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第95話 いつからだろう。桜に目を奪われたのは(side 真柴)
桜は知らないだろう。
腕の中で吐息を立てて眠る桜の幼い横顔を、眠る途中で目が覚めた時に俺が見つめていることを。
綺麗な黒髪。艶やかな黒。指通りのいい柔らかな髪質。光の下に出ると、黒髪に天使の輪っかができる、天使みたいな子。
いつもはツンツンしてるけど、たまにくしゃって子どもみたく笑った時の顔が、お日様みたいに人懐こくて。
桜の眠りを妨げないように、50センチもないくらいの距離を保って見つめていると、胸のどこか柔らかくて繊細なところがほぐされていくような気持ちになる。
閉じた睫毛の下には、意思の強い瞳がある。けれど、時々繊細そうに揺れる時がある。
そんな時は、俺は何としてでもこの子を護らなくてはという使命感に駆られる。自分が店から引き抜いたから、大人として手本になりたいから。
そんなありきたりの理由なんかじゃ、なかった。
ただ、俺が失った太陽みたいな明るさと温かさをこの子は持っているから手元に置いておきたくなった。すぐそばで、俺が触れられる距離で。
桜がクソ客に傷つけられたと知った時、怒りで震えた。なぜ、護れなかったのかと自分を責めた。見ていたはずなのに、すぐそばで、触れられる距離で。
その時、決意した。
もう桜を他の奴に触れさせはしない。傷つけるのも許さない。俺が護るんだ。この子を、絶対に悲しませない。
そう誓って、季節が巡り、秋になった。桜といると時間の流れがはやく感じる。
一緒に暮らし始めてから1日が長くて、密度が濃くて、飽きないくらい愛おしいから。
桜の笑った顔も、
『真柴さんっ』
少し拗ねて怒った顔も、
『真柴さん……!』
全部、全部。俺には値しないくらいの幸福だった。
この子の声を聞いていると心があたたまる。
まるで陽だまりに照らされているような。
春の陽気に包まれるような安心感。
そうか。この子の名前は桜だったな。
春一番の主役。
そして帯人の一番好きだった季節の……。
この子があまりにもまぶしいから、俺はいつも目を細めてこの子を見ていた。
だけどそうか。
この子の笑った顔をまっすぐ見たら、こんなにも心がやすらぐのか。
桜に見頃なんてなかったんだ。
いつもどんなときでも桜は美しいんだ。
嵐で花を散らすときも、葉桜に変わるときも、葉を全て落としてじっと寒さに耐えているときも。
その桜は次の春に向けて芽吹く準備をしているのだから。
俺もまた桜のように春を迎えることができるんだろうか。
寒くて冷たい凍えるような寂しさを、陽だまりで溶かすことができるのだろうか。
もしそれができるなら──。
なぜかはわからないが、この子と一緒ならできるような気がする。
心の奥底に眠った俺ができると叫んでいる。
だってこの子は太陽みたいにまぶしい笑顔をみせてくれるから。
野良猫に餌をやったら懐いた、というレベルではない。
俺が買った。だから責任がある。3食、住むところ、寝るところ、服も、家具も。俺が全て用意すればいい。
世話焼きな俺を桜はときどき申し訳なさそうに見てくるけど、それでいい。これは俺が好きでやっていることだから。
出逢った頃から胸に生まれた想いは、同じ時を過ごす中でどんどん降り積っていった。今にも溢れそうなくらいに、気持ちが募る。
けれど、伝えてもいいのだろうか。桜はどう思っているんだろう。看病までしてくれるくらいだから、嫌われているわけではないだろうが……。
家主の俺から言い寄られたら、抱き枕兼ハウスキーパーの仕事さえ、嫌になって辞めてしまうんじゃないかと思ったら、言えなかった。
俺にとって桜はなくてはならない精神的支柱だから。依存しすぎるのも良くないとわかっているのに、桜は優しい子だから。俺の不器用なところも、許してくれる。
いつか言おう。そう思って口に出せずにいた。だから代わりに、言葉にしない代わりに行動で示してきたつもりだ。それがどのくらい桜に伝わっているかはわからないが。
このまま、愛おしい時が永遠に続けばいいのに。
幼い寝顔を見つめたまま、目に焼き付けて瞳を閉じた。
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