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第97話 秋のデッサン会
「今日は大沼と一緒に桜のデッサンをすることになっている」
「はぇ?」
自分の口からだらしない声が出たのを咄嗟に隠そうと、口をぎゅむっと噤む。
「お昼ご飯食べたら大沼の部屋に行く予定だから、準備しておいてくれ」
にこ、と普段無表情な真柴が朗らかに笑うから桜の頭の上にひよこ達が舞い始める。
(なんか、真柴さんるんるんしてる? デッサンが楽しみなのか? っていうか、俺を二人がデッサンするのか?)
ちょうど朝食後、お腹の休憩と称してソファでくつろいでいた桜にとっては青天の霹靂だった。
ものすごく怖い大沼とものすごく優しい真柴に囲まれて、数時間同じ姿勢でいられるだろうかと不安が過ぎる。
それに、大沼の絵のモデルになったとはいえ、まさか真柴が参戦してくるとは思ってもみなかった。
だから今、動揺している。
真柴の看病をした日から、急に距離が縮まったような気がする。おやすみのキスは毎晩されるし、最初は恥ずかしかったけど段々慣れてきて当たり前になってるし。
おやすみのキスは真柴の気分で口付けをする場所が変わる。一番王道なのはおでこ、頬っぺ、指先。
たまに変化球で、肩に顔を埋めてキスされそのまま眠ってしまう日もある。そんな日は、抱き枕だから勝手に動けないし、真柴のちょうどいい重みが寝付きを良くしてくれるから特に嫌ということはないのだが……。
真柴に言われたとおり掃除と洗濯をすませ昼食の準備にとりかかっていた桜は、どこか上の空だった。
カチカチという壁時計の音が桜の心をざわざわと波立たせる。
気づけばいつもの二倍もの量の昼食を作っていた。
お湯が吹きこぼれそうになっているのも、鍋から泡が飛び出てから気づいたくらいだ。
火元はしっかり注意しなくちゃいけないのに。
こんな初歩的なミスをしたことがなかった桜は、今自分がどれだけ動揺しているのかを改めて思い知った。
「いただきます。いつも桜の手料理は美味そうだ。……それにしても今日は量が多いな」
桜の料理を褒めながら真柴はいつもと違うことに気づいたらしい。
ダイニングテーブルにはところせましに料理が盛られた皿が置いてあったからだ。
「……気合が入りすぎた」
桜が苦しまぎれに言い訳すると、真柴はなるほどと頷くだけで特につっこんで聞いてくることはなかった。
それにほっとして桜も箸をとったが、これからのことを考えたら食欲もあまり出ずに早々と箸を置いてしまった。
それに比べて真柴はいつもの二倍の量だというのにぺろりと完食してしまう。
「ごちそうさま」
両手を合わせ桜を見つめる真柴の表情はご機嫌な様子だった。
キッチンで後片付けをしていると真柴が背後からひょっこりと顔を出してきた。
「っ!」
心臓が止まりそうになった。危うく拭いていた食器を落としてしまうところだった。
平常心平常心……、といつものようにおまじないを心の中で唱えていると真柴がクスクスと笑い声を上げた。
「今日の桜はなんだがいつもと違うな」
ぽんぽんと頭を撫でられ、いったん落ち着いた心臓がまたばくばくと鳴りだす。
きっと子どもをからかうように頭を撫でたのだろうが、桜は22歳の立派な成人男性だ。
子ども扱いをされているような気がして、胸がちくりと痛む。
熱の集まった頬を真柴に見られたくなくて、桜はまた下を向く。
覗きこまれる前になにか話さなくてはとあわてて言葉を発した。
「あ、あの。前から気になってたんだけど、真柴さんって何歳なの?」
(変じゃないか。普通に聞けたかな?)
ちらりと目線を上げると真柴はにこにこと微笑んでいた。
「何歳に見えるか教えてくれないか?」
真柴の瞳はじっと桜の顔を見つめて離さない。
「25、くらい?」
失礼がないようにどきどきしながら聞いてみると、真柴はぶーと人差し指を交差してばってんを見せてきた。
そういうことをされるともっと若く見えてしまう。
「正解は27歳」
「うそ……」
信じられないというように桜は目を丸くする。改めて真柴を足の先から頭のてっぺんまで見つめ直す。
だが、どう見てもアラサーには見えない。
「今年で28になってしまうが」
とさらに驚くようなことを言ってきた。
となると、同級生だという大沼も27歳ということになる。大沼に関してはあの見た目だから年相応と納得できた。
「……もっと若いと思ってた。大人っぽいけど、見た目が若々しいから」
「よく言われる」
心臓のどきどきはいつのまにか羞恥から驚愕へと変わっていた。
朝から緊張で肩に力が入っていた桜は、ようやく肩を撫で下ろすことができた。
(今の質問、もしかして俺の緊張を解すためにしてくれたとか?)
そんな真柴の気遣いなのか、はたまたナチュラルな会話なのかわからなかったが、凝り固まっていた心が少しだけ柔らかくなった気がした。
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