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第76話 太陽を失った月(side 大沼)

 朝一番の便で福岡空港へ降りたった俺は、朝食もとらずに睦月が住み込みで働いているという田中公明のもとへ向かった。  タクシーに乗りこんで30分は経っただろうか。  雲行きが怪しくなってきた。そのうち、ぽつぽつと細かい粒状の雨がタクシーの窓を叩きはじめた。 「にいちゃん着いたよ」 「ありがとうございます」  タクシーの運転手は傘を1つ取り出して俺に渡した。 「すみません。ありがとうございます。」 「いいっていいって。こんな田舎町に若い人が来てくれて嬉しいんだ。気をつけるんだよ」  朗らかな笑みを残して、タクシーは今来た道を下っていった。 「それにしてもさすが田中公明の仕事場だな」  その家は小高い丘に建てられていて、下に広がる市街地を見下ろせる位置にある。アポをとることすら忘れていたが、はたして田中氏はいるだろうか。  大沼はトントンと木の扉を叩いた。 「すみません。睦月の知人です」  大きな声で呼びかけるも、家からは物音ひとつしない。庭へまわって呼びかけ続けると、部屋の中がだんだん騒がしくなった。 「うるさい小童め! まずはアポをとれアポを!」  ガンガンと足を踏み鳴らしながら、田中公明が姿を現した。 「すみません。緊急の用だったもので」  田中氏に全身をくまなく見られる。 「ああ、お前が睦月の言っていた男じゃな。ほらぼさっとせんと。濡れたまま入るんじゃないぞ」  俺は傘を差していたが強い向かい風によって雨で濡れた薄手のカーディガンを脱ぐと、それを軽く絞って田中氏に渡されたハンガーにかけた。  早速本題に入ろうと、俺は田中氏に話しかける。 「それで、睦月は今どこに?」 「あいつなら昼過ぎにならんと起きてこないぞ」 「え。でも、睦月はあなたのアシスタントをしていると聞いたんですが……」 「そんなに質問攻めにされても埒が明かん」  一旦座れ、と大沼は田中氏の座った椅子の隣に座った。ふかふかの座り心地に腰が休まる。 「さあ気の済むまで質問してくるがいい」  がはは、と田中氏は大きな口を開けて笑う。  この人が世界的に有名なカメラマンだと、誰かに言われなければわからないだろう。外見はそのへんにいるおじいちゃんとほとんど大差ない。 「ではさっそく。最近の睦月の様子で変わったところはありませんか?」 「変わったところなあ。そういえば、親戚の葬式に出て以来朝早く起きてこなくなったのう」  親戚の葬式。帯人のことだろう。  そうか、あいつにとって帯人は親戚同然なのか。 「睦月の仕事のほうは……」 「仕事のほうは問題ないんじゃがな。持ち前の明るさは消えてしまったのう」 「そうですか」  仕事はなんとかなっている。けれど、やはり睦月は帯人の死で変わってしまったのだろう。 「そういえば、なぜ田中先生は俺のことを?」 「ああ。睦月がよく言ってたんじゃよ。夢に向かって一緒に頑張る友がいるとなあ。なんでも黒豹みたいに見た目がおっかないとかなんとか……」  田中氏は最後のほうを濁していたが、俺はそんなことにすら気づかなかった。 「友……。ほんとうに睦月がそう言ってたんですか?」  田中氏は柔和な笑みを頬にたたえて言った。 「そうじゃよ。お前さん画家になるためにフランスに修行に行ったとか。睦月は心配しとったぞ。連絡が無いとな」  そんな……。  俺は自分のことに精一杯で、睦月のことを考える余裕なんてなかった。  なのに、俺のことを心配してくれる友に俺は何もしてやれなかった。  ただこうして全てが終わった後に知るだけ。  なんて惨めで、運の悪い男なのだろう。 「先生、睦月は今どこに?」 「この時間じゃと……。そろそろ街から帰ってくる頃じゃろう」  田中氏は壁にかけられた柱時計に目をやった。  朝9時。  あの真面目な睦月が朝帰りだと……?  信じられない。  俺の知ってるあいつは規則正しくて、誰よりもルールや規則に厳しい男だった。  朝帰りして田中先生のアシスタントをするのか。  そんなの許されるのか。  カメラマン界の巨匠にそんな無礼なこと。  ちらり、と俺は田中氏を見たが特に怒っている様子はない。 「失礼かもしれませんが、先生は睦月のこの生活を許されているんですか?」 「許すもなにも……。わしと奴の過ごした時間もかなり長いぞ。そんなときに奴に異変があったら、わしは奴を見捨てるようなじじいに見えるかね?」  俺はぐっと喉を詰めた。  田中氏の言うとおりだ。  きっと2人はいい師弟関係を築いてきたのだろう。  1度の過ちだけで、田中氏は愛弟子を見捨てたりはしないということか。  そのとき、ドアをこんこんと叩く音が聞こえた。  田中氏を見つめると、お前が出てやれと肩に手を置かれた。ドアノブに手をかける。内側から押してやると、そこには雨に濡れた睦月が立ち尽くしていた。 「…っ大沼! どうしてここに?」 「ごめん。ごめんな睦月」  雨で冷えた睦月の身体を抱きしめた。  包み込むように優しく、この想いがまっすぐ伝わればいいと思った。  ごめん、ごめんな睦月。  お前は俺の連絡を待っていてくれたのに、俺は自分のことしか見えてなくて。お前を蔑ろにしていた。 「こらこら濡れるからはよ中に入れ」  田中氏の声で我に返った俺は、引きずるように睦月を部屋の中に入れた。睦月はただ黙って俺のことを見つめているだけ。 「わしは朝食の続きがあるからのう。話があるならそこに座りなさい」  そう言い残すと田中氏は部屋の奥へ戻っていった。

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