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第101話 クリスマスイブに過ごす旅館
「こちらになります」
女の人が障子を開けた。ふわっと畳の匂いが鼻をつく。お香の匂いも微かに香る。
桜は目を輝かせて障子の中を覗きこむ。
真柴は女の人となにやら話しこんでいたが、話が終わると女の人は元の道を戻っていってしまった。
「ほら、こっちにおいで」
手招きされ桜は真柴のもとへ駆け寄った。おもむろに桜の靴を脱がせてくる。
「じ、自分で脱げる……!」
桜はあわてて手をばたつかせた。が、真柴は手際よく桜の靴を脱がしてしまった。
「いいんだ。俺がしたいだけだから」
ね? と頭を撫でられると桜も仕方ないなと折れてしまうのだった。
真柴に手を引かれ障子の中に案内される。
「どう? 気に入ってくれた?」
真柴がにんまりと笑う。自信たっぷりなようだ。
桜もこくこくと頷く。
「すごい……。こんなところ初めて来た」
珍しく興奮している桜を見て真柴も満足そうな顔をする。
「ここね、前に撮影場所に使わせてもらった旅館なんだ」
「だから真柴先生って呼ばれてたのか」
「そう。でも恥ずかしいから先生はやめてくれ」
くしゅ、と眉を垂らして苦笑いする真柴に、ふと障子の隙間から冬の日差しが差し込んできた。それは、まるで真柴の背を照らすように神々しく見えた。
「クリスマスイブだけど、あえて和風なのもいいかなと思った。喜んでくれたようで安心した」
真柴は桜の手のひらにそっと自身の手のひらを重ねた。大きくてごつごつしてて骨ばっているあたたかい手のひらだ。一番、桜が安心できる手のひらだ。
真柴に手を引かれて桜は部屋の中央にあるこたつの前に座らされる。
コードをとりつけスイッチを入れると真柴は桜の後ろに回り込んだ。後ろから囲うようにして抱きしめられる。
なぜ? という気持ちより、嬉しい気持ちが勝った。桜は黙ったまま真柴に全てを任せた。
(真柴さんは絶対に俺のことを傷つけたり、悲しませたりなんかしない。だから、俺の見てきた世界の中で1番安心できる人)
「ああ。やっと二人きりになれたな」
ふぅと安心したようにつぶやくと、桜を一際ぎゅっと抱きしめた。服越しに熱い真柴の体温を感じる。こたつの中の温かさも相まって、急に眠気が襲ってきた。
けれど、この心地いい時間をまだ感じていたくて、自然と下がってくる瞼を必死に持ち上げた。
「真柴さん……」
「最近出張ばかりでゆっくり話せていなかったな」
真柴が桜の首筋に顔を埋めてくるため、しゃべるたびにくすぐったくて身を捩ってしまう。わざとだろうか? だとしたら、なぜこんなからかい方をするのだろう。桜には真柴の意図が読めなかった。
桜は首筋にあたる真柴の吐息から逃れようとする。後ろを振り返ってみたら、眠たげな真柴の端正な顔があった。彫刻みたいに、美しい。
「ちょっとこのままでいさせてくれないか?」
桜の身体をぎゅうぎゅうと腕で締め付けると、真柴はそれきり黙ってしまった。
桜もじっと動かずに目を閉じる。
(真柴さんすごくあったかい)
桜は真柴に身を預けた。しばらくそのままでいると、足を入れていたこたつの中が温かくなっていくのを感じた。
「真柴さんもこたつの中入ってみなよ。すっごくあったかいよ」
首をひねって真柴の顔を見上げると、目を閉じて寝息を立てていた。
(あ、寝ちゃった……)
桜が身を捩ると抱きしめていた真柴の手がだらんと床に落ちた。
桜は真柴を倒さないようにそっと腕の中から抜け出すと、いったん真柴を畳の上に寝かせた。お互い着ていたコートを脱がしてハンガーにかける。このコートは、先週、色違いで買ってもらったものだ。
真柴が雑誌の撮影を担当したアパレル会社の社長から、2色の新作のロングコートをお土産にもらったのだと言う。黒とグレーのロングコート。
幸い、桜と真柴の身長は同じくらいだ。それもあって、真柴はアウター不足の桜にグレーのロングコートを与えたのだ。申し訳なくて恐縮すると
『今更何を遠慮している。この家はもう、桜の家だ。そして俺も、桜の主人だ。主人の言うことは聞けるね?』
『う……はい』
その言葉を聞いた瞬間、胸がぐっときた。
(そうか。そんなふうに、思ってくれてたんだ)
はじめは、不眠症を解消するため、抱き枕兼ハウスキーパーとして真柴の下で仕事を始めた。売り専以外に自分の持つ力を発揮できるとは思ってなくて狼狽えたが、それでも真柴は褒めて伸ばしてくれた。
思えば、叱られたことは1度もない。
まるで桜のことを、子どものように、弟のように扱ってくれるから、初めて安心できた。幼い頃に交通事故で両親を早くに亡くしたのもあってか、真柴には言いようのない父性のようなものを感じていた。
それは、ふと見せる何気ない仕草や微笑みの中に込められていた。
そんな日々が尊くて、かけがえのないもので、売り専の頃に削れた心が満たされていった。
真柴と眠ると自分の寝付きも良くなったのには驚いた。今まで、誰かと寝るとしたらそれは一夜の客とだけ。そこに安心感はなく、いつ襲われるかわからないから神経を張り巡らせて眠気など来ることもなかった。そうして、翌日の昼に気絶したように眠っていた。
(もう俺、あの頃の自分じゃないんだな)
すやすやと気持ちのよさそうな寝顔を浮かべる真柴を見て、桜は胸が高まるのを感じた。
今日のために一生懸命仕事をして休みをとってくれたに違いない。
(俺を喜ばせるために、真柴さんはこんな素敵な旅館に連れてきてくれたんだ)
ほんとうは自分がが真柴を喜ばせるつもりだったのに。誕生日を祝いたかったのに、先回りされてしまった。
真柴の寝顔を見ながら桜は自分の胸があたたかくなっていくのを感じた。
一人分の布団を敷いてその上に真柴を横にさせる。優しく抱き起こしても、起きる気配は無い。相当、疲れが溜まっていたんだろう。桜は布団に真柴を寝かせると、掛け布団を肩まですっぽりと被せた。
「おやすみ。真柴さん」
たまには自分からおやすみのキスをしたくなって、桜は真柴の額に軽く口付けを落とした。寝てるから気づかないだろうと思って。そうして、桜も真柴に寄り添うように身体を重ねて甘い微睡みに身を任せた。
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