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第96話 大沼相談室(side大沼)
11月末の貴重な俺の休み。
奴に飲みに誘われた。断る理由もないが、睦月が俺に頼ってくる頻度はあの福岡で過ごした夜以来、ほとんどなかった。
だから、緊急性があると思って身支度も簡素に済ませて俺の部屋で宅飲みをすることになった。
「……というわけなんだが」
宅飲みしないか。
そう誘ってきたのはこいつからだった。
もともと酒好きでもない睦月が宅飲みを提案してくるのはなにかあるなとは思っていたが。
「大沼はどう思う? やはり俺のせいなのか」
睦月はすでに軽く酒がまわっていて、顔が紅い。目も潤んでいる。あたりめを片手に至極真面目な顔を浮かべている。
「なんでそれを俺に聞くんだ」
俺が呆れるようにつぶやくと、少し眉を曇らせた。
珍しい。こんなに感情豊かな睦月を見るのは久しぶりだった。普段は無表情そのものの氷の王子のようなやつだから。
電子タバコをスーッと吐きながら俺は睦月の話を聞き流す。
なんでも桜絡みの話らしいことは理解できたが、話している本人が酔っていてはどうしようもない。
仕事の悩みかと思って付き合ってやろうと思ったのに。口から出る言葉は、桜。桜ばかり。
どこかで耳にしたような気がしてならない。
これはデジャヴかと疑いたくなった。
俺はというと酒を口にしながら電子タバコを吸うだけ。完全に聞き役だ。
「だから桜、桜ってずっと言われても何の話だかわかんねえよ」
ついにしびれをきらして睦月の頭を軽くこづくと、更に深刻そうな表情を浮かべる。
「言いたいことがあるなら口で言えよ。黙ってちゃわからねえ」
こいつは元々飲めるたちではない。
学生時代にこいつの家で誕生日を祝ったときに酒を飲ませたら、泣き上戸になるわ吐き出すわで散々な思いをしたのを思い出した。
男を狂わせるのは酒と女だと先輩に言い聞かされていたが、これほどまで酒に狂わされるやつは見たことがない。
「わからないんだ。最近の桜が何を考えてるか」
「今までわかってたってとこが驚きだ」
呆れ半分で返せば、睦月は神妙な面持ちのまま目線を床に落とす。ナイーブな様子だ。
「一緒に暮らしてるから、桜のことなら何でもわかっているつもりでいたのかもしれない」
嘘つけ。もう十年も一緒にいるっていうのにこいつは俺のことなんて何一つわかっちゃいねえ。まあ俺も見せないようにしていたが。
そんな鈍感なやつが桜の全部をわかるだなんて、100年早い。
帯人を失って以来、他人に興味関心を失った睦月の感情をここまで揺さぶる桜はやはり面白い奴だと少し感心した。
だが、めんどくせぇ。この手の話は俺は好かない。
喉元まで到達しているため息を無理やり肺に押し戻す。
それにしても。
こうしてゆっくり二人で話すのはいつぶりだろう。福岡に行って以来かもな。
そのあとはずっとメールか電話で連絡をとっていた。話題はいつも決まって互いの仕事の話ばかりだ。進捗報告会とでもいうのか。
なんだかんだこいつも27だし。立派なアラサーだよな。
20代前半の頃の爽やかさはお互いもうとっくになくなっていた。
俺は厳つい顔とあいまって年相応かそれ以上に見られることが多かったが、睦月はその逆だ。
もともと童顔だったのが、そのまま劣化せずにいる。睦月の横顔は見返り美人図というイメージがある。
見る人によっては20代前半と言われそうな容姿だ。今でも女性らしい顔立ちは健在だった。
「大沼は桜のことどう思う?」
「は? 桜?」
睦月が唐突に投げかけてきた問いに首を傾げる。
「絵のモデルになったんだろ?」
「ああ。まあな」
睦月は俺と桜の関係を不思議に思っているんだろう。
詳しく説明しろと言わんばかりに嫉妬深い視線を向けてくる。本人に自覚があるかは知らないが。
仕方ない。臆病なお前と違って威風堂々とした俺に、恋のキューピットは任せろ。
俺は睦月用に既に考えていた話を伝えた。
以前、エレベーターで桜と鉢合わせしたときに、俺から絵のモデルにならないかと声をかけ桜が了解したのだと。
簡潔な説明すぎたのだろう。
睦月はたったそれだけ? と目をぱちくりさせた。
俺は面倒くさいことは嫌いだ。
桜に威圧的に接して過呼吸にさせて倒れたのを介抱した代わりに俺が交換条件としてモデルにさせたと知ったら、睦月が黙っちゃいないだろう。
睦月は怪しむようにジト目で俺のことを見てきたが、酒のまわった目で見られても俺は澄ましていられた。
「そんなに気になるならお前も描いてみればいいじゃねえか」
「え……?」
「だから、桜をモデルにデッサンするかって聞いてる」
デッサン。
睦月と俺が初めて出会ったのもデッサンの授業だった。俺は鮮明にあの時のことを覚えているがこいつはどうだろうか。
「最近カメラのほうが忙しくて全然描いてないが、感覚を取り戻すために描いてみるか……。モデルが桜なら」
「じゃあ明後日の昼過ぎはどうだ?」
俺はスマホで仕事のスケジュールを確認しながら言った。
「ああ。構わない」
目を細めた顔がアルコールのせいか赤みを帯びている。
嬉しいと全身で表現するように、睦月はぐびぐびと酒を飲む。
こいつも本当に警戒心が足りない。
「画材借りてもいいか?」
睦月が俺に笑いかける仕草は学生の頃と同じだった。
芸術が好きで好きでたまらないというような、そんな表情。
結局その日は夜遅くまで睦月のおしゃべりに付き合わされて、ようやく静かになったのは外が明るくなってからだった。
睦月を黒の革張りのソファの上に横にさせて、ブランケットをかけてやる。
俺はソファの裏に背中を預けて目を閉じた。
睦月の無防備な寝顔を見て、どことなく桜と雰囲気が似ているなとなんとはなしに思った。
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