう普通の感じ」
売り専をしていた頃はこうしたのんびり気ままな時間を作ることはできなかった。あまりにも早く1日が過ぎ去り、今日が何曜日なのかの感覚も薄れていた。カレンダーとは縁がなく、毎日が平日扱いだった。
そんな自分が一生懸命に生きてきた日々を胸に仕舞って、これから前向きに生きていこうと強く思う。
一通り家事と夕食の準備が終わった17時頃。桜はスマホを使って弟の瞬に電話をかけた。今朝に瞬の都合を聞いて夕方なら電話ができると聞いていたからだ。
『久しぶり! 兄ちゃん』
第一声がはつらつとしていて元気そうに聞こえたので桜はほっとする。
「瞬。久しぶり。元気そうだな」
『兄ちゃんは? 今日は仕事休み?』
桜は瞬には仕事は書店で働いていると伝えている。その話に合わせるように桜は相槌を打つ。
「ああ。今日は休み。そっちはどう? 勉強とか部活とか」
『勉強はこないだのテストは学年1位だった。受験に向けて頑張らないとだし。部活は無事に引退したよ。後輩たちがいい子すぎて本当に楽しかった』
「良かったな。じゃあ風邪ひかないように手洗いうがいはきちんとすること。人が多いところではマスクもつけるんだぞ」
『わかってるよ。兄ちゃん。なんかお母さんみたいだよ』
微かに笑う瞬の表情を想像して胸が締め付けられた。だから桜は笑って安心させるように言葉を返す。
「いつでも俺が味方だから」
『ありがとう。あ、そろそろ夕食の時間だからまた今度ね』
「わかった。またな」
電話を終えてほっと息をつけた。瞬に嘘をついていることは心苦しいが、優しい嘘でありたいといつも願っている。
実際、真柴に身請けされた時の500万円はすぐに銀行へ預けて瞬のために使うつもりでいる。
幸い、真柴の家で同居する間は家賃や生活費は真柴が払うという条件を提示された。自分が1割でも払いたい気持ちを伝えると真柴は真剣な表情で
『抱き枕とハウスキーパーとして働いてもらうんだ。その対価として費用は俺に持たせてくれ』
そう言われてしまって桜は真柴の言うことを素直に聞くことにした。
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